山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼953号「雪がなくても白い・草津白根山」

【前文】
いまも活動を続けている活火山の白根山と、古い活火山の本白根山
がならび、そのすぐ南に2165mのピーク、また白根山のすぐ北に
も2138mのピークがあり、どれが白根山・本白根山の頂なのか。
白根と本白根の間には逢ノ峰もあり、これらの峰々の総称が草津白
根山。なんともややこしい山です。
・群馬県草津町。

・【本文】は下記にあります。

▼953号「雪がなくても白い・草津白根山」

【本文】
草津白根山は、草津にあるのでほかの白根山と区別するため草津
白根となっています。ここの白根は、雪が積もっていなくても、
爆発のあとや火山灰、火山礫などで白雪のように輝いて見えるので
その名があります。ちなみに草津白根のクサツは、石油の古語「く
さうづ(くそうず)」(くさみづ・臭水)から生まれた地名だという。
この山はいまも活動を続けている活火山の白根山(2160m)と、
古い活火山である本(もと)白根山(2171m)がならんでいて、
そのすぐ南に三角点のある2165mのピークがあります。

また白根山のすぐ北にも2138mのピークがあり、登ってみてもど
れが白根山・本白根山の頂なのかはっきりしない山です。白根と本
白根の間には逢ノ峰(あいのみね・頂上には巨岩がある)もあって、
これらの峰々の総称が草津白根山なのだそうです。東山麓には草津
温泉があって、西の山腹には万座温泉、そして北は横岳から志賀高
原へと続く地形です。さて白根山と本白根山は様子が全く違います。

いまも活動する白根山は荒涼としていて、潅木や草花もほとんど見
られません。一方、本白根山の頂上付近にはコマクサの群落があり、
秋には紅葉も見事。本白根山頂の鏡池(かがみけ)では珍しい環状
構造土も見られます。白根山山頂東面には直径1キロもの巨大な爆
裂火口があり、その火口低には大小3つの火口湖があります。

北東から南西にほぼ一直線にならんでいて、水釜(みずがま・直径
200m)、湯釜(ゆがま・250m)、涸釜(からがま・150m)と呼
ばれています。真ん中でエメラルドグリーンの水をたたえる湯釜は、
ほぼ円形で長径約300m、短径約250m、水深30m。水面には硫
黄の泡を浮かべ、湖底から温泉を湧出し、世界で最も強い酸性湖
(pH1.1)なのだそうです。東岸にはいまも活動を続ける噴火口が
あり、小噴煙を上げています。

湯釜西北部火口壁の厚さ70センチほどの硫黄層最下部からは、1955
年(昭和30)ころに「笹塔婆」24片が出土したそうです。平安末
期から鎌倉期のものだという。ここの火山の火山活動は、静穏期と
活動期が南の浅間山と逆になるといわれています。地下で何か天秤
のようなものでもあるのでしょうか。不思議なことです。

また草津白根山は最近まで硫黄の生産地で知られていたそうです。
山頂の湯釜、浸食谷の入道沢(地図によってはいまでも鉱山跡の文
字が記載されている)、殺生河原などで採掘されていたという。江
戸中期から幕末にかけては採掘権をめぐって、地元の草津温泉と採
掘業者との間で確執が続きました。

硫黄は「付け木」や火薬の原料として多くの需要があり、業者が幕
府に採掘許可を願い出ました。しかし、草津村では温泉事業にマイ
ナスになると、反対運動が起こりました。明和2年(1765)になり、
江戸と信州の業者に瀑布から採掘許可が下りましたが、反対運動は
続きました。10年後の寛政6年(1794)には、山麓29ヶ村が硫黄
採掘は神の怒りに触れるもので、天変地異の根源だと訴え出るほど
だったという。

その後、暴落とか横流しなど、硫黄をめぐっていろいろな事件が起
こりましたが、次第に地元民の態度も変わり、天保6年(1835)に
は、草津村名主の平兵衛も硫黄採掘の稼働に加わったという。幕末
になると、火薬需要が急増し、白根・万座は異常なほど景気がよか
ったらしい。

天保9年(1838)に草津を訪れた朱子学者安積艮斎(あさかごんさ
い)という人はその著書『登白根山』で硫黄採掘の様子を記してい
ます。安政年間、中居村(いまの嬬恋村)出身の中居屋重兵衛は著
書『砲薬新書』という本に「上州白根山ヨリ出ルヲ最上品トス」と
まで記載しています。しかし戦後、石油から硫黄を取ることが主流
になって、山腹の万座・草津・吾妻などの各鉱山も次々に閉山して
いきました。

草津町草津にはその名も白根神社という神社があります。祭る神は
日本武尊だという。創立年代は不詳ながら、明治6(1873)年に白
根山の頂上からいまの遷座して社殿を建立したという。もともとは
本白根(古白根)山を真西に仰ぐ地にあり、山頂の奥宮(本宮)に
対する里宮(拝殿)であったのだろうという。

もと鎮座していた所には修験者の祈祷壇といわれる四角い土壇があ
り、本白根山中腹の冨貴原(ふきはら)池で山頂の霊域に向かって
登る修験者が禊(みそぎ)、祓いを行い、身体の穢(けが)れを除
いてから山頂の霊場に入ったらしい。やがて白根山噴火とともに修
行・信仰の中心が本白根から白根山へ移り、白根登山の途中の「武
具脱池(もののぐいけ)」で祓い清めたとされます。

白根神社(白根明神)にはこんな伝説があります。その昔、日本武
尊が東征して三原郷(嬬恋村)にやってきたとき、畑のあぜみちに
落ちていたサトイモの葉で足を滑らせてしまいました。そして転ん
だ拍子にゴマの枝葉で目をついてしまいました。そこで草津の湯で
湯治したところ、やがて全快しました。これ以後、白根神社(明神)
を氏神とする郷村の農民はサトイモとゴマは作らないようになった
という。もしこっそり作ると必ず目をわずらうのだということです。

昭和45(1970)年、白根山と本白根山の間を草津志賀高原ルート
のハイウェイが開通し、山頂近くまでクルマが登れるようになりま
す。ハイウェイの白根火山バスターミナルのすぐ南側には、弓池と
呼ばれる火山湖があり、澄んだ水をたたえてたたえています。白
根山(2160m)は2014年6月、気象庁は草津白根山を噴火警戒レ
ベル2(火口周辺規制)に引き上げました。これにより現在湯釜火
口から1km以内の入山が規制、入り禁止になっています。

▼草津白根岳【データ】
【所在地】
草津白根火山は群馬県草津町にあるが、現在も活動中の白根山(2160
m)と、その南の旧火山最高点2171mの本(もと)白根山(草津
白根山)の総称としてある。JR吾妻線長野原草津口駅の北西16
キロ。JR長野原草津口駅からバス、白根火山バス停下車、さら
に歩いて2時間30分で探勝歩道最高地点。現在湯釜火口から1k
m以内の入山が規制で立ち入り禁止。

【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定):第41番選定(日本二百名山、
日本三百名山にも含まれる)

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・探勝歩道最高地点:北緯36度37分13.75秒、東経138度31分
50.34秒

【地図】
・旧2万5千分1地形図:上野草津

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典10・群馬県』井上定幸ほか編(角川書店)
1988年(昭和63)
・『信州山岳百科・3』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本歴史地名大系10・群馬県の地名』尾崎喜左雄ほか(平凡社)
1987年(昭和62)
・『名山の民俗史』高橋千劔破(河出書房新社)2009年(平成21)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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