とよた 時・山のゆ-もぁ-と(イラスト)
山旅漫歩゚
【ひとり画通信】

▼761号 「富士山・火口の賽銭拾い」

【概略】
かつて富士登山者は火口に賽銭を投げる習慣があった。その賽銭を
拾う権利が村山修験にあったが駿河に侵攻した武田軍が剥奪、さら
に須走浅間・浅間大社がからんで紛糾・訴訟がつづいたという。日
本一の霊峰でも金銭がからめば話はまた別。集めた賽銭は神社の修
理に当てられたという。

▼761号 「富士山・火口の賽銭拾い」

【本文】
富士山の火口(内院)は浅間神社の奥ノ院にあたります。かつて登
山者は無事の登山を感謝し一族の幸せを願い火口に賽銭を投げるお
散銭(さんせん)の習慣があったという。富士山火口は巨大な賽銭
箱だったわけです。

その習慣は室町時代にはすでにあったといいます。賽銭を投げれば
それを拾う人がいるはずです。遠藤秀男「富士山よもやま話」によ
れば、1533年(天文2)駿河今川氏輝の文書に「内院御末社参銭(散
銭と同じ)之事」とあり、散銭の処務を富士山八合目以上の所有者
である村山の修験辻之坊が受け持っていたという。

その後、駿河に侵攻した武田の支配下になります。そして参銭を拾
う権利は一日だけ須走浅間が与えられました。

さらに江戸時代になると浅間大社がその処務を受け持つことになり
ますが須走浅間の権利も残る状態だったという。参銭拾いについて
は一番拾いを浅間大社、二番拾いを須走浅間が行うというわけです。

しかし一番拾いと二番拾いでは大違い。散銭一番拾いの権利争いが
相次ぎ、元禄時代には本宮と須走で4対6の配分で参銭を受け取る
ように決まり、その配分は江戸末期までつづいたといいます。日本
一の霊峰といっても金銭がからめば美しい心というわけにはいかな
いようですね。

ちなみに「富士山記」に書かれている神池はいまでいう「このしろ
池」説と大内院の北北西にある砂礫に埋まった窪地(小内院)だと
する説があるようです。

・富士山頂【データ】
・【山名・異名】
富士山(ふじさん・ふじやま)、不尽、不二、布士、富慈、芙蓉峰
(ふようほう)、富岳などの呼び方がある。

・【山名の由来】
天地の富を士(つかさどる)故に富士山と号し、郡名と作(な)す。
勅使が大勢の兵士を連れて登ったので、富士山が兵士でいっぱいに
なった。そこで「士に富む山=富士山」になった(「竹取物語」)。

富士山8合9勺(はちごうきゅうしゃく=3360m)から上、約400
万平方mは、徳川家康が富士山本宮浅間大社に寄進したとの記録が
あるが、明治維新後国有地にされていた。

8合目から上の神社の施設のある約16万平方m分は1952年(昭和27)
に大社に譲与されているが、富士山頂が返還されなかったため、大
社側が国を相手取って裁判を起こしました。1974年(昭和49)、最
高裁の判決で大社側の所有が認められた。

しかし静岡、山梨の県境が確定しておらず、登記手続きがとれず(東
海財務局)、2004年(平成16)12月17日、土地の所有権が国から富
士山本宮浅間神社に移った。(2004年(平成16)12月18付け朝日新
聞から)。

しかし、土地の所有権は認められはしたものの、山頂付近の静岡県
と山梨県の県境はまだ定まっていないという。したがって、土地登
記が出来ずじまい。住所は、もちろん静岡県でもなく山梨県でもな
い。所在地は、日本国富士山無番地なのだそうです。同大社側は「こ
れで所有権の手続きは解決した。県境の問題は県民感情もあり、登
記に向けて時間をかけて解決したい」と話しているという。

・【所在地】富士山頂
山梨県富士吉田市、山梨県南都留郡鳴沢村と静岡県富士宮市、富士
市、御殿場市・静岡県駿東郡小山町との境だが八合目付近から上部
は富士山本宮浅間大社の「私有地」になっており、境界がはっきり
していない。富士急行河口湖駅からバス、河口湖口五合目から5時
間30分で富士山頂。火口内に写真測量による標高点(3535m・標石
はない)がある。

・【ご利益】
【浅間神社奥宮】:【浅間神社】安産・火災除け:【富士山本宮浅間
大社】五穀豊穣、湧水守護の神

・【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第72番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第69 番選定)
・山梨県選定「山梨百名山」(第100番選定)
・田中澄江選定(1981年)「花の百名山」(×選定外)

・【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
【火口内の標高点】(標高3535m)緯度経度:北緯35度21分46.53秒、
東経138度43分53.27秒

・【地図】
2万5千分の1地形図「富士山(甲府)」。5万分の1地形図「甲府
−富士山」

・【山行】
第2日目:1996年(平成8)7月31日(水・快晴)富士山頂探訪:19
96年(平成8)7月30日(火・快晴)〜31日(水・快晴)「高尾駅・大月
駅・富士吉田駅・中ノ茶屋・五合目佐藤小屋・八合目太子館泊・富
士山頂お鉢めぐり・新五合目バス停・河口湖駅・大月駅・高尾駅」
:「富士山山行」「子供の科学」取材

・【参考】
「富士山記」都良香(「本朝文粹註釋・巻第12」に収録):「富士山
記」柿村重松註(注釈あり)内外出版
「富士山・史話と伝説」遠藤秀男(名著出版)1988年(昭和63)
「富士山よもやま話」遠藤秀男(静岡新聞社)1989年(平成元)

 

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