山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼987号「山梨県甲府市塩山・塩ノ山の伝説」

【序文】
140字
山梨県甲府市塩山の名のもとになっている塩ノ山。塩山駅から1キ
ロのところにあり、ここから塩が採れたと古書にあります。主にア
カマツの木に覆われ、ハイキングコースもあります。ところが山梨
大学の地質学調査では、この「塩ノ山」から岩塩が採れるという可
能性はないというから、さあ大問題。
・山梨県甲州市(旧塩山市)。
(本文は下記にあります)

▼987号「山梨県甲府市塩山・塩ノ山の伝説」

【本文】

 中央本線塩山駅の北西1キロのところに塩ノ山というこんもりと
した山があります。標高は556mとして低いですが、山梨県甲府市
塩山という地名の由来元というのですから放っておけません。なだ
らかな小山、遠くから見ると帽子のように見えるため、「黒帽子山」
の異名もあるそうです。

 ふもとには温泉があり、そこからの遊歩道もあります。塩山とい
うとおり、この山は「塩」に関係した山名由来があります。その昔、
ここから岩塩が採れたとも、またふもとにある塩山温泉から塩水が
湧いたともいわれています。

 江戸時代に出版された『甲斐国志』という本にも、「山ノ周囲一
里高サ十町鹵塩(ろえん・粗製の塩)ヲ産ス 因リテ為スレ名ト し
ほの山又「エン山」トモ云フ」とあります。

 その説の根拠とされているのが、ふもとにあるお寺。その名も塩
山(山号)向嶽寺(こうがくじ)の門に使われている漆喰製の築地
塀(ついじべい)だという。この塀は、泥土をつき固めて作った塀
で、ここでとれた岩塩からつくった「にがり」が混ぜ込んであるの
だという。そのため強度が高められているそうです。なるほど確か
に塩ノ山です。

 ところがしかし、山梨大学が行った地質学調査では、この「塩ノ
山」から岩塩が採れるという可能性はないというのです。ではこの
山の名前の「塩」とはなんだ?他にこんな説もあります。

 この山は平野のなかにポツンと盛り上がった山です。こんな山に
登ればふつう四方がよく見渡せます。そのため、「四方の山」と呼
ばれたのが「しほ(お)のやま」になったという説です。

 一方、別の説を述べる人もいます。この山は平安前期の『古今和
歌集』などにも登場しているそうです。「しほの山さしでの磯にす
む千鳥君が御代をば八千代とぞ鳴く」(巻七・詠み人知らず)と歌
われているほどこの山は名山なのです。宮中での長寿の願いを、山
梨県笛吹川にある景勝地「差出(さしで)の磯」(枕詞)にからめ
て読まれたものであるとしています。

 差出(さしで)の磯については、先の『甲斐国志』には「塩山ハ
海磯ニ非ザレドモしほのさしてのいそト縁語ニ潮ノ満干ヲ言(ヒ)
掛ケ月ニモ雪ニモ詠ミ合(ハ)スル事古今ノ例ナリ 富士川ヲ富士
山ノ滴流ト視テ 彼ノ雪解ノ水ト詠ナス類(ヒ)ナルベシ」とも述
べています。

 この歌の中では「塩の山」が「塩」ではなく、「しほ」となって
います。平安時代には、「しほ」には「八潮時」の意味があったの
だという。八潮時とは、「多くの潮路」という意味があり、そう考
えれば「しほの山」とは、「はるかな潮路からきた山」となるのだ
そうです。

 さらにそれをいい換えると、「はるかなほどよい山」という意味
があるというのです。たしかに「しおあい(転じてころあい)」や
「しおどき」というように「しお」という言葉には、「ほどよさ」
をあらわす意味もあります。この山の塩は「しおどき」の意味なん
だそうです。

