山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼844号 「日光でUFOと出逢った行者」

鎌倉時代、宗吽院第19世管主義山法印が日光の山奥で修行中、空
から光り輝く白い雲のような物が降りてきたという。中から異人が
あらわれ義山に不思議な法を伝授。それからは義山は歳をとらなく
なり、また雲や雨風を自由自在に扱えたという。1318(文保2)年
(118歳)まで長生きしたという。
【本文】は下記にあります。

▼844号 「日光でUFOと出逢った行者」

【本文】
未確認飛行物体「UFO」の話題は、忘れたころテレビなどで時々
放映されます。UFOは大昔からよくあらわれていたという話もよ
く聞きます。

突然ですが、宮城県丸森町にある修験(山伏)寺院・宗吽院(そうう
んいん)に残る「宗吽院文書」、「宗吽院史」にはおよそ次のような
ことが載っているといいます。

このお寺の第19世管主に、義山法印という偉いお坊さんがいたと
いう。鎌倉時代はじめの建仁元(1201)年の生まれで「健剛総明に
してよく道法の学を成した」といいます。

若いころは各地の山々を修行して歩いていたという。ある時、日光
の山奥で熱心に修行をしていると、突然空中から光り輝く白い雲の
ような物体が山の中腹に降りてきました。

義山は、はてなと気づきはしましたが、なおも修行をつづけていま
した。すると白い物のなかからこの世のものとは思われない異人が
あらわれて、義山を手招いています。

そこでその中に入ってみると、異人は義山に不思議ないろいろな法
を伝授したというのです。

それからというもの義山法印は歳をとらなくなり、かえって「終世
美童」の姿に見えたというから不思議です。

その上、雲を起したり雨を降らし、風を呼んだり自由自在。数々の
奇端をあらわし「神仙」として有名になり、人々は「今小角(役ノ
行者)」と呼んだそうです。

義山はある時、お上の許しを得て山田村(いまの宮城県伊具郡丸森
町)の山と山の間を堤防で結んで、伊具郡の用水沼を作ったという。

その面積は22町歩余もあって、水下百町歩余りの水田を潅漑する
ような大事業。また、延慶元年(1308・鎌倉時代後期)3月には、
沼の内に弁天さまを勧請、沼の外は星宮(北辰妙見)をまつったと
いう。

義山法印は、文保2年(1318・鎌倉時代後期)1月20日、118歳
で世を去りましたが、その間、100歳を過ぎても山岳修行に没頭す
るほど元気だったという。

義山はかつて雲(のような物)に乗ったことから、法名を乗雲と号
したということです。

宗吽院は、奈良時代の天平9年(737)行基菩薩の開山で、院内に
熊野社を勧請し、清覚寺を建立されています。平安時代初頭の大同
4年(809)に伝教大師が中興したと伝えます。

もと本山派の修験院で、現在は教宗派教団に所属せず、宗吽神院と
も称するという。

▼【宗吽院】データ
・【所在地】宮城県伊具郡丸森町舘矢間木沼宮後
・【緯度経度】北緯37度56分36秒、東経140度46分35秒

【参考文献】
・「山岳宗教史研究叢書16・修験道の伝承文化」五記重編 (名著
出版)1981年(昭和56)
・「日本歴史地名大系4・宮城県の地名」大塚徳郎ほか(平凡社)1987
年(昭和62)

・宗吽院:宮城県伊具郡丸森町舘矢間木沼宮後180。天平9年
(737)、僧行基が聖武天皇の勅願により、紀州熊野大神の分霊を勧
請した修験(山伏)寺院。所蔵の古文書3通が町指定有形文化財

・山田村は (宮城県伊具郡) - 宮城県伊具郡にあった村。現・丸森
町。

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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