山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼824号 石仏紀行「奈良山上ヶ岳・徳利を持つ後鬼」

【概略】
奈良吉野から大峰山を歩く。洞辻茶屋から山上ヶ岳への途中、鐘掛
岩を過ぎるころあらわれる前鬼後鬼の像。前鬼は相変わらず斧を振
り上げ大いばり。そばで後鬼が女房鬼らしく徳利を持って控えてい
る。今回は女性優位の昨今らしく後鬼に焦点を当ててみた。
・奈良県天川村

▼824号 石仏紀行「奈良山上ヶ岳・徳利を持つ後鬼」

【本文】
全国各地の山々80〜90座を開山したと伝えられる役ノ行者小角。
その行者にいつもぴたりと寄り添い、その修行を妨げる外敵を退け
ている二匹の鬼がいます。神社などの石像やお札などでおなじみの
前鬼・後鬼です。

前鬼、後鬼は、仲のいい夫婦の鬼とも伝え、前鬼が赤眼といって夫
鬼、後鬼は黄口で女房だとされています。酒に酔い眼を赤くして歌
を唄う夫鬼を、黄色い口をあけて笑う妻の鬼の姿なのだそうです。

この鬼たちは、もともと大阪市と奈良県生駒市の境にある、聖天さ
んでおなじみの生駒山(642m)に住み、旅びとを襲った盗賊だと
もいいます。役ノ行者39歳、西暦672年(天武元)の時、行者が
修行のため同県平群町の信貴山(437m)の般若窟に籠ります。

すると、どうも行者修行の邪魔をするものがいます。見ると身の丈
3m、牙を生やした二匹の鬼でした。行者に見つかり慌てて逃げる
鬼。

それを飛天の術で追いかけ、生駒山の南東(奈良県側)で捕えた行
者は、二匹の鬼の髪をつかんで南西(大阪側)まで引きずって行き、
髪を切って鬼たちの妖力を封じ込めたという。

その鬼を捕まえた所が生駒市の「鬼取の里」、そして髪を切った所
が東大阪市の「髪切の里」で、それぞれ鬼取山鶴林寺、髪切山慈光
寺があり、地名伝説になっています。

こうして折伏された前鬼・後鬼の2匹の鬼は善童鬼・妙童鬼とも称
し、役ノ行者の身辺を守る従者になります。弟子としては行者の第
一号的存在ながら、いつも後輩としての末弟の位置に甘んじ、義学
から義賢……とつづく行者の系統とは関係なく、ただ献身的に仕え
る行者の従者だったそうです。

701年(大宝元)6月7日、役ノ行者がその母とともに昇天(のち
仙人になって唐へ渡る)してからは、二鬼は大峰山中に前鬼の里を
開拓。自ら天狗に化身して役ノ行者の遺志に従い、大峰山を守護し
ているという。

ある年の4月、サクラが満開の吉野をあとに女人結界門のある五番
関に向かいます。この山はいまも女人禁制でこの門から先へは女性
の進入を禁止しています。

結界門のなかに入るといままでなかった雪が一気に増えはじめます。
しかしさすがに4月、洞辻茶屋では地面があらわれ雪解け水が川の
ように流れています。

さらに登ると雪の中に役ノ行者の石像が頭だけ出しています。鐘掛
岩を過ぎるころ前鬼後鬼の銅の像がある木の祠があらわれました。
前鬼は相変わらず斧を振り上げ大いばり。そばで後鬼が女房鬼らし
く徳利を持って控えています。今回は女性優位の昨今らしく後鬼に
焦点を当ててみました。

▼【データ】
山名:山上ヶ岳(さんじょうがたけ)

・【所在地】
奈良県吉野郡天川村。近鉄吉野線吉野駅の南東14キロ。近鉄吉野線
下市口からバス洞川下車、歩いて3時間30分で山上ヶ岳。一等三角
点(1719.2m)と蔵王権現を祭る大峰山寺がある。地形図に山名と
三角点の標高、大峰山寺と山上宿坊、西ノ覗岩大峰山寺境内、東ノ
覗岩の文字の記載あり。

・【名山】
「日本三百名山」(日本山岳会選定):第288番選定:日本百名山以
外に200山を加えたもの。

・【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
【山上ヶ岳一等三角点】緯度経度:北緯34度15分8.58秒、東経135
度56分27.8秒

・【地図】
2万5千分の1地形図「弥山(和歌山)」or「洞川(和歌山)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「和歌山−山上ヶ岳」

・【参考文献】
『役行者御伝証図絵』(1849年・嘉平2年刊)三巻の仏書
「役行者伝記集成」銭谷武平著(東方出版)1994年(平成6)
「男の鬼・女の鬼」中村光行:「日本鬼総覧」(歴史読本特別増刊)
(新人物往来社)1995年(平成7)
「鬼の研究」知切光歳(大陸書房)1978年(昭和53年)
「山岳宗教史研究叢書・11」名著出版
「山岳宗教史研究叢書・16」五来重(名著出版)1981年(昭和56)
「図聚 天狗列伝」(西日本編)知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
「天狗の研究」知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

 

 

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