とよだ 時・山旅イラスト通信 【ひとり画展】(初期作品)

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▼このページの目次

761 富士山火口の賽銭拾い
762 高山植物・一生に一度の花・シシウド
763 高山植物・チョウノスケソウ
764 蓼科山の雷さま
765 富士山火口の賽銭ドロボー
766 北ア・立山のライチョウ
767 東北・飯豊山は農業神の山
768 白山小桜平・黄色い釣船キツリフネ
769 猿が食べたか山道にアケビの皮
770 奥武蔵・武甲山にフジとマツは育たない(1)

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▼761号 「富士山火口の賽銭拾い」

かつて富士登山者は火口に賽銭を投げる習慣があった。その賽銭を
拾う権利が村山修験にあったが駿河に侵攻した武田軍が剥奪、さら
に須走浅間・浅間大社がからんで紛糾・訴訟がつづいたという。日
本一の霊峰でも金銭がからめば話はまた別。集めた賽銭は神社の修
理に当てられたという。

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▼762号 「高山植物・一生に一度の花・シシウド」

猪が食べる?ようなかたくて丈夫なシシウドも人間さまは若苗をア
ク抜き、おひたし・ゴマ和えなどにして胃袋に納めるという。シシ
ウドは種子から芽が出て花を咲かす茎が出るまで4〜5年もかか
る。そして一度花が咲き、結実すればもう一生が終わるのだそうで
す。
・セリ科シシウド属の多年草

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▼763号 「高山植物・チョウノスケソウ」

チョウノスケソウは須川長之助草。ロシアの植物学者マキシモビッ
チが滞日した時、植物採集の手伝いをした長之助が、明治時代北ア
立山でこの植物を採集、のち牧野富太郎博士によって命名されたと
いう。ふつう花弁8枚。11枚あるものもあるという。
・バラ科チョウノスケソウ属の常緑小低木

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▼764号 「蓼科山の雷さま」

八ヶ岳最北の蓼科山は不思議な伝説の多い山。そのひとつ、ここに
は落雷の時落ちて来る雷獣がいたという。江戸時代の「遠山奇談」
という本に死んだ雷獣を見つけた話が載っています。それによると、
体毛は針のようで、鳥のように口ばしがあり、尾は狐のようで鷲よ
りも爪が鋭かったそうです。
・長野県立科町と茅野市との境

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▼765号「富士山火口の賽銭ドロボー」

「今ニ火アリテ、其アツサタヘガタシ。草鞋ヲ三足カサネテハキテ
…」やっと通り過ぎるとこんどは雪解け水が集まった川。どこに流
れるのか。富士山閉山後、火口の賽銭の拾い残しを盗ろうと、こっ
そり火口に入った男たち。地熱などに悩まされながら拾った賽銭は
わずかだったと嘆いている。

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▼766号 「北ア・立山のライチョウ」

立山ではライチョウは山ノ神のお使いとして神聖視されていたとい
う。加賀藩の藩主も代々大事にして決して捕まえなかった。ライチ
ョウの版画は火防のお守りになっていたそうです。「僅カモ山ヲ離
ルレバ、スナハチオツ」。当時から飼育が不可能のことを知ってい
たようです。
・富山県立山町

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▼767号 「東北・飯豊山は農業神の山」

名前のように飯を豊かに盛ったような山。飯豊山神社は農業に関係
のある神さまを祀っています。付近には種蒔山やイナゴ原という所
もあります。昔、参拝者は稲の初穂を持ってお山に登り、供えられ
ている種もみを貰ってきて自分のもみとまぜて種をまいたという。
・福島県喜多方市

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▼768号 「白山小桜平・黄色い釣船キツリフネ」

釣船草のようで黄花のキツリフネ。距が渦巻きに巻かない所が違う
という。幕末発行の「草本図説」に「黄のツリフネソウ」として「紫
のツリフネソウ」やホウセンカとともに記載。種小名は「触れるな」
の意味で果実がはじけるところから。
・ツリフネソウ科ツリフネソウ属の1年草。(画は図案化しています)

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▼769号 「猿が食べたか山道にアケビの皮」

山道にアケビの皮が落ちている。猿が食べたあとなのか。アケビは
食べると甘いがタネが多いのが欠点。山里育ちの人たちはタネごと
飲み込むという。熟すと口をあけるので「開け実」、口をあけない
ムベが口を開けたという「アケウベ」からきたのだという説がある。
・アケビ科アケビ属のつる性植物

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▼770号 「奥武蔵・武甲山にフジとマツは育たない(1)」

武甲山の七合目から上には松と藤がないという。かつて畠山重忠と
梶原景時が山頂の祠の向きで激論。負けた景時は罰として松の木に
藤の蔓で縛られた。悔しがった景時は「以後、ここには松と藤は生
えるな」と呪った。その後武甲山に松と藤がなくなったという。
・埼玉県秩父市と横瀬町との境

 

 

 

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