とよた 時・山のゆ-もぁ-と(イラスト)
山旅漫歩゚
【ひとり画通信】

▼774号 「奥多摩三頭山・田原藤太が七ツ石の将門を射る」

【概略】
雲取山からつづく石尾根の七ツ石の7つの岩は、将門と影武者ら
7人の姿だという。承平天慶の乱の時、将門を追って三頭山まで
きた田原藤太は、はるか彼方の七ッ石山に将門らしき人影を発見、
得意の強弓を「キリリ」と引きしぼりました。矢はねらい違わず
将門に命中したという。ちょっとしたミサイルですね。
・東京都と山梨県の境

▼774号 「奥多摩三頭山・田原藤太が七ツ石の将門を射る」

【本文】
奥多摩石尾根にある七ツ石山の7つの石は、平将門とその影武者
6人が田原藤太の矢で射られ、石になったという伝説があります。
平安時代の931年(承平元)から叔父の平良兼と仲違いを越した平
将門は、935年(承平5)年2月、承平天慶の乱を起こし、伯父の
常陸大掾(ひたちだいじょう)国香(くにか)を殺害。さらには
伯父の平良正らを制圧。ついには関東全体を統治しました。

しかし、940年(天慶3)年2月に平貞盛、藤原秀郷ら連合軍に討
たれます(『将門記』)。この乱の時、将門たちは奥多摩の奥深く逃
げ込んだというのです。それを追って連合軍も奥多摩に入ります。
三頭山まできた田原藤太は山頂に立ち周辺の山々を望みます。

するとはるか彼方・雲取山からつづく石尾根の七ツ石山で動く人
影が7つ。将門に違いない。藤太は、得意の強弓を使って矢を放
とうとしますが、同じ格好をした武者が7人ならんでいて本物の
将門がどれか分かりません。

田原藤太は日ごろ信仰する成田山(千葉県成田市)の不動さまに
祈ったところ、「影武者の6人はわら人形である。朝、顔を洗う時、
湯気が立って白い息を吐くのが将門である」とのお告げがありま
した。

翌朝、藤太は三頭山の上から弓をきりりと引き絞り、七ツ石山の
白い息を吐く将門に向かって矢を放ちました。遠く飛んでいく矢
は、ねらい違わず将門のあたったという。とたんに7人の将門は
岩になってしまったといいます。

こうして滅ぼされはしましたが、京都の貴族政治に対抗し、東国
武士魂あふれる平将門を庶民は大喝采。英雄としてあがめ崇拝、
神としてまつり長く信仰しました。いまでも奥多摩付近の人々は、
田原藤太に助言した成田の不動尊にはお参りしない人が多いとい
います。

ところで、三頭山と七ッ石山までは奥多摩湖をはさんでおおよそ1
1キロの距離。田原藤太の弓はちょっとしたミサイルなみ。やはり
うわさ通りの強弓だったんですね。

ちなみに奥多摩三頭山の名前について、『奥多摩』(宮内敏雄氏)
が詳しく触れています。それによると「三頭山を考証した文献は
案外に尠(すくな)く、ただ『奥多摩−それを繞(めぐ)る山と
渓』で田島勝太郎氏が触れているのみである」と前置きして話を
進めています。

山名由来の諸説は、(1)「武蔵通志」(山岳編)の「山嶺山峰ヲナ
ス故ニ三頭ノ称アリ」説、(2)「多摩郡村誌」の「一名三頭御前
ト云フ」説、(3)『甲斐國志』にある「御堂峠(みどうとうげ)」
説、(4)天保13年(1842)の「富士見十三州輿(こし)地之全
図」(秋山永年撰)記載の「御堂嶽(みどうだけ)説。

(5)(檜原村の人に聞いた話)近くにある山だが見かけが遠いか
ら見遠(みとう)だ(梅沢親光氏・「御前山塊」)との説、(6)三
頭(みとう)のミは「多い」という意味。

三頭山は見る方向によって峰が4つにも5つにも見える。すなわ
ちあの山あたりの総称だという説。(7)南西山ろくの鶴川側(山
梨県)では三頭山を「高山」と呼ぶ、(8)『新編武蔵風土記稿』
に記載の「三頭山」説などがあります。

この中で『奥多摩』(宮内敏雄氏)は(3)と(4)の説に注目し
ています。地元の古老は三頭山を「ミドウ」と呼ぶというのです。
昔はこの山頂に数馬、小河内、西原など山ろくの人たちが祭った
「お堂」が3つあったという。

これを三頭御前といって、毎年旧暦の10月7日にお祭りを行って
いたという。そんなことから三頭山は、三堂山(みどうさん)か
らきた山名なのだと解説しています。日本三百名山、山梨百名山
に選定されています。

▼三頭山【データ】
【所在地】
・東京都西多摩郡奥多摩町と西多摩郡檜原村、山梨県北都留郡小
菅村と同県上野原市旧上野原町各地区名(旧北都留郡上野原町)
との境。JR五日市線武蔵五日市駅の西19キロ。JR五日市線武
蔵五日駅からバス・数馬から2時間で三頭山(最高峰は中央峰で1
531m)。

・東峰に三等三角点(1527.52m)、中央峰に写真測量による標高
点(1531m)がある(西峰にはない)。四阿がある。地形図に山名
と三角点の標高と標高点の標高の記載あり。西峰より南方向400m
に避難小屋がある(地形図には建物記号のみ記載。

【位置】
・三頭山標高点(中央峰):北緯35度44分20.08秒、東経139度00分
50.01秒
・三頭山三等三角点(東峰):北緯35度44分18.94秒、東経139度00
分50.59秒

【地図】
・旧2万5千地形図「猪丸(東京)」

【山行】
・第3日目:2002年(平成14)5月27日(月・曇り・雷雨)奥多摩三
頭山探訪:2002年(平成14)5月25日(土)〜28日(火)「三峰口
駅・三峯神社・奥ノ院・白石小屋テント場(泊)・雲取山・奥多摩
小屋・鴨沢(ここから単独)・ヌカザス山分岐・入り小沢の峰(泊)
・三頭山・日原峠(泊)・浅間峠・上川乗・五日市駅」:「奥多摩・
雲取山山行」渡辺・滝口さんと同行・27日から単独行

【参考】
・『おくたまの昔話・第1集』(奥多摩民話の会編)1990年(平成
2)
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『奥多摩風土記』大館勇吉著(武蔵野郷土史研究会)1975年(昭
和50)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

 

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