とよだ 時・山旅漫歩゚民俗画
山の伝承【ひとり画通信】

▼804号「箱根金時山・源頼光と金太郎」

【概略】
足柄山頂で落雷とともにできた金太郎。体が赤いのは雷の子だから
で、まさかりは雷の持ち物だという。21歳の時頼光に出会い「公(き
み)に事(つかふまつ)るに時を得たれば」とて酒田公時の名をも
らった。一生独身で主人死後は足柄山で行方をくらませたという。
・神奈川県と静岡県との境。

▼804号「箱根金時山・源頼光と金太郎」

【本文】
箱根といえば足柄山。足柄山とは箱根外輪山の金時山北側斜面一帯
山地の総称だそうで、古代・中世には足柄道が、近世には矢倉沢往
還が通り、箱根の山とともに交通・軍事上の要地だったといいます。

『古事記』(中つ記・倭建命、足柄の神を殺す条)にも倭建命(や
まとたけるのみこと)が東征の際、足柄峠山麓の坂本に至るとその
坂の神が白い鹿になってあらわれたと出てきます。

古代にはこの山の木材が船の材料として利用され、「続歌林良材集」
には、「『相模国風土記』に云」として「足軽(アシガラ)山は、此
山の杉の木をとりて船をつくるに、あしの軽き事、他の材にて作れ
る船にことなり。よりてあしからの山と付たり」と、山名の由来を
記しています。

金時山は、江戸時代の文化8年の箱根温泉の案内書「七湯の枝折」
には「足柄八重山公時山之図」と記され、『新編相模風土記稿』に
は猪鼻ヶ嶽(いのはながだけ)あるいは公時山(きんときやま)と
ありますが、江戸時代の史料では「猪鼻ヶ嶽」が一般的で、公時・
金時が混用されていたらしい。

この山で有名なのは金太郎伝説です。丹波の国大江山の酒呑童子退
治で活躍し、源頼光の四天王のひとりに数えられた坂田公時(金時)。
坂田公時は、平安後期の武士で、「新編相模風土記稿」によればこ
こから出たとしています。

公時は『今昔物語集』、『古今著聞集』では、源頼光の郎党のひとり
で、36歳のとき丹波の国大江山の酒呑童子征伐に参加して活躍し、
源頼光の四天王のひとりに数えられています。

その金太郎が初めて源頼光に出会った記事が「前太平記」という本
にあります。「前太平記」は全40巻からなる戦記物で、元禄5年
(1692)刊とも享和3年(1803)ともいわれ、著者についても藤元
元という人物とも、平山素閑(伊勢貞丈の説)ともされるがはっき
りしていません。

その「前太平記」(巻第十六)「頼光朝臣(あそん)上洛(らくの)
事付酒田公時(さかたのきんときが)事」条に源頼光上洛の途次、
足柄山の辺りに赤い雲気があるので、渡部綱(わたなべのつな)が
使いにたち山姥親子を発見。岩壁を平地の如く歩く金太郎を見て驚
き、主君の源頼光に会わせました。

「太守(頼光)見給ひ、其相(さう)の奇なる事、甚だ驚嘆し給ひ
て、其姓名を問ひ給ふ。老嫗(ろうおう)答へて、「天地の間だに
孕(はら)まれて、天の命(めい)を稟(うく)。何を以てか姓と
せん」。太守、「其童(わらは)は汝が子か。其父は誰(た)そ」。
老嫗が曰く、「是我子なり。而(しか)も父無し。妾(しゃう)、嘗
(かつ)て此山中に住む事、幾年(いくばくとし)と云ふことを知
らず。一日此巓(いただき)に出でゝ寝(い)ねたりしに、夢中に
赤竜(しゃくりゃう)来たって妾(しゃう)に通ず。其時、雷鳴夥
多(をびたゞ)しくして驚き覚ぬ。果たして此子を孕めり。生まれ
てより廿一年を経たり。長(ひとゝなる)に及んで、山嶽(さんが
く)をも難しと為(せ)ず、磐石(ばんじゃく)をも重しと為ず。
而(しか)も其意(こころ)豁如(くわつじょ)たり」。

つまり、ここ箱根足柄山頂で、山姥が赤竜と交わった夢を見て出来
た子だというのです。

そして「誠に公(きみ)に事(つかふまつ)るに時を得たれば、其
名を酒田公時と名乗るべし」というわけで公時と名づけられ源頼光
の家臣になったとあります。

老嫗がおびただしい雷鳴を聞いたのは赤竜が雷だからで、金太郎は
雷の子だとする説もあります。金太郎が真っ赤なのと雷の持ち物で
ある鉞(まさかり)を持っているのはそのためだとしています。

