とよだ 時・山旅イラスト通信 【ひとり画展】(初期作品)

………………………………………………

▼このページの目次

641 南ア木曾駒ヶ岳・神馬と八岐大蛇退治
642 野山の花・白い可憐なアマナの花
643 富士山・高さを一合目、二合目と数えるわけ
644 埼玉奥武蔵・蕨山のマウンテンバイク
645 野山の花・真っ赤に咲くクサボケの花
646 秩父・宝登山と巨人伝説
647 北ア・常念岳と満願寺
648 野山の植物・ウラシマソウ
649 南北朝大塔宮、吉野落ちゆかりの果無峠
650 中ア木曽駒ヶ岳・神馬と織田信長

……………………………………………………………

▼641号 「南ア木曾駒ヶ岳・神馬と八岐大蛇退治」

甲斐駒ヶ岳の伝説の神馬天津速駒。那須の国造は凶暴な八溝山の八
狹大蛇を退治しなければならなかった。速駒に乗り、乗鞍岳から借
りた天安鞍(決して落ちない鞍)、立山の天広盾(相手の数に応じ
て広がる盾)、槍ヶ岳の天日矛(矛先が燃える槍)を借り受け、八
岐大蛇を退治できたという。
・山梨県北杜市と長野県伊那市との境

……………………………………………………………

▼642号 「野山の花・白い可憐なアマナの花」

春原野に花を咲かせるアマナ。2枚の根出葉からのびた花茎の上に
咲く白い星のような可憐な6片の花。日の光を受けると全開する。
野草山菜として利用されるが、とくに球根は生みそをつけてそのま
ま食べられる。名前は球根に苦味もなく、またピリッとした刺激も
ないところからついたという。
・ユリ科アマナ属の多年草

……………………………………………………………

▼643号 「富士山・高さを一合目、二合目と数えるわけ」

富士山出現伝説のひとつ孝安天皇92年(紀元前301)説。雲霧が飛
んできて穀物を盛ったように集まった。そのため高さを穀物を計る
単位を使い全体を十合に分けた。そして下から一合、二合と数え、
それぞれ地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩
・仏の仏の十界を説くという。(「富士山縁起」ほか)

……………………………………………………………

▼644号 「埼玉奥武蔵・蕨山のマウンテンバイク」

蕨山は1044mの本峰と1033mの展望台のピークの双頭峰。本峰は展
望がないため、日光連山など一望できる標高が低い展望台はいつも
満員。そこでいつしか展望台が正式な蕨山になってしまい、本峰と
の分岐には指導標の矢印が、展望台にも「蕨山、標高1044m」との
標識が建っている。
・埼玉県飯能市

……………………………………………………………

▼645号「野山の花・真っ赤に咲くクサボケの花」

クサボケは草木瓜と書き、一見草のようなのでつけられた名前。日
本固有種だという。花弁が5枚で円形。花に雄花と雌花の別がある。
丸い果実はシドミと呼ばれ秋に黄色に熟す。子どものころ近くの林
を駆けまわり遊びながら、酸っぱく渋い果実をかじったっけ。

……………………………………………………………

▼646号 「秩父・宝登山と巨人伝説」

巨人デエダン坊はもっこに宝登山と武甲山を入れて、尾田藤の長尾
根をてんびん棒にして担いで歩いた。しかし重いためもっこが破れ
地面に落下。武甲山はそのまま残ったが、宝登山を入れたもっこは
落ちたとき割れて宝登山と簑山に分かれたというデッカイ話。
・埼玉県長瀞町と皆野町の境

……………………………………………………………

▼647号 「北ア・常念岳と満願寺」

常念岳は東麓にある満願寺とも関係が深い。この寺は、江戸時代は
松本藩主の祈願所。明治になり、神仏分離令を制定、廃仏棄釈の嵐
が吹き荒れます。満願寺も当然やり玉にあげられたが、山奥で見ま
わりに来るものもなく、なんとか破壊から免れたという。
・長野県安曇野市

……………………………………………………………

▼648号 「野山の植物・ウラシマソウ」

ヘビの舌のような長いものが出ているウラシマソウの花。長いもの
は浦島太郎の釣り糸なのだという。雌雄異株だが多くは雄株。それ
は子球による栄養繁殖を盛んにするため、株が雌に転化するまで球
茎が大きくなりにくいからだと専門家。そのためか1ヶ所にかたま
って生えることが多い。

……………………………………………………………

▼649号 南北朝大塔宮、吉野落ちゆかりの果無峠」

かつて大塔宮護良親王吉野落ちの時「果てがない」と親王を嘆かせ
たという果無山脈。高野山と熊野本宮大社結ぶ参詣道に立ちはだか
り、行けども行けども果てなく山道が続くため「果無道」と呼んで
いたものが山脈名になったのだという。その峠が果無峠(果無越)。
山麓には「果無集落」もある。
・奈良県十津川村

……………………………………………………………

▼650号 「中ア木曽駒ヶ岳・神馬と織田信長」

木曽駒ヶ岳には大きなあし毛の神馬がすむという。そんな話を織田
信長が聞き「明年は諸国の卒徒を督し此の山を囲み之を猟得せん」
ということになった。しかし木曽駒ヶ岳に登ろうとするその年の6
月、「本能寺の変」に遭ってしまったという。
・長野県宮田村と木曽福島町との境

 

初期作品・ひとり画展目次
………………………………………………………………………
Top【峠と花と地蔵さんと…】のホームページへ