山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼878号 「北アルプス・鹿島槍ヶ岳」

【概略】
北アルプス後立山連峰にある鹿島槍ヶ岳は山頂が二つに分かれた双
耳峰。山頂がとがっており、「鹿島にある」槍ヶ岳というので鹿島槍ヶ
岳。深田久弥選定「日本百名山」にも選定されています(第47番)。
かつては北峰を槍ヶ岳、吊り尾根が馬の鞍に似ているため南峰を乗
鞍岳と呼ぶ地域もあったといいます。
・長野県大町市と富山県立山町と同県黒部市との境。

(本文は下記にあります)

▼北アルプス・鹿島槍ヶ岳

【本文】
山の名前には山の形からきたものがたくさんあります。槍の穂先の
ようにとがっているので名づけられたのが槍ヶ岳。また、後立山連
峰北部の白馬三山にもとがった山があって、これには槍と同じ意味
の「鑓ヶ岳」の字を当てています。

さらにもう一座、同じ後立山連峰中央部にもとがった槍ヶ岳があっ
て「鹿島槍ヶ岳」と呼んでいます。この山は南北二つの双耳峰で、
かつては北峰を槍ヶ岳、2峰の間をつなぐ吊り尾根が馬の鞍に似て
いるため、南峰を乗鞍岳と呼ぶ地域もあったといいます。

また双耳峰の二つの峰が高さ競争をしているようなので「背比べ
山」、また春に雪が消えた岩の形が、安曇野一円からシシやツルに
見えるところから、獅子ヶ岳、鶴ヶ岳と呼んだも呼んだそうです。
いまの鹿島槍ヶ岳の山名は明治時代以後つけられたものだそうで
す。

北東直下には平家の落人伝説のあるカクネ里と呼ばれる所があり
ます。ここはかつて源氏に追われた平家の落人が住みついていた
ところだというのです。落人たちは、のちになって、大川沢をく
だりいまの鹿島川のほとりに移り住み、田畑を切り開いていまの
鹿島槍ヶ岳山麓、大町市鹿島集落になったというのです。

しかし困ったことに、古文書や武具など、証拠となるものは一切
残されていないといいます。1916年(大正5)と1922年(大正11)
の2回の火事で土蔵にあった過去の資料がすべて焼失してしまっ
たというのです。しかも肝心な鹿島集落では「カクネ里」伝説な
ど知らないという。

そのうえ、集落内の鹿島神社に大同2(807・平安初頭)年の記録
があり、それによると平家追討以前にすでに人が住んでいたこと
になってしまいます(『あしなか第九七輯』)。

そこで研究者たちが、古文書や地形語などを考察し、カクネ里(隠
れ里)の言葉の変化や、また柳田国男の例などから、カクレをカ
キクレ、サトはザトウ、サコまたはセトをあげ、いろいろな角度
から探ったりして検証をしています。

また登山の大先輩羽賀正太郎氏は、もっと単純に「鹿島槍北峰」
など、登山者が必要に応じて地名をつけたように、狩人や杣人な
ど山村民が何かのことを仲間に話すとき決まった地名がないため
に、人が隠れ住むに都合がよい地形から「カクネ里」の名が生ま
れたのではないかとしています(同書)。

いずれにしても現地は普通ではとても遡行できない大川沢の奧の
奧、雪崩や雪塊の崩落が名物のような場所。とても人の住めるよ
うな所ではないといいます。しかし確かに下流の鹿島集落は平家
の落人だという説は根強く残ったままです。

また、江戸中期の享保9年(1722)、時の松本城主忠幹が政事の一
助にと作らせた「信府統記(しんぷとうき)」(全32巻、松本藩内
の総合書)の第六巻に、「鹿島山(鹿島槍ヶ岳)と名づけたるは、
昔、鹿島明神出現ありしとて此処に祭りしより今に此名あるなり」
とあります。戦国時代の天文年間(1532〜55年)に地震があって、
山が大崩壊してふもとの集落に大きな被害をもたらしたという。

村人は、常陸の国(茨城県)にある鹿島神宮の、地震の神である鹿
島明神を山に祭り、村の中に鹿島明神を建て、集落の名を鹿島集
落、山の名を鹿島山、さらに集落の中を流れる川を鹿島川と改め
たという。

しかし、いまの鹿島集落の場所では、鹿島槍ヶ岳の直下からはず
れているため、崩壊で被害を受けるとは位置的にちょっと考えに
くいですよね。あるいは、鹿島槍北壁直下の「カクネ里」にいた?
 ときの話なのかもしれませんね。

鹿島集落の名のもとについては異説があって、集落を流れる鹿島
川が氾濫したときに鹿島神社を勧請し、鹿島という集落名が起き
たとする本もあります。鹿島は、大町平にある旧借馬村(かるま)
の枝郷になっています。

 ある8月、白馬岳方面から南を目指して縦走してきました。暑さ
ジリジリ。鹿島槍ヶ岳吊り尾根にある雪田に入り込み、雪で顔を洗
います。日光が雪の白さに反射して目が痛いほどです。上空は気流
が激しいためか、上がったり下がったりガスが忙しく動いています。

 地震の神・鹿島明神のお陰でこんなに穏やかなんだ。こん夜は冷
池のテント場泊まり。布引山を越え、ホシガラスがマツボックリを
つついているのを横目に見ながら、ハイマツの中へつづく山道に入
っていくのでありました。

▼【データ】
★【所在地】南峰と北峰がある。
・長野県大町市と富山県中新川郡立山町と富山県黒部市宇奈月町
(旧下新川郡宇奈月町)との境。大糸線信濃大町駅の北西15キロ。
JR大糸線信濃大町(タクシー20分)大谷原から歩いて8時間45
分で鹿島槍ヶ岳南峰、さらに歩いて30分で北峰。

南峰には二等三角点(2889.1m)、北峰には写真測量による標高点
(2842m)がある。地形図に鹿島槍ヶ岳の文字記載。その他それ
ぞれに南峰の文字と三角点の標高、北峰の文字と標高点の標高の記
載あり。付近に何も記載なし。

★【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第47番):日本二百名山、日本三
百名山にも含まれる。
・清水栄一選定「信州百名山」(第53番)

★【位置】
・【北峰標高点)】北緯36度37分37.38秒、東経137度45分7.05秒
・【南峰三角点)】北緯36度37分28.3941秒、東経137度44分49.39秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「十字峡(高山)」or「神城(高山)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「高山−大町」

★【参考文献】
・「あしなか597輯」(信州カクネ里考)山村民俗の会
・「角川日本地名大辞典・長野県の地名」(角川書店)1990年(平
成2)
・「角川日本地名大辞典・富山県」(角川書店)1979年(昭和54)
・「北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗」長沢武(郷土出版社)
1986年(昭和61)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「信府統記」第六巻(信濃国郡境記四安曇郡の部)享保9(1724
年)
・「日本歴史地名大系16・富山県の地名」高瀬重雄ほか(平凡社)
1994年(平成6)
・「日本歴史地名大系20・長野」(平凡社)1990年(平成2)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

山旅イラスト【ひとり画展通信】題名一覧へ戻る
………………………………………………………………………………………………