とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画っ展】

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▼003号 八ヶ岳・赤岳山頂の石祠

八ヶ岳は6月第1日曜日が開山祭。当時は山頂の赤岳神社奥ノ院
前で神主がお払いをしていました。やがて山の歌の大合唱。その
うち御神酒がまわってきてそして思いがけなく、神社のお札とタ
カネバラのバッジを貰いました。
・長野県茅野市と同県富士見町、同県南牧村と山梨県北杜市、同
県高根町との境。

【本文】

長野県・八ヶ岳連峰の最高峰赤岳(あかだけ・2899m)は、山肌
が酸化して赤く見えるため、その名で呼ばれるのだといいます。
頂上は南峰と北峰に分かれていて、最高峰の南峰直下には赤岳神
社奥ノ院が鎮座ましましています(いまは山頂に移し石柱で囲っ
て祭ってある。隣にある神道関係の大祠とは別)。

祭っている神さまは、神話の天(あま)の岩戸伝説で大力ぶりを
発揮した天手力男命(あめのたぢからおのみこと『古事記』)、『日
本書紀』では天手力雄神。そして火の神を生んだ時、大事なとこ
ろを大ヤケドをした伊弉冉尊(イザナミノミコト)が、苦しまぎ
れに吐いた「ヘド」から生まれた金山毘古神(かなやまひこのか
み)など。

そのほか、仏様である愛染明王(あいぜんみょうおう)などもま
つられていて、まさに神仏習合(しんぶつしゅうごう)、修験道の
道場であったことがわかります。

この山の開山者は、登山路別に6人もいるという。直明行者、謙
明行者、作明行者などの行者たちだったという。赤岳神社の里宮は
西麓の茅野市の中道(なかみち)集落と、槻木(つきのき)集落の
2ヶ所にあります。

中道集落の赤岳神社里宮は「直明行者」が開いた道で、「赤岳開山
直明行者」という碑があります。そこの「永代日記」には、「安永
5年(1776)里宮行屋前に供養石を立つ」とあります。一方、茅野
市槻木(つきのき)の里宮は「作明行者」が開いた道で、やはり作
明行者の開山碑があります。

槻木の里宮の祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)で、作明行
者が寛政年間(1789〜1801)のころまつると記されているそうで
す。この行者は、木曽の御嶽山で修行を重ね、天明8年(1788年)
八ケ岳の主峰に登山して赤岳山と名づけたという。翌年の寛政元年
(1789年)地蔵尾根を通って赤岳へ登る道を開山したというので
す。

作明行者は石祠を二つ造り、ひとつは赤岳山頂にまつり、もうひと
つは、茅野市の下槻木家日向にまつり、赤岳神社里宮としたという
ことです。そのためこちらの里宮は御嶽の祭神の国常立命(くにと
こたちのみこと)をまつってあるのですかね。同じ名の赤岳神社
は、山梨県大泉村清里駅近くや、編笠山の南麓・観音平近くにも
あります。

話は変わりますが、八ヶ岳は大昔はもっとズーッと高かったとい
う。富士山と高さくらべをしたというから相当なものでした。富
士山と八ヶ岳は高さくらべをしましたが、そのころは八ヶ岳の方
が高かったのだという。

負けた富士山は悔しくて悔しくて、とうとう怒り出しました。そ
して八ヶ岳に向かって「ガツーン」と蹴飛ばしました。富士山に
蹴飛ばされたのですからたまりません。その衝撃で八ヶ岳の頭が
8つに割れてしまったという。いまでも八ヶ岳は名前だけでなく、
おおざっぱに見ると8つの峰に分かれています。

ところで、八ヶ岳は毎年6月第1日曜日が開山祭です。1983年(昭
和58)6月5日。当時は神主が山頂にやってきてお払いをしてい
ました。偶然にも当日山頂に登って巡り合いました。頂上は登山
者でこぼれ落ちそうなにぎやかさです。

雲一つない上天気のもと、ホコラの前で神主が祝詞(のりと)を
あげています。市長や登山者の代表が玉串(たまぐし)を捧げ、
山の安全を祈ります。やがて山の歌の大合唱がはじまりました。
そのうち御神酒がまわってきました。そして思いがけなく神社の
お札とタカネバラのバッジを戴いたのでした。いまでも大事に保
管してあります。

▼【データ】
★【山名】赤岳(あかだけ)。山肌が酸化して赤褐色をしているから
だとも、赤に神がかった発音や色を見いだし、主峰としての貫禄に
ふさわしい感じがあるからだともいわれています。

★【所在地】
・長野県茅野市と長野県諏訪郡富士見町、長野県南佐久郡南牧村と
山梨県北杜市大泉町(旧北巨摩郡大泉村)、山梨県北杜市高根町(旧
北巨摩郡高根町)との境。中央本線茅野駅の東20キロ。JR中央本
線茅野駅からバス、美濃戸から歩いて4時間30分で赤岳。一等三角
点(2899.2m)と赤岳神社の石祠と神道関係の大祠がある。

★【地図】
・2万5千分の1地形図「八ヶ岳西部(甲府)」or「八ヶ岳東部(甲
府)」(2図葉名と重なる)。5万分の1地形図「甲府−八ヶ岳」)

★【参考文献】
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):大日本
地誌大系『甲斐国志』(雄山閣)1973年(昭和48)所収
・『角川日本地名大辞典20・長野』(角川書店)1991年(平成3)
・『角川日本地名大辞典19・山梨』(角川書店)1991年(平成3)
・『信州山岳百科・2』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『信州百名山』清水栄一(桐原書店)1990年(平成2)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年(平成
7)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』一志茂樹(平凡社)1990
年(平成2)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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