山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼784号 「山里に春を告げるげんこつ・コブシの花」

【概略】
春山の帰り、林道で見かけるコブシの白い花。そっくり返り、ねじ
れたりしながら。村人は「田打ちザクラ」と呼び「コブシの花の多
い年は豊作」ともいうそうです。コブシは拳でゲンコツのことだと
いう。ねじれた花びらを人間の拳に見たてたとも、ツボミの形から
とも、ゴツゴツの袋果の形からだとも…。

▼784号 「山里に春を告げるげんこつ・コブシの花」

【本文】
春山、雪の山上とはうって変わって、花も咲き出す山麓の林道。厳
しい雪上のテント生活から解放され、ホッとして歩く道のわきの木
に白い花がそっくり返り、ねじれたりして咲いています。

まだ葉も出ない枝に、まるで布がくっついているようなコブシ(辛
夷)の花です。♪……コブシ咲く、北国の春ウ……と歌われるよう
に、コブシの花は村里の人にとってはなじみ深いもの。人々はこれ
を「田打ちザクラ」と呼び、農作業を始める目安としたそうです。

また、各地で、「コブシの花が咲くときが、カンショイモの床出し
の時期」だとか、「コブシの花が咲くようになれば、みそを仕込む」
など、この花はいろいろな仕事の、暦がわりにされていました。こ
とわざに「コブシの花の多い年は豊作」というのもあります。

この花は薬にも利用されたという。まだ若い、細いつぼみを乾燥し
た「辛夷(シンイ)」は、頭痛や蒼毒(そうどく)、鼻たけ、蓄膿症、
慢性鼻炎などの薬に使うという。花はよい香りがするので、香水を
とったりしたそうです。

天武天皇というから「日本書紀」の記述から換算すると、673年〜6
86年の即位の飛鳥時代、大彦命(おおひこのみこと・古事記では大
毘古命で第8代孝元天皇の第一子)の後裔の名代という人が珍しい
花を天皇に献上したという。

天皇が喜びこの花の名を群臣に聞きましたがだれ一人分かりませ
ん。そこで名代が「これこそ辛夷と呼ぶ花にて候」。

天皇はさらに喜んで名代に、辛夷の音をそのままとり、阿部の志斐
連(しひのむらじ)の名を与えたという話(姓氏録)もあります(「植
物と伝説」から)。

また「古今著聞集・ここんちょもんじゅう」(橘成季著)巻第十八
・六二八に、「仲胤僧都法勝寺八講に遅参し籠居して詠歌の事」と
いうのがあり、コブシの話が出てきます。

仲胤僧都(ちゅういんそうず)が六勝寺のひとつ法勝寺(白河天皇
建立)の法華八講会に遅刻してしまいました。仲胤は寺から追い出
され、また院(鳥羽法皇)の機嫌も損ねてしまい、引きこもってい
ました。

翌年の春、ある人がコブシの花をおくってきたのを見て一首詠んだ
という。「食いつかれ頭かかえて出しかど こぶしの花のなほいた
きかな」。

この場合、辛夷(こぶし)と八講会の講師と拳(こぶし)とをかけ
ているのだといいます。さすが聞こえた和漢の才の僧都だといいた
げです。ちなみに「古今著聞集」は、鎌倉時代の説話を集めた本で
す。

この話は「植物と伝説」(松田修)では、比叡山三千の学僧のなか
でも巨匠といわれる仲胤僧都の若い時の話として、同宿の人々と戯
れをなし、運悪く花の咲き乱れるコブシの木に頭を打ちつけすりむ
き、激痛に絶えがたきふうだったという。

同宿の人々は意地悪く一首所望したところ、頭を抱えつつ前出の一
首を詠んだということになっています。

さらに、その昔、壇ノ浦で敗れた平重盛ら平家の落人たちが熊本県
の山奥に逃れます。ある年の春、まわりの山々に突然咲き出したコ
ブシの花を見て、源氏の白旗と見まちがえ、「多勢に無勢、もはや
これまで」と全員が自刃し果ててしまったという伝説は有名です(原
典不明)。

