山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼880号 房総・養老渓谷梅ヶ瀬と大福山

養老渓谷近くの梅ヶ瀬渓谷旧日高邸宅跡。1400本の梅の木を植え
て「梅ヶ瀬」と命名「西の月ヶ瀬、東の梅ヶ瀬」ともいえる名所を
目指し梅を植林。産業の啓発と文学の普及を目的に私塾「梅ヶ瀬書
堂」を開いた日高誠実。しかし、地の利悪く台風で川は氾濫、つい
に明治34年梅ヶ瀬書堂は閉鎖したという。
(本文は下記にあります)

▼岩手山と早池峰山、姫神山の三角関係

【本文】
梅林で有名なものに奈良県奈良市月ヶ瀬(月ヶ瀬村)の月ヶ瀬梅林
があります。村内を流れてる名張川(五月川)渓谷沿いには、約1
万本の梅が植えられ、「月ヶ瀬梅林」として1922年(大正11)国
の名勝に指定、1950年(昭和25)の名勝再指定時に月瀬梅林とし
て登録されているそうです。

鎌倉時代の1205年(文久2年)、村内の真福寺境内に天神社を建立
するとき、菅原道真が好んだ梅を植えたのがはじまりとか。それを
習って房総に梅林の理想郷をつくろうとしたのが、養老渓谷の西に
隣接する梅ヶ瀬渓谷。

養老川が小湊鉄道養老渓谷駅近くから支流ウラジロ川(浦白川)と
して南西に分れ、大福山東南の丘陵部を浸食、4キロにもつづく梅
ヶ瀬渓谷です。渓谷の最深部、大きなカエデの大木の下に旧日高邸
宅跡があります。

ここはかつて日向国(宮崎県)高鍋藩士だった日高誠実(のぶざね)
という人が入植、開拓したところ。日高誠実は、天保7年(1836)
生まれ。江戸で古賀謹一郎に学び、1868年(明治元)藩校明倫堂
教授になりましたが、1872年(明治5),陸軍省に入りました。

そこの参謀本部で地図づくりをしているときに房総のこの渓谷を知
ったという。そして官有地188町歩(18.8ヘクタール)を20年間
無償で借り受け、近隣10ヶ村民を説得、1886年(明治19)、1400
本の梅の木を植えて「梅ヶ瀬」と命名「西の月ヶ瀬、東の梅ヶ瀬」
ともいえる梅の名所を目指したという。

3年後の1888年(明治21)には、産業の啓発と文学の普及を目的
に私塾「梅ヶ瀬書堂」を開きました。日高誠実を慕って若者が大勢
集まり、門弟には旧藩主秋月種樹や三好退蔵、国定書き方手本揮毫
の日高秩父、香川松石らもいたという。寄宿舎もあり、全盛には市
原、君津、山武、夷隅の5郡から通学していたそうです。

しかし、山奥のこの地はあまりに地の利が悪く、台風や豪雨で山は
崩壊、川は氾濫、梅の苗も根こそぎ倒され、養魚場も荒らされ放題。
復興に精を出しますが、ついに1901年(明治34)梅ヶ瀬書堂は閉
鎖。1915年(大正4)人々に惜しまれながら80歳の生涯を閉じた
そうです。旧日高邸の梅ヶ瀬山荘は牛久町へ移築、旅館になったと
いう。秋、ここの紅葉は格別です。

以前、知人とここにテントを張って泊まりました。チョロチョロ流
れる川沿いでたき火を囲み、崖いっぱいを染める紅葉に見とれ、コ
ップを酌み交わし、持ってきた地酒がたちまち空になったことがあ
りました。いまあるカエデはその当時植えたものだそうです。

そこから少し引き返し、急坂を上り車道に出たら左に進むと大福山。
大福山は、養老方面から見ると山の形がかぶとに似ているので冑山
ともいったと古書にあるそうです。広い山頂には日本武尊をまつる
白鳥神社があり、神社境内には山神社、愛宕神社などの古い石祠(せ
きし)がならんでいます。この神社は地元の農民の雨ごい祈願の場
所になっていたそうです。

日本武尊は滋賀と岐阜県境の伊吹山の山の神と戦いに敗れ、三重県
鈴鹿市能褒野(のぼの)で息絶えたといいます。その後、白鳥にな
って飛び去り、のち遠く千葉県の鹿野山に飛んできたという伝説
があり、鹿野山の一峰・白鳥峰肩には日本武尊をまつる白鳥神社
があります。大福山周辺にも日本武尊伝説があり、そんなところ
から祭神を日本武尊にする白鳥神社にしたのでしょうか。

ただ白鳥神社の祭神はいまは日本武尊ですが、以前は蔵王権現を
まつってあったという。これは明治初年の神仏分離で廃仏棄釈の嵐
が吹き荒れ、仏教に関係ある寺や仏像が壊されたとき、その被害に
あわないよう祭神を変更したのだろうとされています。同じ道を戻
ると展望台もあります。

▼梅ヶ瀬【データ】
【所在地】
・千葉県市原市。内房線五井駅のりかえ小湊鉄道・養老渓谷駅下
車、さらに歩いて1時間で梅ヶ瀬渓谷旧日高邸宅跡。標高点(112
m)がある。説明板・記念碑がある。地形図に旧日高邸宅跡の文
字。そのほか付近に何もなし。

【位置】
・標高点:北緯35度14分59.9秒、東経140度7分42.3秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図:「大多喜」

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典12・千葉」(角川書店)1984年(昭和59)
・『再発見 房総の山』伊藤大仁(玄同社)1998年(平成10)
・「日本歴史地名大系12・千葉県の地名」小笠原長和ほか(平凡社)
1997年(平成9)
・「房総の山」千葉県山岳連盟(千秋社)1977年(昭和52)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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