山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼862号 「尾瀬沼のほとりに牛を入れるな」

【本文】

高層湿原と池塘(ちとう)・浮島、それに高山植物の花々にいろどられる尾瀬沼、尾瀬
ヶ原。その尾瀬沼のほとりは、昔は会津(福島県)と上州(群馬県)を結ぶ重要な荷役
街道だったといいます。

この街道(会津側では沼田街道、上州側では会津街道と呼んだ)は、沼田から高平
(白沢村)、追貝、戸倉、三平峠、三平下を経て、沼山峠、桧枝岐さらに会津若松ま
で(戸倉から)140キロにもおよび、すでに平安時代から利用されいたらしいという。

江戸時代になると物資の行き来が盛んになります。交易物は、上州側からは日用雑
貨、油、塩など、会津側からは米、酒などだったそうです。かつては尾瀬沼東岸の三
平下にあったイチイの木の下が荷を持ち寄る中継所で、上州や会津の片方が荷物
をそこに置いて帰ると、もう片方がそばの木の株の上に代金を置き荷を持ち帰ったと
いう。そんなふうでも荷物や金がなくなった事は一度もなかったというから大したもの
ですネ。

その後、双方の馬子が相談のうえ、ここに小さな小屋を建てて交易小屋にして、米・
味噌などを置くようにしたといいます。この交易小屋は明治の中ごろまであったとい
う。

ところで尾瀬沼の周辺には、牛を入れてはいけないどころか「牛」という言葉も発して
はならぬとの掟(おきて)があるそうです。もしこの掟を破ると、沼のヌシが怒り黒雲を
呼んで大暴風雨がおこり、また荒波で尾瀬沼の魚を殺してしまうという。

しかし、沼のヌシは村人が干ばつの時などこの沼の水で雨乞(あまご)いをすると、雨
雲を呼んで雨を降らせてくれたといいます。この沼のヌシの正体は赤い牛だというの
です。

平安時代末期(治承のころ)、尾瀬(小瀬とも書く)大納言藤原頼國(おぜだいなごん
ふじわらのよりくに)という、やんごとなき人物が尾瀬沼(古くは長沼または鷲沼とも呼
ばれていた)のほとりに住んでいたといいます。

尾瀬大納言は高倉宮以仁王(もちひとおう)に仕えていた武将。伝説では、源平治承
の乱・宇治の戦いで敗死した高倉宮以仁王が実は生きていて、越後へ逃れるため尾
瀬を通りがかったというのです。尾瀬大納言は以仁王のお供をしていましたが、尾瀬
を通る時病気になりここに残ったといいます。

その大納言が赤い牛を飼っていたという。しかしその赤い牛がある時、病で倒れ死ん
でしまいました。大納言は悲しんでそのなきがらを沼に手厚く葬ったといいます。(ま
た一説に尾瀬大納言が亡くなり、残された牛は沼に入って大納言の跡を追い、沼の
ヌシになった。里人は牛を哀れんで、その霊をねんごろに弔ったともいわれます)。そ
して牛は尾瀬沼のヌシになったというのです。

そのヌシはどういうわけか同じ牛が大嫌い。見ると怒って災害を起こすというのです。
池のヌシが怒るのを恐れた村人は、沼に牛を近づけないよう「牛止めの関」までつく
り、また尾瀬沼から上州側の山中山麓には牛が入るのを禁じたという。

このようなタブーが出来たことにはそれなりの理由があったようです。そのころ「沼田
街道」の荷物の運搬は上州側からはもっぱら馬を利用していました。一方会津側は
牛を使っていたのです。会津側で荷役に利用していた牛は1人で、4〜5頭を引いて
いけます。しかし上州側での馬の荷役は、馬子1人で1頭の馬が精いっぱい。馬子の
経費に大きな開きが出てしまい、会津側ががぜん有利です。

そんなことから会津側の「牛追い」と上州側の「馬飼い」の利権争いに発展したようで
す。そんななか、江戸末期の安政3(1856)年、会津側が掟を破り、牛に積んだ荷物
を当時の上州追貝村(おっかいむら、いまの群馬県片品村)まで運んで来たため、上
州側とトラブルをおこしているという。やはり裏には利権がからんでいるのですねえ。

そのほか、牛は野山を厭(いと)わず野宿しながら歩き農作物を食い荒らし、村々が
迷惑するという理由もあったらしいという(『名山の民俗史』高橋千劔破)。ちなみに尾
瀬大納言藤原頼國は、藤原氏の系図にも名前がなく実在の人物とは思えないとくる
から困ってしまいます。尾瀬沼の畔にいまも尾瀬大納言の屋敷跡といわれるところが
あるそうですが確認していません。

▼尾瀬沼ビジターセンター【データ】
【所在地】
・群馬県利根郡片品村と福島県南会津郡桧枝岐村との境。JR上越線沼田駅からバ
ス、大清水から歩いて2時間半で尾瀬沼ビジターセンター。長蔵小屋と、国民宿舎尾
瀬沼ヒュッテがある。

【名山】
・「花の百名山」(田中澄江選定・1981年):第31番選定

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・北緯36度55分37.98秒、東経139度18分57.77秒

【地図】・2万5千分の1地形図「燧ヶ岳(日光)」。5万分の1地形図「−」

【参考文献】
・「尾瀬むかしむかし」第1集(南雲観光物産)
・『名山の民俗史』高橋千劔破(河出書房新社)2009年(平成21)
・『会津の伝説』会津民俗研究会編

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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