山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼946号「榛名山掃部ヶ岳と榛名湖の主」

【前文】
榛名山はかつては「イカホ」と呼ばれていたが、榛名神社が栄え
るに従いもうひとつの伊香保神社と統一、山も榛名山と呼ばれる
ようになったという。昔、殿さまの木部姫が榛名湖に入り大蛇の
姿になった。供の者はカニの姿になり、沼の掃除をして守っている
という。・群馬県高崎市と吾妻町との境。

・【本文】は下記にあります。

▼946号「榛名山掃部ヶ岳と榛名湖の主」

【本文】
JR上越線の下りが高崎駅を過ぎるころ、左の車窓から見えてくる
榛名山(はるなさん)。複雑に重なり合い次々に形を変える眺めは
すばらしい。この山は広いすそ野をもち、二重式火山で、榛名山
は上毛三山の1つ、東は利根川を隔てて赤城山と向かい合ってい
ます。カルデラ内に中央火口丘の榛名富士と火口原の榛名湖があ
り、外輪山に最高峰の掃部ヶ岳(かもんがたけ・1448m)、臥牛山
(ねうしやま)、烏帽子岳、鬢櫛山(びんぐしやま)などがありま
す。山腹にはいくつかの寄生火山もあり、火口原は美しい高原で、
榛名県立公園に指定されています。

東斜面には伊香保温泉があって、西斜面に榛名神社が鎮座してい
ます。『日本の山1000』(山と渓谷社)によれば、最高峰の掃部ヶ
岳の名は、地蔵信仰に関係があり、山頂の南に直立する地蔵岩の
形状から牙門(がもん・本陣のある軍門)の名が生まれ、後に当て
字されて掃部になったという。また平安時代、宮中の酒掃、鋪設
を司った役所、掃部寮(かもんりょう)長官掃部頭(かもんのかみ)
に関係する名だとの説もあるようです。掃部岳というのは宮崎県に
もあり、掃部は「かんもり」とも読み、冠の当て字でこちらは冠状
に盛り上がった山の意だという。

掃部ヶ岳山頂からの眺望は、谷川連峰や浅間山などが眺められ
ます。榛名山はかつては「イカホ」と呼ばれ、『万葉集』巻十四の東
歌(あずまうた)のなかに、「伊香保嶺(ね)に雷(かみ)な鳴りそね吾
(わ)が上(へ)には、故(ゆえ)は無けども児らはよりてぞ」
とか、「伊香保呂(ろ)に雨雲い継(つ)ぎかぬまずく、人とおた
はふいざ寝しめとら」などの歌があり、伊香保嶺(ね)や伊香保
呂(ろ)の名で詠まれています。伊香保(イカホ)のホは、穂高
や高千穂と同じように「穂=峰」であり、イカは雷(いかずち)
の意ではないかという。

こうして伊香保の山だった山が、榛名山という名に変わったのは、
かつてはこの山に伊香保神社と榛名神社と2つの神社があったので
すが、中世以降、榛名神社が山岳信仰から天台修験行者による
道場として栄えると榛名神社が有名になり大きくなってきて統一され、
伊香保山から榛名山へ呼び方が変わったとされています。榛名山
は伝説の山でもあります。有名なところでは「赤城と榛名の神争
い」があります。むかし、榛名山と赤城山に鬼がいて子供の時か
ら仲が悪かった。榛名山の湖のまわりにはバラが生えていおり、赤
城山の湖のまわりには小石がたくさんあったという。鬼たちはけん
かをするたびに、お互いに小石やバラを投げ合っていました。その
ために、いまでも赤城山にはバラがたくさんあり、榛名山には小石
がたくさんあるのだという。(『群馬県史』から)。

