山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼974号「房総・保田見嵯峨山」

【序文】
樹林の中のただのピークだったこの山も里山人気が増すにつれ、
県外からも大勢訪れているという。さて、富津市側では嵯峨山、
南側の鋸南町方面では毛無山と呼んでいたという。内房線大貫駅付
近の旧吉野村にある嵯峨山と区別して保田見嵯峨山というらしい。
・千葉県鋸南町と富津市との境。
(本文は下記にあります)

▼974号「房総・保田見嵯峨山」

【本文】
冬でも沢歩きができる房総。その中でも富津市梨沢にある「七ツ釜」
(湊川源流梨沢左俣)は地元の山ヤたちに人気があります。大きな
滝を越えて沢を詰めると、一面に広がるスイセン畑。その香りがた
だよっています。ここは保田見(ぼてみ)集落の一角です。その
あこがれのスイセン畑にとうとうテントを張って一晩過ごす事がで
きた…。

そんな記事を「山と溪谷」1987年(昭和62)に連載させてもらっ
ていた(いらすとーく第2回)欄に紹介したことがありました。し
かし気にかかるのが、ものすごい倒木が沢をふさいでいる場所があ
ったこと。この記事を来て来てくれる人がいないとは限りません。
そこで12月も下旬に家内を巻き込み、のこぎり、ナタなどを持っ
て沢の倒木整備に出かけました。

邪魔になっている幹や枝を切っては片づけての悪戦苦闘。いくら温
かい房総とはいえ、沢水は切れるような冷たさです。ようやく人
が通れるスペースを確保。真っ赤になった足をもみながら、遡行
します。今夜のテントの夕食は焼き肉をおごりました。

次の日は尾根伝いに鋸山まで縦走(当時)です。やがて樹林の中
のピーク315mの三角点を通過、ちょっとした急登を過ぎれば、「…
桜の樹林と水仙の群落が調和したピークに出る。このあたりの南
斜面一帯に水仙が栽培されている。名付けて水仙ピークと呼ぶ」
(『房総の山』千葉県山岳連盟)。なつかしい。以前、家族連れで
よく鋸山からここ「水仙ピーク」まで縦走したっけ。

…ン!ピーク315?そうです、このピーク315が今回の保田見嵯
峨山(ぼてみさがやま)です。そんな何でもないピークだったも
のが最近行ってみて驚きました。三等三角点315.5mにはリッパな
標識が建っています。里山人気が増すにつれ、県外から登山姿の
人たちがマイカーで大勢訪れているという。

嵯峨山は、別名毛無山(けなしやま)とか保田見山。富津市側で
は嵯峨山、南側の鋸南町方面では毛無山と呼んでいたという。『房
総山岳志』の著者内田栄一氏は、いまは樹林帯だが毛無山とあるか
らには、「…その山名から察するに昔は木が少なかったようである」
と書かれておられます。『千葉縣誌・上巻』(第一編第一章)第三節
山嶽「安房」に、「毛無山:同町(保田町)大字小保田にあり、鋸
山脈中に屹立せる一秀峰にして、西は鋸山に連なり、東は横根嶺に
接す」と出てくるのがそれだという。

さらに江戸時代の古地図には、「ボテミ山」とか「ボテミサガ山」(保
田見嵯峨山)と記載されているという。これはJR内房線大貫駅付
近の旧吉野村にある嵯峨山と区別しての表記らしいという(先述内
田栄一氏)。

旧吉野村については、『千葉縣君津郡誌』の(第三編・第一章)名
勝の部「吉野の里」の項に「…吉野の里は即ち此地を謂ふ傳へ曰ふ、
(※第90代)亀山天皇の弘長二壬戌(みずのえいぬ)年鎌倉将軍
宗尊親王本州に来遊し京都を慕ひ大和吉野郡金峰山の蔵王権現を此
地に移し祀り(住吉神社と称す 八田沼に在り)其他にも社寺を建
て又 吉野の桜を此に移し栽へ吉野に擬す是よりこの地を吉野郷と
称すと准后道興の回国雑記に、「吉野郷といへる所あり、宗尊親王
芳野の花をここに移して植させ給ふと云傳ふ。花ざかり思ひやられ
てみよしのゝ桜の紅葉これも名残と」あります。

つまり、後嵯峨天皇の第2皇子(事実上の長子)で、鎌倉幕府6代
将軍であった宗尊親王(むねたかしんのう )が、鎌倉時代中期の
弘長2年(1262年)に房総に来遊した。その時、京都を慕って奈
良吉野の金峰山蔵王権現を勧請し、寺社を建て吉野の桜を植えて吉
野に模したという。吉野郷の名はここから来ているらしい。また父
を偲んで近くにある山に嵯峨山と名づけたという。

その近くにある「水仙ピーク」のスイセンは近隣の農家が出荷用に
栽培している場所。江戸中期からこれをとって売っていたという
記録があります。そのそばには富士嶽神社の石碑が鎮座まします。
富士山を信仰する富士講の講中が建立したもので、これは富士講
身禄派の山水講の碑で、「山」のマークの下に「水」の文字があり、
明治期のものらしいという。いまでも地元の人たちがお参りに来
るのか花が供えられています。

もうかなり前のこと、この石碑の前にテントを張ったことがあり
ました。夜、毒虫にでも刺されたか、翌朝、右のあごが腫れあが
って「非対称顔稜」になり、朝飯も食えないありさま。その夜は
山仲間の忘年会。「もの好きな虫もいたもの。いまごろ虫の方に毒
がまわり、もがき苦しんでいるんじゃないか」とひやかされっぱ
なしでありました。

▼嵯峨山【データ】
★【所在地】
・千葉県安房郡鋸南町と富津市との境。三等三角点(315.2)があ
る。

★【位置】
・三等三角点:北緯35度09分26.56秒、東経139度53分0.75秒
(点名:嵯峨山)

★【地図】
・旧2万5千分の1地形図「金束(横須賀)」

★【参考文献】
・『千葉懸君津郡誌』(編輯兼発行者・千葉懸君津郡教育会)1927
年(昭和2):『千葉懸君津郡誌』(復刻版)(千秋社)1990年(平
成2)
・『千葉懸誌』(巻上)編纂者千葉懸(発行・能勢鼎三)大正8(1919)
年:完全復刻版・県別郷土歴史叢書『千葉懸誌』(巻上)(千秋社)1995
年(平成7)
・『房総山岳志』内田栄一(論書房出版)2005年(平成17)
・『房総の山』(千葉県山岳連盟)1977年(昭和52)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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