 しかし、しかしですよ、有名な民俗学者の折口信夫(おりくちし
のぶ)は、ここに出てくる「しほの山」、「さしでの磯」は、甲斐を
詠んだ歌ではないといっているのです。

 彼は自著の『日本文学史ノート』で、『古今和歌集』の「…しさ
しでのいそにすむ千鳥…」(題不知、読人不知)の歌は、「甲州の風
俗歌に仕立てて、天子のお年をおほめ申した歌」であるとして、「…
しほの山、さしでの磯は甲州かどうか疑問。(中略)私は作り物の
歌とみたい。古くは宴会の時には「山」をつくる。それを詠み込ん
だのだと思う」と、疑問を呈しているというのですからムズカシイ
ことです。

 ちなみに、「さしでの磯」は、いまの山梨市万力地区あたりを流
れる笛吹川右岸に突き出る断崖を指しているそうです。このように
ちょっと見ただけでも、さまざまな解釈があって、山名の由来に結
論を出すのは難しいところなのだそうです。

 一方、こんな歌も『甲斐国志』は紹介しています。「かひ(甲斐)
にをかしき山の名はしらね(白根)、なみさき(波崎)、しほ(塩)
の山、室伏柏尾山、篠の茂れるねはま山」(『梁塵秘抄』(りょうじ
んひしょう)(平安時代後期)と、今様にも歌われているようです。

 またここにはこんな伝説もあります。『甲斐伝説集』によれば、
昔、レイラボッチという大力の坊主が苧柄(おがら・カラムシ)の
棒で、ふたつの山を荷(にな)ってこの近くまでやってきました。
しかし、このあたりで棒が折れてしまい、ひとつは塩ノ山に、もう
ひとうは石森山(※山梨市駅の南)になったという。

 そのため、この土地では苧麻(ちょま)を栽培しないということ
です。この大力坊主レイラボッチは、各地に巨人として伝説の残る
「ダイラボッチ」、または「デーラボッチ」のことだそうです。

 ちなみにふもとの向嶽寺は、抜隊禅師(ばっすいぜんし)という
お坊さんが開いたお寺です。南北朝時代、永和元年から竹森(塩山
市竹森)に結庵して、道俗の信者を集めていました。康暦2年、守
護武田信成(たけだのぶなり)の援助で、この山ろくに向嶽庵(の
ちの向嶽寺)を創建しました。塩山向嶽寺は、臨済宗向嶽寺派の大
本山です。

 塩ノ山は、周囲は約4キロで、主にアカマツの木に覆われていま
すが、平成に入ってから、松くい虫の被害を受けてきました。この
貴重なアカマツ林を後世に引き継いでいくため、いま、地域の人た
ちによって松くい虫に強い品種の植栽活動が積極的に行われている
そうです。・山梨県甲州市(旧塩山市)。

▼塩の山【データ】
★【所在地】
・山梨県甲州市(旧塩山市)。中央本線塩山駅の北西1キロ。中央
本線塩山駅から歩いて20分で向嶽寺。さらに歩いて30分で塩の山。
4等三角点(552.73m)がある。山頂直下に向嶽寺と向嶽寺庭園、
塩山温泉がある。地形図上には山名(塩ノ山)と三角点記号とそ
の標高。

★【位置】
・塩ノ山4等三角点552.73m:北緯35度42分47.04秒、東経138
度43分34.98秒

★【地図】
・旧2万5千分1地形図名:塩山

★【参考文献】
・『甲斐国志・第2巻』松平定能(まさ)編集)1814(文化11年)
:(「大日本地誌大系45」(雄山閣)1973年(昭和48)所収
・『甲斐伝説集』(甲斐民俗叢書2)土橋里木著(山梨民俗の会)1953
年(昭和28)
・『角川日本地名大辞典19・山梨』竹内理三編(角川書店)1991年
(平成3)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本伝説集』高木敏雄(ちくま学芸文庫・筑摩書房)2010年(平
成22)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年(平成
7)
・『山梨「地理・地名・地図」の謎』平山優監修(実業之日本社)2015
年(平成27)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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