山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

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▼735号 「尾瀬の田んぼ伝説」

【概略】
「前九年の役」の奥州安倍貞任の残党・阿部(安倍)一族や以仁王
の従者が尾瀬で稲作をしたという伝説があります。しかし残念なが
らここでは稲はできないと実験で証明されているという。でも実際
に実験した人がいたのには驚きます。
・福島県桧枝岐村と群馬県片品村

▼735号 「尾瀬の田んぼ伝説」

【本文】
平安時代「前九年の役」で滅んだ奥州安倍貞任の残党が山伝いに逃
げてきて尾瀬に住みついたという話があります。そして近郊の集落
を襲い物品を奪い、村人は彼らを悪勢(おぜ)と呼び恐れたという。
この一族がここで稲作をしたというのです。

「利根郡村誌」に悪勢の頭領阿部(安倍)三太郎が尾瀬沼のほとり
で稲作をしたら何処よりも早く収穫できたので、早稲といったのが
「早瀬」に転化、尾瀬になったという。

また江戸時代編纂の「新編会津風土記」には、源平宇治川の戦いで
敗死の以仁王が生き延び東北に逃れる途中、尾瀬を通ったといい、
共をしてきた尾瀬大納言藤原頼国がここに住んで作った水田のあと
が残っているとの記事があります。

ほかに尾瀬の名は尾瀬氏がもとになっているともいいます。尾瀬氏
も悪勢からの転化。その城は尾瀬ヶ原の「牛の首」にあったという。

まわりの地名、上ノ大堀川(上田代)、下ノ大堀川(中田代)など
は、城の掘の役目をした名残ではないかという。

7月初め、水田の跡はこのあたりか、あっちの方か、梅雨空の中、
花を愛でる人たちに混じってと木道を徘徊しますが分かるはずはあ
りません。

家に帰って調べなおしたら、なんと尾瀬では米ができないことが実
験で証明されているとのこと。ザンネン……。しかし実際に実験し
た人がいたんですねえ。

▼尾瀬牛首【データ】
山名:うしくび

★【異名・由来】
尾瀬氏の城は尾瀬ヶ原の牛首だったとの説

★【所在地】
・群馬県利根郡片品村。JR上越線沼田駅からバス戸倉乗り換え・
鳩待峠から歩いて2時間10分で牛首。写真測量による標高点(1450
m)がある。地形図上には地名と標高点とその標高のみ記載。付近
に何も記載なし

★【位置
・牛首標高点:北緯36度55分15.86秒、東経139度12分47.59秒

★【地図】
2万5千分の1地形図「尾瀬ヶ原(日光)」or「至仏山(日光)」(2
図葉名と重なる)

★【参考】
・「尾瀬の昔と今」小暮理太郎(『日本山岳風土記5・東北・北越の山
々』(宝文館)1960年(昭和35)
・『新編会津風土記2』(巻之二十五・陸奥国会津郡の一):(『大日本
地誌大系・第31』)花見朔巳校訂(雄山閣)1932年(昭和7)
「尾瀬むかしむかし・第2集」南雲観光物産

 

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山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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