とよた 時・山のゆ-もぁ-と(イラスト)
山旅漫歩゚
【ひとり画通信】

▼779号 「尾瀬・鳩待峠と源義家」

【概略】
鳩待峠はその昔、八幡太郎義家がこの峠を越える時、鳩を放して吉
凶を占ったのが由来という。義家に関する伝説は利根郡には多い。
また別の話もある。村人は冬は炭やきで山小屋で寝泊まり。里の田
や畑の仕事がはじまる春が待ち遠しい。山鳩が鳴き始める春を待つ
峠。
・群馬県片品村

▼779号 「尾瀬・鳩待峠と源義家」

【本文】
群馬県と福島県、新潟県と3県にまたがる高層湿原の尾瀬沼・尾瀬
ヶ原。その尾瀬ヶ原入口に鳩待峠があります。その昔八幡太郎源義
家がこの峠を越える時、鳩を放して吉凶を占ったためこんな峠名が
ついたとのことです。

そもそも八幡太郎義家に関する伝説は利根郡にはかなり多くあると
いう。義家が「前九年の役」の時、奥州「衣川の戦い」で安倍貞任
(あべのさだとう)を滅ぼし弟の宗任(むねとう)を捕虜にしまし
た。

そして都へ凱旋しようと、奥州からいまの群馬県利根郡を通りかか
りました。しかし安倍の家来たちが主人宗任の身を案じて、大勢ぞ
ろぞろうしろからついてきます。いくら追い返そうとしてもききま
せん。

義家は「その方たちが主人の身を気遣うのはまことにふびんである。
しかし次第に都へ近づくことなれば、朝廷に対してもまことに恐れ
多い。この地は奥州と都との半ばの地なれば、ここにとどまり結果
を待つように。宗任については、自分が必ず赦免を願うであろう」。

義家の言葉に家来たちも何事もご主人のためと、一同この地にとど
まることにし、やがて土地の民となっていったという。

義家が利根郡を通ったことは、同じ郡内の下牧にも利根川を越えた
時の話が伝わっているという。同所玉泉寺には義家が着用したとい
う鎧(よろい)が、寺宝として保存されているそうです。

しかし、鳩待峠と鳩の関係については別の話もあります。村の人は
冬になると、木出しや炭やきで、遠いおき山へ入って仕事をします。
そんな時、山に小屋をつくって寝泊まりします。春になり山鳩が「ポ
ーッ、ポーッ」とあちこちで鳴きはじめます。

村の人は仕事をしながら「鳩がなき出した。きっと里でも待ってる
べえ」といって、仕事を切り上げるのです。里でも女衆が男の帰る
のを待っています。雪もそろそろ消えて田んぼや畑の仕事がはじま
るのです。

・鳩待峠【データ】
山名:はとまちとうげ

・【異名・由来】
由来:八幡太郎源義家がこの峠を越える時、鳩を放して吉凶を占っ
たため。また冬になると村人が木出しや炭やきで小屋をつくって寝
泊まり。春、山鳩が鳴きはじめると仕事を切り上げ、里の農作業が
はじまる。

・【所在地】
群馬県利根郡片品村。上越線湯桧曽駅の北東22キロ。上越線沼田駅
からバス戸倉乗り換え鳩待峠。写真測量による標高点(1591m)が
ある。バス停と食堂売店と、駐車場がある。地形図上には峠名(鳩
待峠)と標高点の記号とその標高、それに鳩待山荘と建物号のみ記
載。

・【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
【鳩待峠標高点】緯度経度:北緯36度53分24.84秒、東経139度12分
01.14秒

・【地図】
2万5千分の1地形図「至仏山(日光)」

・【山行】
第2日目:2006年(平成18)7月1日(土・雨)鳩待峠探訪:2006
年(平成18)6月30日(金)〜7月3日(月)尾瀬(夜行バス津田
沼・新宿・鳩待峠・山ノ鼻・燧ヶ岳・至仏山・バス新宿):「尾瀬・
燧ヶ岳・至仏山山行」渡辺・滝口さんと同行

・【参考】
「片品村史」
「銀山平今昔」銀山平伝之助小屋HPから

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

 

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