山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼904号 長野県大町市・青木湖の伝説

JR大糸線沿いにならぶ仁科三湖。神秘的な青木湖は大きさも深さ
も1番。昔、湖の西岸で赤牛が子牛を生んだ。子牛は母と別れ東岸
のお百姓さんの家で飼われることに。親を呼ぶ子牛の悲しい鳴き声
に母牛は湖に飛び込み泳ぐうち、力つきて沈んでいった。以来、青
木湖のヌシは赤牛だといわれようになったということです。
(本文は下記にあります)

【本文】

長野県松本駅からJR大糸線で、大町駅を過ぎて間もなく左側に湖
が3つならんであらわれます。手前から木崎湖、中綱湖、青木湖で、
仁科三湖と呼ぶそうです。この三湖はそれぞれ「遊びの木崎湖」、「憩
いの中綱湖」、「思索の青木湖」ともいわれ、釣りやキャンプなどで
多くの人に親しまれています。

仁科の名前は、この地を治めていた豪族の名前からきているという。
この豪族は、伊勢神宮領仁科御厨の御厨司(荘官)である仁科氏で、
次第に勢力をこの地まで拡大していったと聞きます。この3つの湖
ができたのにはこんな伝説が残っています。『語り継ぐ 大町の伝説』
によれば、昔、日本海にどういうわけか「仁王」さまがいたという。

そのころ、大町の東山は西山(昔は鹿島槍ヶ岳あたりをただの西山
といった)のように高かったそうです。それを見た仁王は、東山を
もっと低くしようと大股に足をのばしました。そして、最初に足を
おろしたところが青木湖だったという。

仁王さまは、そこから手を伸ばしましたが、まだ東山には届きませ
ん。そこで足を引きずって、おろしたところが木崎湖になりました。
引きずった跡が中綱湖になったのだという。なるほど引きずっただ
けできた中綱湖はそのために小さいのか。仁王さまは難なく東山を
いまのように低くしてしまったということです。

ところで3つの湖のうち最も大きい青木湖は、ハート形をしていて
面積約1.8平方キロ、湖面の長軸は南北に2193m、最大幅は北部
で1350m、長野県下最も深く(62m)で、透明度は8m。湛水容
積は5400万立方mだという。この湖には流れ込む川がなく、底か
ら湧いているのか、冬でも結氷しないそうです。

また、青木湖は北側の水面の下40mくらいのところから地下へ水
が漏れる所があり、その水は北方の佐野坂(さのざか)地区の下を
通って北安曇郡白馬村大字神城の佐野へ湧き出し、糸魚川市から日
本海に注ぐ姫川の水源になっているといいます。

青木湖がこんなに大きくなった理由としてこんな伝説もあります。
大昔、このあたりはまだただの湿地帯でした。青木湖もそのなかの
小さな池だったといいます。その池のほとりに「オエ」という家が
あり、7歳になる女の子がいました。

ある日、女の子が湿地帯を歩いているうち、この池に落ちて死んで
しまいました。それからしばらく経って女の子の命日に法事をやっ
ている最中、死んだはずの娘がひょっこりあらわれました。驚いた
親たちが「わりゃ、ここに来られる体ではねえど」といいました。
すると娘は突然蛇の姿に変わり、「のんのん」と座敷なかを這いま
わるではありませんか。

父親はさらに驚き「わりゃ、そんななりになっただか。そんな姿を
人に見せるってことはねえ、早く姿をかくせ」といいました。する
と蛇はそのまま家のなかから出て、池に入っていったという。それ
からというもの、池はまわりがだんだん削れていまのように大きく
なったということです。

さらに青木湖のヌシは赤い牛だという伝説もあります。その昔、青
木湖の西岸の青木村に飼われていた赤い牛が美しい子牛を生みまし
た。それを見た東岸の加蔵(かくら)村のお百姓さんがとても気に
入り、ぜひにと譲り受けていきました。母親と分かれた子牛は連れ
て行かれた加蔵村の岸辺で夜昼かまわず泣きつづけました。悲しそ
うな子牛の泣き声は向こう岸の母牛の所にも届きました。

子牛の悲しそうな泣き声に耐えられなくなった母牛は、月夜に湖に
飛び込んで声を頼りに泳ぎはじめました。しかし、湖はあまりにも
深く水も冷たい。とうとう途中で力つき、母牛は湖の底に沈んでし
まったのです。それからというもの、青木湖のヌシは赤牛だという
ようになりました(『北安曇郡郷土誌稿 口碑伝説篇』3冊・昭和
5〜12年刊)。

一説には武田信玄が、西山勘平の案内で青木湖で舟遊びをしたとき、
かわいがっていた2頭の牛が、舟を追って湖に入り、1頭が沈んだ
ままになってしまったという。信玄は唱えごとをいいながら「湖の
ヌシになれ」といったともいわれています。

青木湖北西岸には千国街道(塩の道)が通っています。それに沿っ
て点在する観音の石仏(西国三十三番観音)は、文政12年(1829)、
佐野坂の庄屋文五郎が、吹雪の時の道標として、高遠の石工・伊藤
堅吉に依頼して雪深い佐野坂越えの道しるべとして祭ったものとい
います。いまも佐野坂から青木湖のエビスマ原まで、木々の根元に
は点々と観音像がたたずんでいます。

この夏、遠見尾根登山口のスキー場「白馬五竜エスカルプラザ」で
山のイラスト展を開催させていただく機会を得ました。その会場へ
お邪魔するついでに、一家と孫娘を連れ、青木湖畔で1週間テント
を張りっぱなしにしたことがありました。スワンのボートに乗った
り、浮き袋を抱え湖に飛び込む孫の姿。自転車を借りてサイクリン
グ、塩の道の観音さまがほほえんでいます。

雄大な稜線をバックに遠見尾根高山植物園や八方尾根を歩きます。
孫娘の後ろ姿が娘の少女のころとそっくりです。30数年前、子供
たちを連れて縦走した姿が重なり不思議な感じです。もう2度とな
いであろう貴重な時間でありました。

▼青木湖【データ】
【所在地】
・長野県県大町市。JR大糸線簗場駅の北東1.5キロ。JR大糸線
簗場駅から歩いて35分で青木湖。地形図上に湖名のみ記載。

【位置】
・青木湖:北緯36度36分45.8秒、東経137度51分4.3秒

【地図】
・旧2万5千分1地形図名:神城(高山1号-3)

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『語り継ぐ 大町の伝説』大町民話の里づくり もんぺの会(一草
舎出版)2007年(平成19)
・「日本歴史地名大系20・長野県の地名」(平凡社)1979年(昭和54)

ゆ-もぁイラスト・漫画家・
山と田園の画文ライター
【とよだ 時】

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