また「榛名湖の木部姫」というのもあります。昔、木部様という殿
さま(高崎市木部町)の姫が病気になり、榛名山に治癒の願をかけ
ました。そして榛名山にお参りにきたとき、榛名湖で水遊びをした
いといいはり、駕篭から降りて湖の中に入ってしまったという。姫
が湖の真ん中あたりで大蛇の姿になってあらわれました。供の者は
驚いて次々に湖に入りカニの姿になり、湖の掃除をしてはお姫さま
を守っているという。そのため榛名神社にお参りに行く人はカニを
食べてはいけないそうです。そしていつか5月5日には赤飯を重箱
などに入れて、蛇にやるため榛名湖の中に流すようになりました(こ
れに似た「善導寺の開山」という伝説もあり)。

その後の話です。冬に榛名湖の氷を切って取る「氷かき」のとき、
鋸の歯が湖の中に住んでいる姫の体にあたり、生傷が絶えなかった
という。耐えられなくなった姫は、室田(高崎市旧榛名町)の長年
寺の井戸に引っ越ししました。そのころから長年寺には、毎晩のよ
うに若者が将棋を指しにあらわれるようになっていました。不思議
に思った住職たちは正体を問いつめたところ、「自分は榛名の主で
大蛇の姿をしています。迷惑をかけました。明日この門から引っ越
しします」という。寺では大蛇が井戸から引っ越すというのでひと
目見ようと大騒ぎ。いよいよその時刻になりました。すると台所に
チョロチョロッと小さいドジョウのようなものが入ってきたと思う
と、門の方へ行って雲に乗って天に昇って行ったという。一同はた
だ呆然。

姫様は別れのとき、「榛名湖にひごいの主を置いていくので、12人
分の食事を与えてほしい」といい残しました。それからは5月の節
句には木部の人たちは12人分のお膳ごしらえをして沼へ沈めてやる
ようになりました。沈めると食べ物はなくなり、お膳だけが浮いて
くるということです。このあたりでは子供が数え2歳になると、榛
名神社にお参りに連れて行き、、榛名湖へまわってくるのがならわ
しになっており、榛名湖のひごいとまごいが子供を守ってくれるの
で元気に育つといい伝えられています。(『群馬県史』から)。

また南北朝時代に成立した『神道集』(しんとうしゅう)に、「赤
城大明神の妹伊香保姫が夫高光中将のあとを追って伊香保沼に入水
し、伊香保大明神になったという。同書には上野国司らが伊香保の
山と沼を汚したため、伊香保大明神が山の神たちに沼東方のくぼ地
沼平に石楼を造らせて彼たちを閉じこめた話や、赤城沼の竜神?佐
羅摩女(おんさらまにょ)と伊香保沼の竜神吠尸羅摩女(べいしら
まにょ)が沼争いをしたとき、西からは毛垣(未詳)を、東からは軽
石をとって各々川から投げた話などが記されています。

またこんな伝説もあります。昔、上野(こうずけ・群馬県)の天狗
と駿河(するが・静岡県)の天狗が山造りの競争をすることになり
ましたた。群馬の天狗は後に榛名湖になったところを、静岡の天狗
は甲府盆地を掘った土を積み上げて山にしようと思いました。群馬
の天狗がもうひともっこ分の土を山の下まで掘りあげたところで夜
明けの一番鶏が鳴いてしまいました。もうひともっこあげると静岡
の天狗のつくった富士山と同じに高さなるはずでした。群馬の天狗
は地団駄踏んでくやしがったという。いま榛名富士の麓の小山を「ひ
ともっこ山」と呼ぶのはここからきています。

ここには弘法大師の伝説もあります。榛名山の天狗山の下に、九十
九谷(つくもだに)という所があります。昔、弘法大師は霊場にな
る場所を求めて全国をめぐっているうちに、ここに寺をつくろうと
おもいました。寺を築くのには100の谷が必要でした。ところが昔
からすんでいる天狗がこれを聞きつけてジャマをしようとしまし
た。天狗は100ある谷の1つを埋めて、隠そうとしました。しかし
谷が深くて埋められません。

