とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼新潟県・越の中山妙高山

妙高山は昔は「越の中山」と呼ばれていたという。これが名香山(な
かやま)の字が当てられて、ミョウコウと読まれるようになり、妙
高の字が当てられたという(異説あり)。ここも天狗(足立坊)の
伝承地。近くの飯縄系天狗(荼吉尼天の姿)であらわされています。
前身は山神守護の地主神だともいう。

新潟県・越の中山妙高山(詳細)

長野県北部にそびえる斑尾山・妙高山・黒姫山・戸隠山・飯綱山の
5山を北信五山というそうです。なかでも山名に「妙」があるせい
か妙高山は仏教っぽい。

そのはずで妙高山の名は、仏典に説く須弥山妙高山というのにちな
んでいるという。この山は昔は「越の中山(なかやま)」と呼ばれ
ていたという。

この中山が名香山(なかやま)になり、ミョウコウと読まれ、妙高
山と当て字されたとされています。

あの西行法師も「かりがねは歸(かへ)るみちにやまよふらん越(こ
し)の中山(なかやま)霞へだてて」と詠んでいます(「山家集・
さんかしゅう」)。

ですが室町時代の「梅花無尽蔵」ほかいろいろな古書の記事にすで
に「妙高」の文字が散見されることから、「中世にはすでに妙高山
と呼ばれていたことが分かる。「なかやま」であったことを示す資
料は近世以前には見あたらない。すると名香山(なかやま)−名香
山(みょうこうさん)説もあやしくなる」と、高橋千劔破氏はその
著「名山の文化史」のなかで述べています。

山名考というのは本当に難しいものですね。ところでこの山はふも
との妙高市関山の関山神社の社伝によれば奈良時代の和銅元年
(708)に裸行上人が妙高山頂に登り、関山権現(明治以前の呼び
名)を開基したという。

当然ながら霊山として信仰され、東の米山薬師(いまの新潟県上越
市柿崎区・旧柿崎町)に対し、南の妙高山は阿弥陀如来の浄土とさ
れてきたという。

室町初期・中期にできたといわれる作者不明の軍記物語「義経記・
ぎけいき」には「直江の津にて笈探されし事)妙観音(めうくはん
をん)の嶽(たけ)(※妙高山のことか)より下(おろ)したる嵐
(あらし)に帆(ほ)引掛(ひきか)けて、米(よな)山(※よね
やま993m)を過(す)ぎてうんぬん」と出てきます。この妙観音
の嶽というのが妙高山のことだとされ、観音信仰の山でもあったと
いいます。

源義経や弁慶も奥州へ落ちる時に妙高山を見ていたのですね。しか
し、天狗の研究者の知切光歳は「妙高の奥ノ院は観音堂ではなく阿
弥陀堂で、その本尊の如来像は、義経に討ち亡ぼされた木曽義仲所
持の像であったという。

義経奥州落ちの時には、すでに阿弥陀堂があったと見てよく、妙観
音山は別の山ではないか」とも述べています(「天狗列伝東日本編」)。
それはともかく、かつて山頂にあった阿弥陀堂は木曾の義仲が祭っ
たといわれ、なかに阿弥陀、勢至(せいし)、観音の金の仏像を安
置してあったともいいます。

木曽義仲は1182(寿永元)年、信濃の国横田川原(長野市)で、
越後の城助茂(じょうすけもち)を破った義仲は、その後、いまの
妙高市関山に来て、妙高山に登り、行者を守る護念仏阿弥陀三尊を
納めたというのです。これらはいまはふもとの新潟県妙高市旧妙高
村関山の関山神社に移されているという。

やがて中世以降、修験道の行場になっていきます。当時、関山神社
は「関山三社権現」といい、妙高山雲上寺宝蔵院というお寺の支配
下になっていました。

しかしどの山でもそうであるように明治の廃仏毀釈(はいぶつきし
ゃく)の嵐は仏閣を破壊し焼き払う暴挙のかぎり。そのなか存続の
ために神社の名に改めたといいます。いまでも登山道には六道地蔵、
天狗宝窟観音、大杉姥堂、役ノ行者などのお堂が残っています。

