とよだ 時・山旅イラスト通信 【ひとり画展】(初期作品)

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▼このページの目次

431 北ア・燕岳・合戦沢鬼退治の矢
432 群馬県・妙義山のデエラン坊
433 大峰山・弥山山頂の弁財天池
434 奥秩父・瑞牆山と弘法大師
435 北ア・槍ヶ岳の家族たち
436 東北・鳥海山のタツノオトシゴ
437 北ア・五色ヶ原は神の遊び場所
438 上州・榛名山スルス峠のカラス天狗
439 日光・徳川家康と日光天狗
440 東北・八幡平と八幡太郎義家

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▼431号 「北ア・燕岳・合戦沢鬼退治の矢」

怪物・魏石鬼(八面大王)を退治した坂上田村麻呂の「三十三節
ある山鳥の尾羽根」の矢。それを献上したのは矢村の矢助という
男。それは3年前矢助に助けられ、恩返しに女性の姿になって彼
の女房になった山鳥の尾羽だったのです。妻はその時から姿を消
しました。
・長野県安曇野市

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▼432号 「群馬県・妙義山のデエラン坊」

大昔、群馬県の妙義山のあたりに雲を突くようなデエランボーと
いう大男が住んでいました。妙義山に足を乗せて昼寝していると、
イノシシどもが大男の足をヤマイモと間違えてかじりはじめまし
た。怒ったデエランボーは、イノシシをひとつかみ、鍋料理にす
ることにしました。千曲川から水を汲み、浅間山から火種をとっ
て焚き火をはじめました……。

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▼433号 「大峰山・弥山山頂の弁財天池」

弥山山頂には小池があって「不浄の者が手を入れると水が涸れると
『大峰七十五靡(なびき)奥駆修行記』にあります。役(えん)
ノ行者がここを開いたとき出来た弁財天の池だという。大雨の中、
傘をさしながら池を探しましたが見つかりません。さすが多雨地
帯、尋常な降り方ではありません。池が出来ても不思議はないな
あと思われるような豪雨に見舞われた弥山でした。
・奈良県天川村、上北山村との境

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▼434号 「奥秩父・瑞牆山と弘法大師」

平安初期、弘法大師は全国を行脚した末、瑞牆山にたどり着きま
した。大師は、ここに落ち着き、一大霊場を開こうとして修行を
つづけました。しかし、この辺りには「八百八谷」がないことが
分かりました。そこで弘法大師はあきらめて、霊場探しの行脚に
出立。ついに和歌山県高野山に新天地を見つけたということです。
もしかしたら、瑞牆山が高野山になっていたかも知れかったわけ
ですネ。
・山梨県北杜市

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▼435号「北ア・槍ヶ岳の家族たち」

北アルプスの槍ヶ岳は大家族。山頂の大きな穂先を大槍と呼んで
います。その北西の突起は小槍で、さらに孫槍、曾孫槍がありま
す。さらに叔父に当たる鹿島槍ヶ岳、蝶槍、白馬鑓(槍)ヶ岳な
ど、山名由来の親戚まで入れるとそれこそ大一親族になっていま
す。
・長野県大町市、松本市と岐阜県高山市との境(ただし山頂は長
野県)

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▼436号 「東北・鳥海山のタツノオトシゴ」

鳥海山の名前のもとになっている鳥ノ海。その鳥海湖にタツノオ
トシゴがいると柳田国男が「山島民譚集」の中で書いています。
海のすむものと同じで、古書にも土地の人が難産の女性に持たせ
るとし、1年くらいは生きているとあります。いまでもすんでい
るのでしょうか。確かめる価値はありそうです。
・山形県遊佐町

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▼437号 「北ア・五色ヶ原は神の遊び場所」

遠くに槍ヶ岳、足元に高山植物。五色ヶ原は、昔から立山雄山神
社の本尊である、立山権現お遊びの花畑といわれています。また
ザラ峠の西の刈り込み湖は、有頼が立山を開山したとき、毒蛇が
あちこちにあちこちにウジャウジャいたという。あまりに多いの
で、立山権現に祈願して、全山3里四方の蛇を刈り込み封じた池
といいます。この池は、いまも蛇の名所になっているそうです。
・富山県富山市立山町との境

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▼438号 「上州・榛名山スルス峠のカラス天狗」

榛名山には天狗が2狗もいることになっています。磨墨(するす)
峠の奇岩スルス岩の上にはカラス天狗の石像も建っています。石
像うらに昭和12年(1937)と読める高崎登山講の銘もあります。
石像は、榛名山の厳しい自然の中で60年もの間の風雪に耐えてい
ます。
・群馬県高崎市

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▼439号 「日光・徳川家康と日光天狗」

日光の天狗東光坊は、徳川家康の化身だといいます。しかし新参
者のため、奥山の古い天狗たちにバカにされ、よく騒動を起こさ
れました。11代将軍家斉が日光に参詣にくることになり、あわて
た水野出羽守は、古峰(こぶ)ヶ原の大物天狗隼人坊との連名で
一時退去せよとの立て札をたてたというウソのような話がありま
す。

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▼440号 「東北・八幡平と八幡太郎義家」

東北の八幡平はどこから見ても盾を伏せたような形をしています。
八幡平の名は、八幡太郎義家が阿倍貞任を追って登ったのでこの
名がついたとの説もあります。平安時代の康平5(1062)年、貞
任を討ち取ったのち、麓の滝沢村(合併せず)に八幡神社を建立
したといい、同村には大釜、大館、旗曳、谷地、木戸口、鎧など
の地名由来伝説もあります。
・岩手県八幡平市と秋田県鹿角市、仙北市との境

 

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