コブシは、野山に生える高さ5〜18mにもなる落葉高木。葉は互生
し長さ6〜13センチ、紙のような感じで広倒卵形をしています。花
は3月から5月、葉っぱが開く前に枝の先に白い花をひとつ咲かせ
ます。

花弁は6個でもとの方がピンクがかっており、花柄の下には葉がひ
とつついています。実は、ゴツゴツしたげんこつのような袋のなか
にまとまって入っています(集合果)。熟すと袋が破けて、種子が
白い糸にぶら下がり落ちてきます。

粘っこい牛のよだれのようなのが気になります。種子の赤い部分は
仮種子。かむと辛い味がします。別名コブシハジカミと呼ばれるの
もうなずけます。ハジカミ(サンショウ)のように辛みがあるとい
うわけです。

鳥取県のある地方ではコブシのことを「コーバシ」と読んでいると
いいます。コーバシは「芳ばしい」で、コブシの木の皮にはいい香
りがあり、アイヌの人たちはこの木のことを「いい香りの出す木」
という意味の「オマウクシニ」といっていたといいます。実際、樹
皮を煎じて飲む習慣もあったそうです。

一方、「いい香りを出す木」には病魔がその香りに引かれてやって
くるという考えもおこります。そこで伝染病などが流行ったときに
は逆にこの木を「おならをする木」とも呼んだといいます。

コブシは拳(こぶし)で、ゲンコツのこと。コブシの名は、あっち
ゃこっちゃむいた花びらを人間の拳に見たてたとも、ツボミの形か
らとも、またゴツゴツの袋果の形からだともいっています。

コブシを漢字で「辛夷」の字を当てていますが、これは中国の固有
種を指す文字なのだとか。日本にあるコブシはその語源からやはり
「拳」の字を当てるべきだという学者もいます。

コブシは、庭木のほか、盆栽や生け花、またモクレンやタイサンボ
クの台木にも使われています。材はまな板、製図板、マッチの軸木、
建築材、家具、楽器材と幅広く利用されたそうです。北海道、本州、
四国、九州に分布。

一山に一樹のみある夕辛夷 能村登四郎
・モクレン科モクレン属の落葉小高木または高木

▼【データ】
★【名前】:コブシ・田打ちザクラ・コブシハジカミ・オマウクシニ
(アイヌ語)・コーバシ(芳ばしい・皮にいい香りがある)

★【漢字・由来】:辛夷・拳(花びらを人間の拳に見たてたとも、ツ
ボミの形からとも、またゴツゴツの袋果の形からだとも)

★【エピソ−ド】:仲胤僧都(ちゅういんそうず)が法勝寺の法華八
講会に遅刻。寺から追い出され、院(鳥羽法皇)の機嫌も損ねてし
まい、引きこもっていた。翌春、コブシの花を見て一首「食いつか
れ頭かかえて出しかど こぶしの花のなほいたきかな」「古今著聞
集」(橘成季著)。平家の落人たちが源氏の白旗と見まちがえ自刃。

★【花言葉・誕生花】:友情・歓迎。3月8日の誕生日の花

★【参考】
「NHKステラ2004年版別冊付録」
「古今著聞集・ここんちょもんじゅう」橘成季著:日本古典文学大
系84「古今著聞集」永積安明ほか校注(岩波書店)1987年(昭和62)
「植物と伝説」松田修(明文堂)1935年(昭和10)
「植物の世界・9」(朝日新聞社)1996年(平成8)
「世界の植物・7」(朝日新聞社)1975年(昭和50)
「日本大百科全書・9」(小学館)1986年(昭和61)
「牧野新日本植物図鑑」牧野富太郎(北隆館)1974年(昭和49)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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