とよだ 時・山旅イラスト通信 【ひとり画展】(初期作品)

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▼このページの目次

521 丹  沢・ 大室山・境界争いの石碑
522 秩 父・ 甲武信ヶ岳のげんこつ
523 足 尾・ 庚申山と庚申さま
524 北 ア・ 鹿島槍ヶ岳の地震神
525 富士山・ 竹取物語とかぐや姫
526 上 州・ 荒船山の不思議な伝説
527 奥武蔵・ 子ノ権現の子ノ聖
528 西丹沢・ バケモノ沢林道のカーブミラー
529 上 州・ 笠ヶ岳避難小屋とハイマツのベッド
530 北 ア・ 針ノ木峠と有料道路

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▼521号 「丹沢・大室山・境界争いの石碑」

甲斐と相模は国境争いで江戸幕府に裁定を仰ぎました。当時、大室
山には甲斐側の石碑がありました。甲斐にとっては、ここが境界だ
と思われるのは不利です。そこで石碑を隠してしまいました。しか
し幕府は何もない相模側が主張するいまの国境線にされてしまった
という。
・神奈川県山北町と山梨県道志村と境

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▼522号 「秩父・甲武信ヶ岳のげんこつ」

甲斐、武蔵、信濃の三つの国にまたがるので各国名から一字ずつと
って甲武信。しかしいまでは甲武信ヶ岳と書きます。その昔、山が大
空に「ゲンコツ」をふり上げた形なので、武蔵側では以前からこれを
拳(こぶし)と呼んでいました。そこで甲武信と書いて「こぶし」と読ま
せたということです。
・埼玉県秩父市と山梨県山梨市、長野県川上村との境

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▼523号 「足尾・庚申山と庚申さま」

庚申さまの総本山・庚申山。申は猿に通じるため猿田彦神をまつりま
す。かつて庚申山荘手前に猿田彦神社の本殿がありましたが、火災
にあいいまは山荘の納戸のなかの小祠が本殿になっています。また
登山口銀山平近くにも遙拝殿があります。
・栃木県日光市

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▼524号 「北ア・鹿島槍ヶ岳の地震神」

室町時代に鹿島槍が大地震で大崩落、麓の集落が大被害を受けま
した。村人は、常陸の国(茨城県)の鹿島神宮から地震の神である鹿
島大明神を勧請。山の名を鹿島山、集落を鹿島集落と改めたという
ことです(『信府統記』)。
・長野県大町市と富山県立山町、黒部市との境

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▼525号「富士山・竹取物語とかぐや姫」

かぐや姫に頼みをことわられた天皇。勅使は預かった手紙を富士
山頂で燃やすため登っていきました(『竹取物語』)。また帝から預
かった王冠をつけたまま、かぐや姫は山頂に消えて行ったという
(『富士山縁起』)。ほかにも同様の物語があり、かぐや姫と富士山
はよく結びつけられています。

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▼526号 「上州・荒船山の不思議な伝説」

「諏訪大明神は母御前のいる日光へ通ううち、荒船山に住む姫と顔
見知りになり夫婦になった」(室町時代の『神道集』)。姫はインド
のクルベイ国の長者の娘だったが、国王がしつこく言い寄るため逃
げてきて隠れ住むことになったという伝説がある。
・群馬県下仁田町と南牧村、長野県佐久市との境

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▼527号 「奥武蔵・子ノ権現の子ノ聖」

平安時代初期、紀伊の国で十二支の子(ね)の年の、子(ね)の月
の子(ね)の日、子(ね)の刻に生まれたのが子(ね)ノ聖(ひじ
り)が開いた子ノ権現。奥武蔵のいまの「子の山」に堂宇を創建し
ようとするするが悪魔どもが山に火をつけやけどを負わせたとい
う。
・埼玉県飯能市

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▼528号 「西丹沢・バケモノ沢林道のカーブミラー」

丹沢湖に注ぐ大又沢上流の地蔵平から北上するバケモノ沢。この支
流にある水晶が盗掘されないよう気味悪い名前をつけタブー化した
という。平行する林道は荒れ放題で大木の茂って薄暗い。割れかけ
たカーブミラーが、くもりかけた反射面に私たちの影を一生懸命映
していた。
・神奈川県山北町

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▼529号 「上州・笠ヶ岳避難小屋とハイマツのベッド」

上州笠ヶ岳の小さな避難小屋は超満員。仕方なく雨の中、急斜面の
中のハイマツの上にテントを張った。付近はけもの道らしい。寝返
りを打つたびにテントがユラユラ。でも以外な寝こごち。結局朝ま
でぐっすり。人間どんなところでも寝られるものだ。
・群馬県みなかみ町

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▼530号 「北ア・針ノ木峠と有料道路」

明治時代、三伏峠を越えて物資運搬の有料道路があったという。
しかし、思ったほど利用する人がなく、また名にし負う険路、道
の冬の決壊が激しく、改修が不能になり、1882(明治15)年つい
に道路は放棄されたということです。
・長野県大町市と富山県立山町との境。

 

 

 

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