山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼872号 「南アルプス前衛入笠山・ふたつの清水伝説」

▼南アルプス前衛入笠山・ふたつの清水伝説

【本文】
スズランで有名な入笠山(にゅうがさやま・1955.1m)は南アルプ
スの最北の前衛の山。見晴らしよい山頂には二等三角点があって登
山者の憩いの場所になっています。ここからは霧ヶ峰、蓼科山、八
ヶ岳連峰、南アルプス、中央アルプス、また富士山、秩父連峰、北
アルプスまで360度の展望が望めます。

山名は、山の形が稲を刈り取り束にして重ねた「にお」に似ている
ところから、「にお笠山」がなまって「にゅう」になり、入笠山に
なったといわれています。この山は湧き水が豊富なところで、「首
切り清水」、「頼重水」などもあります。

山頂から南東にある仏平(ぶっぺい)峠の車道わきにある「首切り
清水」は、昔、高遠藩の金奉行が江戸に参勤の藩主のもとへ金を届
けるために、近道をしていまの長野県伊那市(旧上伊那郡高遠町)
山室三義地区から山すそを経てここまでたどりつき、この清水で喉
をうるおそうと腹ばいになったところを、後からつけてきた盗賊に
首を切られたという伝説が残っています(看板)。

それとは別に、ある時山廻りの役人がやってきました。この峠は近
ごろ賊が出るといううわさがあります。武士は汗がびっしょりでの
どもカラカラ。とにかく水が飲みたい。清水に近寄り口を近づけ、
水を飲み始めました。と、清水に人影が映りました。

人影は刀を振り上げています。武士は素早く身をよじり刀をかわし
自分の刀で人影の首を切り落としました。首は血を吹き上げながら
落ちていきました。そこでついた名前が「首切り清水」だという(「ア
ルプスの伝説」)。この清水はいまは飲めなくなっています。

また、中央線富士見駅の南西に富士見町若宮という地区があります。
そこからの入笠山山頂に向かう登山道のわきに「頼重水」という清
水があります。

ここはかつて諏訪頼重(すわよりしげ)が、富士見町落合で武田晴
信(信玄)と戦い、敗れて入笠山に逃れる途中、のどの渇きをいや
そうと杖で地を掘ったところに湧いた清水だとされています。

諏訪頼重は、信濃国(長野県)諏訪を根拠とした戦国大名。1539
年(天文8)、諏訪総領家を継ぎ、同年甲斐国の武田信虎の娘をめ
とり、甲斐国との同盟関係を結んでいました。しかし武田晴信(信
玄)は、父親・武田信虎を追放してしまいます。

それからは関係は一変し頼重を攻撃。1542年(天文11)6月、と
うとう信玄に降伏。頼重は弟の頼高と共に武田氏の本拠の甲府に連
行され、迫られて同年7月20日自殺しました。入笠山は、7、8
月になるとスズランやコオニユリ・エゾカワラナデシコ・アカヌマ
フウロ・ヤナギランなどが見ごろになります。

▼入笠山【データ】
★【山名・異名・由来】
・入笠山(にゅうかさやま)ニュウとは方言で、1本の高い柱に稲
束をかけていくこと。稲積みともいいその山成になった形が菅笠に
も似ている。山の形が刈り取った稲の束を積み重ねた「にお」に似
ているところから「にお笠山」がなまって入笠山。入笠山登山口を
御所平峠といっているが、御所平は、足利時代初期、豪族諏訪氏に
よって保護されていた北条高時の息子相模二郎時行の屋敷があった
ところといわれている。また、一説には南北朝時代、軍事上の重要
な通行路として、南朝の宗良親王がいくさの指揮をとるため滞在し
た場所だともいわれている。

★【所在地】
・長野県伊那市(旧上伊那郡高遠町)と同県伊那市(旧上伊那郡長
谷村)、同県諏訪郡富士見町との境。中央本線富士見駅の西南西6
キロ。JR中央本線青柳駅からタクシー入笠山。二等三角点(1955.
1m)がある。地形図に山名と三角点の標高の記載あり。付近に何
も記載なし

★【名山】
・日本山岳会選定「日本三百名山」(第240番選定):日本百名山以
外に200山を加えたもの。
・清水栄一選定「信州百名山」(第90番選定)

★【位置】
・【三角点】:北緯35度53分46.76秒、東経138度10分17.76秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「信濃富士見(甲府)」。5万分の1地形図
「甲府−高遠」

★【参考】
・「アルプスの伝説」山田野利天著(株・ナガザワ)発行年不明
・「角川日本地名大辞典20・長野県の地名」(角川書店)1990年(平
成2)
・「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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