とよだ 時・山旅漫歩゚民俗画
山の伝承【ひとり画通信】

▼809号 「北アルプス・五竜岳は立山の後ろ山?」

【前文】
北アルプスの岩峰の山五竜(龍)岳。5匹の竜ではなく御菱(ごり
ょう)岳だという。御菱とは武田信玄の武田菱だったんだ。富山県
から見て信仰の山の立山の後ろにある山というので後立(ごりう)
山との説。五鯉鮒山説もあるという。
・長野県大町市と富山県黒部市宇奈月町旧地区との境。

▼809号 「▼北アルプス・五竜岳は立山の後ろ山?」

【本文】
北アルプスの五龍岳(標高2814m)は、長野と富山の県境になっ
ている後立山連峰のほぼ真ん中にある山です。この山の山頂東面G
2と呼ばれる大きな岩峰の崖には、X字形の割れ目があります。

ふもとの村人は、断崖で冬でも雪が付かないような岩壁を「菱(ひ
し・りょう)」と呼んでいたそうです。この「菱」には割れ目があ
るため、割り菱と呼んだとか。菱のまわりに雪が積もると、菱が黒
く目立ちます。

またX字の割れ目にも雪が付きはじめると、遠くからは「四つ割り
菱」の雪形になって見えます。それはまるで当時ここを支配してい
た武田信玄の家紋と同じです。

そのためご領主さまに気兼ねしたのか、「御」の字をつけて「御菱」
と呼ぶ者も出てきます。

明治も41年(1908年)の7月、三枝威之介一行が北方の白馬岳か
ら縦走。登山家として初めてこの山にさしかかりました。しかし地
図には山の名前が載っていません。地元の案内人に聞くと「ゴリョ
ウ」という山だとの説明。漢字を聞きましたが分かりません。

三枝は「それでは五龍と書いておこう」とメモします。これが東京
で雑誌に発表されました。のち昭和6年5月、お上が発行した五万
分の一の地形図にも「五龍岳」の文字が記載されて、とうとうこれ
が本名になってしまったのだそうです。

山名についてはそのほか、信仰の山として賑わった富山県立山側か
ら見て後にあるので「後立(ごりう)山」説や、「五鯉鮒山」説が
あるそうです。

また、きり立った崖の山は、そのまま呼べばただの崖岳(山)です。
ガケ岳がなまってガキ岳になり、仏教の影響もあって「餓鬼岳」の
字を当てるようになります。各地にある餓鬼岳はたいていそんな山
です。

ここ五竜岳も崖の目立つ山。江戸時代、村人は餓鬼岳とも呼んでい
たといいます。ところが、いつのまにか五龍岳と名前が変わり、お
上発行の地図にも記載されるしまつ。しかし、地元の人はすぐには
替わりません。依然として餓鬼岳と呼びます。

お上にとってそれでは困ります。しかたなく思いついたのが、別の
山に餓鬼岳の名前をつける方法。それが北西・富山県側にある2128
mの峰、餓鬼岳。

そういえば、もとの餓鬼岳(五竜岳)に突きあげる黒部川の支流・
餓鬼谷もその東側直下を流れていて、一見関係がありそうに思えま
す。うまい場所をみつけたものですね。

ところで、後立山連峰は、北は白馬岳から鑓(やり)ヶ岳、唐松岳、
五竜岳、鹿島槍ヶ岳から急にカーブ、冷池(つべたいけ)、爺ヶ岳、
岩小屋沢岳に至る稜線は、まるで北斗七星のひしゃくのような形で
す。そのアリオス星にあたるのが五龍岳となっています。

この長大な連峰、後立山連峰、いまは長野・富山県境になっていま
すが、江戸時代のはじめまでは信州側では黒部川、立山あたりまで
自分の領地と考えていたという。

しかし、富山県側・加賀藩前田家にとっては、後ろに控える信州松
本藩の奇襲が脅威です。そこで一方的に後立山連峰から西を立入禁
止にしてしまったのだそうです。

そうなっては山仕事や猟など、松本藩にとっては打撃です。あわて
て抗議しましたが、なんといっても七万石の身には加賀藩の百万石
はあまりにも大きな差。結局天保年間(1830〜44)になって、い
まの境界に押し切られてしまったということです。さぞや悔しかっ
たことでしょうね。

▼【データ】
山名:五龍岳(ごりゅうだけ)

・【異名・由来】
異名:餓鬼ヶ岳・割菱ノ頭(わりびしのあたま)・御稜岳・割菱岳
(わりびしだけ)

由来:この地方の方言で菱(ひし・りょう)は断崖・割菱の意味で、
この山の岩肌に走る岩稜から割菱ノ頭・割菱岳といった説。武田の
勢力下にあった頃、武田菱に似た岩稜を御稜(ごりょう)と読んだ
説。また富山方面から見て信仰で賑わった立山の後ろにある後立山
(うしろたてやま)を後立(ごりゅう)と読んだという説がある。

・【所在地】
・長野県大町市と富山県黒部市宇奈月町旧地区(旧下新川郡宇奈月
町)との境。大糸線神城駅の西8キロ。JR大糸線神城駅からテレ
キャビンを利用歩いて8時間で五龍岳。写真測量による標高点(28
14m)と三等三角点(停止【亡失】)(基準点成果等閲覧サービスで
あらわれる)がある。地形図に五龍岳の山名との標高点の標高の記
載あり。付近に何も記載なし。

・【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第63 番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・清水栄一選定「信州百名山」(第52番選定)

・【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
【標高点】緯度経度:北緯36度39分30.24秒、東経137度45分9.63秒)

・【基準点閲覧】国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」で検索
【基準点】(三角点):(基準点コード:TR35437768001)(点名:平
川入)(冠字選点番号:育 33)(種別等級:三等三角点)(成果状
態:停止【亡失】)(測地系:項目なし)(緯度経度:項目なし)(標
高:項目なし)(現況状態:項目なし)(所在地:項目なし)(点の
記図:項目なし)

・【点の記】国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」から検索
・項目なし

・【地図】
2万5千分の1地形図「神城(高山)」と「十字峡(高山)」(2図葉名
と重なる)。5万分の1地形図「大町−高山」

・【山行】
・第5日目:1999年(平成11)8月21日(土・快晴):1999年(平
成11)8月17日(火)〜23日(月)「新宿駅・松本駅・信濃大町駅
・扇沢・針ノ木雪渓・針ノ木峠・冷池・爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳・八峰
キレット・五竜岳・遠見尾根・小遠見山・見返り坂・民宿金長・神
城駅・松本駅・新宿駅」:「北ア後立山連峰・針ノ木峠・五竜岳縦
走」渡辺・滝口さんたちと同行

・【参考文献】
「アルパインガイド27・白馬岳・後立山連峰」高橋伸行(山と渓谷
社)1979年(昭和54)
「角川日本地名大辞典20・長野県」(角川書店)1991年(平成3)
「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
「旅と伝説」三元社(昭和17年2月号・p10)「山と地形のことば」
高橋文太郎:「民俗学資料集成29」(岩崎美術社)
「富山県山名録」橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
「山の紋章・雪形」田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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