山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼754号 「奥多摩・大岳山の申し子・鬼源兵衛」

【概略】
奥多摩大岳山の神の申し子・源兵衛こと鬼源。五百貫(約2トン)
もの大石を持ち上げる怪力が恐れられ「鬼源」とも呼ばれていまし
た。鬼源は玉川上水の開削工事に大活躍、工事はみるみるうちに完
成。しかし大岳山が見えないとからきしだめだったという。
・東京都檜原村の出身だという。

▼754号 「奥多摩・大岳山の申し子・鬼源兵衛」



【本文】

 江戸初期の末ごろ、奥多摩の大岳山の麓の檜原村白岩(しらや)

いうところに、鬼源兵衛と呼ばれるほど強力でならした男の子がいた

という。この男は目玉がなみはずれて大きいので、目玉のたんじとも呼ば

れました。鬼源兵衛の父母には何人かの子どもがいましたが、どういう訳

か、みな早く世を去ってしまったという。



 両親は悲しみ、また子どもが授かるよう、ふだん崇める大岳山の大岳

神社にお百度をふみました。3、7、21日のの間、願かけをしたお陰か、

満願の日に元気な男の子が授かりました。男の子は源兵衛と名づけら

れ、スクスクと育ちました。



 源兵衛は、大岳山の申し子らしく、大人になるころには50人力もの怪

力が出せたという。また五百貫というから2トン近くもある大石を持

ち上げたという本もあります。そんな怪力が恐れられ「鬼源」とも

呼ばれていました。



 この話は本当のことらしく、「鬼源」が大活躍した話があります。

1653年(承応(じょうおう)2)(1653・江戸前期)、江戸の水不足解消

のため、玉川上水の開削が行われました。玉川上水は、多摩の羽村

地区から都心の四谷までの全長43kmにおよぶ大工事。



 工事の総奉行は、老中で川越藩主の松平信綱、水道奉行は伊奈忠

治(没後は忠克)がつき、玉川兄弟の玉川庄右衛門・玉川清右衛門が工

事を請負いました。



 この工事で、玉川兄弟から羽村堰工事人足として、檜原村へ25人

の人夫出役の割り当てがありました。この時、この25人分の代役を源兵

衛がひとりで引き受けたというのです。驚いたのは幕府の出張役人。たっ

たひとりで25人分の仕事をするというのですから、役人は話を疑いまし

た。が、一応仕事ぶりを見てみようと考えました。



 工事はいま、竹林を掘り起こしの真っ最中でした。人夫はみんな鍬で

竹を掘ってはまた一本掘って取りのぞいています。しかし源兵衛は、素

手のまま草を取るように、引き抜いてはまた引き抜いているのです。





 また堰どめ石の工事では、大きな石の下敷きになった同僚をなん

なく助けたり、大石をひょいと持ち上げ、小石でも投げるように、ポ

ンポン対岸から投げ込んでいます。石を1個1個持ち運んでいるふつう

の人夫とは大違いです。



 この働きぶりを見て役人は仰天。源兵衛は幕府から褒賞品刀匠和泉

大掾(だいじょう・江戸時代前期の彫刻家)作の名刀を授与されました。こ

のほか源兵衛には、「小河内の山姥退治」の話しもあります。



 そのころ、この地方では年貢を上納する途中で盗賊団に襲撃される事

件がたびたびありました。その盗賊団の主稜は女性で、人々は「山姥」と

呼び恐れました。源兵衛はこの一団を、三頭山近くの風張峠から遠矢で

退治したというのです。



 その鬼源兵衛が持ち上げたという力石が、あきる野市草花地区の

八雲神社(通称天王様)の境内にあるという。ただこの源兵衛の武

勇伝、怪力は大岳山が見える所でないと力が出なかったというからおも

しろい。



 ちなみに玉川上水羽村堰工事は幕府から渡された費用6000両。し

かしこれではとてもまかないきれず、不足分は工事をまかされた玉

川兄弟が出したという。その上、工事が完成すると、幕府は兄弟か

ら上水役を取り上げ、江戸払いにしたそうです。どんなことがあっ

たのでしょうか。



▼大岳山【データ】
【所在地】
・東京都奥多摩町と西多摩郡檜原村との境。青梅線御獄駅の南西6
キロ。JR青梅線御獄駅からバス、滝本からケーブル、御岳山駅か
ら歩いて2時間15分で大岳山。二等三角点(高1266.5m)がある。
直下に大岳神社がある。三角点より東方向直線約200mに大岳神社
がある。
【位置】
・二等三角点:北緯35度45分54.87秒、東経139度07分49.5秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「奥多摩湖(東京)」or「武蔵御岳(東京)」
(2図葉名と重なる)。
【参考】
・『奥多摩風土記」大館勇吉著(武蔵野郷土史研究会)1975年(昭和
50)
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進(角川書店)1978年(昭和
53年)
・『新編武蔵風土記稿6』(巻之112):『大日本地誌大系・12』蘆田伊人
編(雄山閣)昭和45(1970)年
・『日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

 

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