この山にも大天狗、それも名前がついているほどの大大天狗・妙高
山足立坊(あしだて)の伝承が残っています。足立坊は「天狗経」
四十八狗のひとつにも数えられた古参天狗。

一帯には天狗平や大杉などの名も見受けられます。この辺りは日本
八天狗の三番目に当たる、三郎天狗のいる飯縄山や戸隠山などが連
なっています。

そのため、足立坊は飯縄系天狗(鼻の高くない荼吉尼天(だきにて
ん)の姿)びあらわされています。その前身は周囲の状況から見て
山神守護の地主神の化身だともわれています。(「図聚天狗列伝」)。

9月初め、妙高山北西方の黒沢池ヒュッテ前にテントを張りました。
テントのまわりは色づきはじめたナナカマドに囲まれた気持ちのい
い台地です。テントを張りっぱなしにしたまま妙高山を往復します。

大倉乗越から長助池のある湿地へ下り、燕新道の道を分けて妙高山
への急坂を登りはじめます。このあたりは雪の吹きだまりになって
いて7月半ばまではアイゼン、ピッケルは必携とのこと。展望のな
いダケカンバの樹林帯をただ登るだけ。途中キイチゴ(ノウゴウイ
チゴ)の大きな実が赤く熟して食べられるのが気を和ませてくれま
す。

山頂に出る手前に大きな洞があり中に祠が建っています。洞の入口
上に白ペンキで文字が書いてあります。「一九六四.七.二六 総
評全国一般篠宮支部」などとあり、どうやら落書きのようです。

やがて妙高山北峰に出ました。北峰山頂は小平地になっていて1等
三角点(三角点名妙高山2445.9m)があり、ノートの入った木製
の箱が置いてあります。あたりはお花畑になっていて、トリカブト
(ミョウコウトリカブト)、アザミなどなどが咲き乱れています。

さらに南峰へは3分ほど。大岩の下にレリーフ石碑があり「南無阿
弥陀仏 恵信尼公小黒女房御碑 亡き恵信尼公の弔い藤四郎は彼女
(小黒 ?)が毎日仰いでいた妙高山へ小黒の女房が山を見たいと言っ
たので位牌を持って向かった、文永9年秋、云々」との文字が見え
ます。

さらに先に行くと、「妙高山大神上越中頸覚満?講」と書かれた鉄
柱があります。妙高の「妙」が欠けています。その後ろに将軍地蔵
の像があり「本山ニ鎮座マシマス将軍地蔵ハ西暦千九百四十二年
(1942年・昭和17)大東亜戦争時代国民一致団結必勝祈願天下泰
平世界平和五穀豊穣ノ神ト祀ル」とあり、大東亜戦争戦勝祈願に建
てられたものとの石碑が建っています。

地元越後の上杉謙信公が模せられているとのこと。「日本石仏事典」
によれば、将軍地蔵とは戦勝をもたらす神とのこと。なるほど納得
です。しかし、とうとう関山神社の奥社は見あたりませんでした。
(あるホームページには妙高大神が関山神社奥社だとありました
が?)。なお、九頭竜伝説により戸隠山は竜の頭、妙高山は胴は、
火打山(能生白山)は尾にたとえられています。

妙高山の本を読んでいるとよく「なんぼいさん」とう文字が出てき
ます。なんぼいさん(南方讃)とは、妙高山山開きの行事をいうの
だそうです。この行事は元亀元年(1570)、上杉謙信が越中出陣の
際、五穀豊穣所領安全を祈願して倶利伽羅竜の旗を持ち、妙高山に
登ったと伝えられています。

