とよた 時・山のゆ-もぁ-と(イラスト)
山旅漫歩゚
【ひとり画通信】

▼748号 「北ア徳本峠・島々谷道と三木秀綱の奥方」

【概略】
穂高連峰の展望台徳本峠に至る島々谷道はかつて、上高地に入る本
道。飛騨松倉城主三木秀綱の奥方の悲話が残る。「をとめ子の心さ
びしも清き瀬に 身はながれつつ人恋ひにけむ 釈迢空」。釈迢空
は民俗学者・折口信夫のペンネーム。
・長野県松本市

▼748号 「北ア徳本峠・島々谷道と三木秀綱の奥方」

【本文】
信州松本市の旧安曇村島々集落から穂高連峰の展望地徳本峠に至る
島々谷道。江戸時代、松本藩が上高地の木材伐り出しのため多くの
杣人がこの道から入っていったという。

そのころは白木製品を運ぶ牛なども往来していたそうです。また当
時この道は男女の交際の場になり、毎夜上高地の伐採小屋の若者が、
また、島々集落の娘たちがそれぞれ徳本峠に向かい逢瀬を重ねたと
いう。

この道は1585年(天正13)、豊臣秀吉に反抗した飛騨松倉城主三木
秀綱の奥方が逃げる途中、地元の木こりたちに殺された悲劇の場所
としても有名です。

いまでも登山道わきには「三木秀綱公奥方侍女悲運の跡」の標識が
あり、小さな石碑に花が供えられたりしています。

さらに二股・林道の終点にも「秀綱夫人慰霊碑」があり、「をとめ
子の心さびしも清き瀬に 身はながれつつ人恋ひにけむ 釈迢空」
の文字が刻まれています。

釈迢空(しゃくちょうくう)とはあの民俗学者の折口信夫の筆名だ
といいます。1926年(大正15)上高地を訪れた折口信夫は案内人か
ら奥方の悲話を聞き、歌を5首詠みました。

1974年(昭和49)に地元有志が慰霊碑を建てる時その中の1首を刻
んだものといいます。

・島々谷二俣慰霊碑【データ】
地名:しましまだに

・【所在地】
長野県松本市安曇(旧南安曇郡安曇村)。長野電鉄新島々駅からバ
ス、島々下車林道を1時間半で二俣慰霊碑。そのほか付近に何もな
し。地形図上には記念碑の記号のみ記載。付近に何も記載なし。

・【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
【二俣慰霊碑】緯度経度:北緯36度13分25.55秒、東経137度45分29.8


・【地図】
2万5千分の1地形図「上高地(高山)」or「波田(高山)」(2図葉
名と重なる)

・【山行】
第11日目:1995年(平成7)8月28日(月・晴風強し)島々谷二俣
慰霊碑探訪:1995年(平成7)8月17日(木)〜8月28日(月)「新宿
駅・松本駅・大糸線信濃大町駅・七倉・烏帽子岳・野口五郎岳・水
晶岳・雲ノ平・高天原(高天ヶ原)・黒部源流・三俣蓮華岳・双六
岳・槍ヶ岳・大天井岳・常念岳・蝶ヶ岳・大滝山・徳本峠・霞沢岳
往復・島々集落・新島々駅・松本駅・新宿駅」:「北アルプス裏銀座
烏帽子岳から表銀座・常念岳・徳本峠・島々谷縦走」単独行

・【参考】
「山の伝説」(日本アルプス編)青木純二(丁未出版)1930年(昭
和5)
「北アルプス物語」朝日新聞松本支局編(郷土出版社)1982年(昭和
57)
「上高地物語」横山篤美(信州の旅社)1981年(昭和56)
「信州峠百科』井出孫六ほか監修(郷土出版社)1995年(平成7)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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