こうして四天王の一員として、大江山の酒呑童子征伐など武勇をふ
るいましたが、一生妻をめとらず頼光死後は行方不明となり、足柄
山で足跡を絶ったと伝えらています。

ところがこの公時と金太郎との結びつきが不詳だというのです。し
かもこの話ができたのは室町時代だというから頼りなくなります。

この説話が記録に出てくるのは江戸末期『公平(きんぴら)誕生記』
という浄瑠璃の本あたりかららしいといい、平安時代末期に成立し
たとされる『今昔物語』に出てくるのは、坂田という姓もまだない、
ただの「公時」。

明治の中期、「金太郎」が小学校の教科書に載ってからは、金時山
の名が定着したらしく「足柄上郡志」、「足柄下郡史」なども金時山
として記載しています。(『日本歴史地名大系・神奈川県』)。

しかし、「新編相模風土記稿」によると、公時という人物は実在し
たが、その両親は京の役人で、公時は摂関政治の栄華を極めた権力
者・藤原道長の随臣をつとめ、1017年(寛仁元)に18歳で死亡し
ているので金時山と縁があるとは考えにくい(「新日本山岳誌」)。

でもその曖昧さが何ともいいのです。金時が産湯を使ったという「夕
日の滝」、山頂にある「踏跨り石」に「宿り石」。さらに金時が山姥
と住んだと伝える「石室」や「手まり石」から金時娘までが楽しい
世界をつくり出しています。

この山は、山頂のとがった形がイノシシの鼻に似ているというので
一名猪鼻山。山頂にはふたつの猪鼻神社の石祠があり、それぞれ祀
った村の方を向いています。南麓の金時神社は坂田の金時を祀り、
5月5日の金時祭には湯立獅子舞いでにぎわいます。

なお蛇足ながら、坂田金時(金平)の荒々しい強さはその後、金平
ゴボウ(堅い、辛い)、金平糊(ねばり強い)、金平骨(太い、堅い)、
金平娘(おてんば)というように使われたという。

これに似た話は、長野県木曽の南木曾岳(金太郎山)や大町市近く
の八坂村にもあって、昔は金時伝説は各地にあったと柳田国男も「山
の人生」の中で述べています。

▼【データ】
山名:金時山(きんときざん・きんときやま)

・【異名・由来】
異名:猪鼻ヶ嶽(いのはながだけ)

・【所在地】
神奈川県南足柄市、足柄下郡箱根町、静岡県駿東郡小山町との境。
JR東海道本線小田原駅の北北西15キロ。小田原駅からバス仙石下
車、歩いて1時間30分で金時山。三等三角点(1212.5m)と、金太
郎茶屋と金時茶屋がある。地形図に山名と三角点の標高の記載あり。
付近に何も記載なし

・【名山】
「日本三百名山」(日本山岳会選定):第236番選定:日本百名山以
外に200山を加えたもの。

・【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
【金時山三等三角点】緯度経度:北緯35度17分22.8秒、東経139度0
0分17.51秒

・【基準点閲覧】国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」で検索
基準点(三角点):(基準点コード:TR35239704001)(点名:金時山)
(冠字選点番号:記入なし)(種別等級:三等三角点)(基準点成果
状態:正常)(測地系:世界測地系)(緯度経度:緯度 35°17′22.
8211、経度 139°00′17.515)(標高:1212.54m)(基準点現況状
態:正常 20070731)(所在地:記載なし)(点の記図閲覧:×)

・【点の記】
閲覧不可

・【地図】
2万5千分の1地形図「御殿場(静岡)」&「関本(横須賀)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「横須賀−小田原」

・【山行】
第3日目:2008年(平成20)1月11日(金・晴れ)2008年(平
成20)1月9日(水)〜11日(金)「箱根湯本駅・強羅駅・早雲
山駅・神山・駒ヶ岳−金時神社・明神ヶ岳・明星ヶ岳・塔ノ峰・湯
本駅」:「箱根内輪山・外輪山」ファミリー山行

・【参考文献】
「古事記・中つ巻」:新潮日本古典集成「古事記」西宮一臣校注(新
潮社)2005年(平成17)
「今昔物語集」:日本古典文学全集24「今昔物語」(4)馬淵和夫ほ
か校注・訳(小学館)1995年
「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
「新編相模風土記稿」(巻之二十一 村里部 足柄上郡巻之十 苅
野庄):大日本地誌大系19「新編相模国風土記稿・第1巻」編集校
訂・蘆田伊人(雄山閣)1980年(昭和55)
「前太平記」:叢書江戸文庫3「前太平記・上」(巻第1〜巻第20
まで収納)のうち巻第十六「頼光朝臣上洛事付酒田公時事」校訂・
板垣俊一(国書刊行会)1988年(昭和63)
「日本神話伝説総覧」歴史読本特別増刊 新人物往来社 1992年
(平成4)
「日本架空伝承人名事典」大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
「日本歴史地名大系14・神奈川県の地名」鈴木棠三ほか(平凡社)
1990年(平成2):(p642・金時山)
「山の人生」柳田国男:「柳田国男全集・4」(筑摩文庫)1989年
(昭和64・平成1)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

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