山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼773号 「奥武蔵入口・天覧山と能仁寺」

【概略】
天覧山は飯能の市街・奥多摩・奥武蔵など低山とは思えぬ眺望。山
名は明治天皇が陸軍の演習をこの山で統轄監督したことによるとい
う。また五代将軍綱吉が病気の時、生母桂昌院が南麓の能仁寺に祈
願。全快の礼に奉納した十六羅漢像がいまも登山道で迎えてくれる。
・埼玉県飯能市

▼773号 「奥武蔵入口・天覧山と能仁寺」

【本文】
埼玉県奥武蔵入口に天覧山という標高197mばかりの山があります。
秩父や奥武蔵の山々に行くたび気になるのですが、なかなか登る機
会がありません。

それではと先日、天覧山から多峯主山(とうのす)、巾着田(きん
ちゃくだ)に行って来ました。天覧山とは1883年(明治16)、明治
天皇がこの山に立って陸軍の大演習を統轄監督したことによるとい
う。

この山はもともと愛宕(あたご)権現をまつってあり、古くは愛宕
山と呼んでいたという。

江戸時代、五代将軍綱吉が病気になった時、生母である桂昌院が南
麓にある能仁寺に祈願したところ、綱吉の病気が全快したという。
桂昌院は、そのお礼に山中に十六羅漢像を献納したといいます。い
までも石仏は、山頂へ向かう登山道の右側崖の途中に、ユニークな
表情で建っています。

山頂近くには鏡岩・獅子岩など大岩が露呈していて、「天覧山の勝」
として埼玉県の名勝に指定されているという。ここは奥武蔵自然歩
道の出発点にもなっています。

南麓の能仁寺は1868年(慶応4)の飯能戦争(彰義隊の系統である
渋沢精一郎を首領とする振武隊と官軍との戦さ)の時戦火で全焼し、
いまの本堂は、1936年(昭和11)に再建されたものといいます。

天覧山山頂の展望台は、低山とは思えぬ展望で眼下に飯能の市街・
奥多摩・奥武蔵など山々が見渡せます。登ってみると、ハイカーが
思い思いに休憩、展望を楽しんでいます。

そこでしばらく休んだあと、多峯主山近くのここだけに自生すると
いう「飯能笹・ハンノウザサ」を楽しみに、山頂裏手の松林の坂道
を下って行ったのでありました。

▼天覧山【データ】
山名:てんらんざん

★【異名・由来】
由来:明治天皇がこの山に立って陸軍の大演習を統轄監督したこと
による。

★【所在地】
埼玉県飯能市。西武池袋線飯能駅の北西1.5キロ。西武飯能駅から
バス天覧山下から歩いて20分で天覧山。写真測量による標高点(19
7m)と、展望台がある。山頂直下に能仁寺がある。地形図上には
山名(天覧山)と標高点の記号とその標高、それに記念碑記号のみ
記載。山頂より東方向直線約135mに能仁寺がある。

★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
【天覧山標高点】緯度経度:北緯35度51分43.41秒、東経139度18分
29.71秒

★【地図】
2万5千分の1地形図「飯能(東京)」

★【参考】
「郷土資料事典11・埼玉県」ふるさとの文化遺産(人文社)1997年
(平成9)
「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

 

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