それを吉例として妙高山山開きの7月23日には山麓の各村がそれ
ぞれ倶利加羅不動尊の小印の旗を持って登山するのだという。なん
ぼいさんの語源は「南無梵天讃」、「南無阿弥陀仏讃」などからきた
とする説があるそうです。

▼【データ】
【山名】別称・越後富士、名香山、明香山、妙光山。妙高山の名は、
仏典に説く須弥山妙高山というのにちなむ。古代には越の中山と呼
ばれ、名香山(なかやま)に転化し、名香山(みょうこうさん)か
ら妙高山になったとの説。しかし中世にはすでに妙高山と呼ばれて
おり、「なかやま」であったことを示す資料は近世以前には見あた
らなくい、名香山(なかやま)−名香山(みょうこうさん)説もあ
やしいとの説もある。

【所在地】
・新潟県妙高市旧妙高村各地区名(旧中頸城郡妙高村)。信越本線
妙高高原駅の西9キロ。JR信越本線妙高高原駅からバスで笹ヶ峰、
さらに歩いて6時間で妙高山(北峰と南峰がある)。北峰に一等三
角点(2445.90 m)、南峰に写真測量による標高点(2454m・標石
はない)がある。地形図に山名と北峰三角点記号と標高、南峰に神
社(鳥居)記号と標高点の標高の記載あり。

【位置】
・北峰(標高2445.9m、三角点)(北緯36度53分33.78秒、東経138
度6分47.47秒)(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
検索)

・南峰【標高点の詳細】:(標高2454m)(写真測量による標高点)(緯
度経度:北緯36度53分28.58秒、東経138度6分48.47秒)(国土地理
院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【三角点の位置】
・基準点:(基準点コード:TR15538206901)(点名:妙高山)(冠字
選点番号:館 11)(種別等級:一等三角点)(基準点成果状態:
正常)(測地系:世界測地系)(緯度経度:緯度 36°53′33.7724、
経度 138°06′47.4954)(標高:2445.90m)(基準点現況状態:正
常 20030915)(所在地:新潟県妙高市大字関山(国有林26林班は
小班)(点の記図:閲覧可)。(国土地理院「基準点成果等閲覧サー
ビス」から検索)

【点の記】
・(測標の種類:三脚 アンテナ高:m)埋設法(地上 保護石 
個)(選点:明治25年11月8日 選点者:舘潔彦)(設置:明治27年
7月1日 設置者:古田盛作)(観測:平成17年6月23日 観測者
:福井哲也)(自動車到達地点:燕温泉駐車場)(歩道状況:登山道
・巾1.0m)(徒歩:約360分)(三角点周囲の状況:岩場)(平成17
年6月23日:更新)(アンテナ高:−)(GPS測量:本点1.443)

【地図】
・2万5千分の1地形図「妙高山(高田)」(別の図葉名と重ならず)
(国土地理院「地図閲覧サービス」から検索)。5万分の1地形図
「高田−妙高山」

【山行】妙高・火打山・野尻湖
・第3日:2008年(平成20)9月5日(金・晴れ曇り)妙高山探
訪:2008年(平成20)9月3日(水)〜9月8日(月)家内と同


【参考文献】
・「角川日本地名大辞典15・新潟県」田中圭一ほか篇(角川書店)
1989年(平成1)
・「義経記」全8巻(作者不明)巻第七「直江の津にて笈探されし
事」:(日本古典文学大系37「義経記」岡見政雄校注(岩波書店)1959
年(昭和34)
・「山家集(さんかしゅう)」西行:「日本古典文学大系 山家集・
金槐和歌集」風巻景次郎ほか・校注(岩波書店)1961年(昭和36)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「図聚 天狗列伝・東日本編」知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「日本石仏事典」庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・「日本歴史地名大系15・新潟の地名」(平凡社)1986年(昭和61)
・「名山の文化史」高橋千劔破(河出書房新社)2007年(平成19)
・「妙高山信仰の変遷と修験行事」大場厚順:「山岳宗教史研究叢書
・9」(名著出版)1979年(昭和54)所収

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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