そこで、常々、弘法大師が山を女人禁制にするといっていたのを思
い出し、天狗は女の道具をつくり、弘法大師の通る道にそれを置き
ました。弘法大師は谷を数えながらやってきました。女の道具があ
って驚きましたが、かまわず先に行った。しかし谷は、99谷しかな
く1谷足りません。というのは弘法大師は女の道具があったところ
で、1つ数え忘れていたのでした。弘法大師はそれに気づかず、あ
きらめて紀州へ行って高野山に寺をつくったということです。

中世以降、山岳宗教が盛んになるにつれ仏教と習合し、隆盛をみ
た榛名神社も、明治に入ると明治政府により神仏分離令が発布さ
れ、廃仏棄釈がおこります。暴徒たちは、手当たり次第に仏教関
係の建物、経典、仏像などが焼き払い壊していきます。こんな話
も伝えられています。甘楽郡高瀬村(富岡市)出身の国学者・新
井守村(あらいもりむら)という人は、明治3年(1870)5月、
榛名山に登り、梵鐘を鋳つぶして、運慶作と伝えられた山門(現
随神門)の仁王像を壊し、石地蔵を押し倒し打ち砕き破壊の限り
を尽くしました。地元の『群馬県史』は「其状後世学者の非難を
免れざる点少なからず。この学者にして別人の感あり。真に惜し
むべし」と新井守村を評しています。

榛名神社の手水舎の向かいにある「矢立杉」は国指定の天然記念
物。永禄9年(1566)武田信玄が榛名山ろくの箕輪城を攻めた時、
榛名神社に戦勝祈願、勝利したとき、弓矢をこの杉の根もとに立
てて、お礼の参拝をした記念なのだという。室町時代の連歌師飯
尾宗祇(いいおそうぎ)は、文亀2年(1502)、死を前にして伊香
保を訪れてました。病んでいる中風には草津の湯がいいと、弟子
たちに連れられてやってきたという。

「宗祇終焉記」には「同じき国に伊香保といふ名所の湯あり、中
風の為によしなど聞きて」とあります。宗祇は湯治のおり、弟子
たちと連歌の座を開き「手折りなど花やいひ初し杜若(かきつば
た)」と詠んだという。伊香保を愛し伊香保で死んだ徳富蘆花は、
『不如帰(ほととぎす)』の舞台を伊香保としました。外輪山の登
った天神峠には塩原太助が寄進した常夜灯もあります。榛名神社
のお札は虫除け・嵐除け・雷除けで雨乞いの神として信仰されま
した。
▼榛名山掃部ヶ岳【データ】
【所在地】
・群馬県高崎市旧榛名町と吾妻町との境。JR高崎線高崎駅の西2
0キロ。JR高崎線高崎駅からバス、榛名湖畔停留所下車、さらに
歩いて1:30で掃部ヶ岳。写真測量による標高点(1449m)があ
る。

【名山】
・「日本二百名山」(深田クラブ選定):第137番選定(日本百名山
以外に100山を加えたもの・日本三百名山にも含まれる)
・「ぐんま百名山」(群馬県選定):第83番選
・「新・花の百名山」(田中澄江選定・1995年):第39番選定

【位置】
・掃部ヶ岳標高点1449m:北緯36度28分39.26秒、東経138度51分2.
97秒

【地図】
・旧2万5千分1地形図名:「榛名湖」長野2-3

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典10・群馬県』井上定幸ほか編(角川書店)
1988年(昭和63)
・『上州の伝説』(日本の伝説27)(角川書店)1978年(昭和53)
・『神道集』安居院作(南北朝時代の説話集)(東洋文庫・94)貴
志正造・訳(平凡社)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本伝説大系4・北関東』(茨城・栃木・群馬)渡邊昭五ほか(み
ずうみ書房)1986年(昭和61)
・『日本歴史地名大系10・群馬』(平凡社)1987年(昭和62)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新社)2004年
(平成16)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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