とよた 時・山のゆ-もぁ-と(イラスト)
山旅漫歩゚
【ひとり画通信】

▼695号 「北ア・もう一つのざら峠越え」

【概略】
富山城主佐々成政が雪の北アルプス越えより100年以上も前、西暦1
428〜64年(室町時代)、信濃国松本井川城主小笠原義康は、信州か
ら針ノ木峠経由でざら峠を越えて越中に入り、飛騨の姉小路一族の
松倉城へ攻め込んだ。成政より100年以上も前のことだというから
すごい。
・富山県大山町と立山町との境。

▼695号 「北ア・もう一つのざら峠越え」

【本文】
安土桃山時代の天正12年(1584)、富山城主佐々成政が雪の北アル
プスざら峠から信州へ越えた話は有名ですが、それより100年以上
も前、室町時代の後花園天皇のころというから、西暦1428〜64年に
信州から針ノ木峠経由でざら峠から越中へ行ったという話がありま
す。

当時飛騨の城士姉小路一族は松倉城にこもり、足利将軍の命をきか
ずむしろ反抗の気配さえありました。それを知った将軍側は、信州
松本井川城主小笠原義康に姉小路一族追討を命じます。

小笠原義康は2千の手兵を率い、成政とは逆コースをたどり富山県
に入り、越中の同士と協力して岐阜県の松倉城に攻め込んだという。

しかし佐々成政のように冬季のアルプス越えではなかったらしいの
でしっかりした案内人があれば当時でもそう難儀ではなかったろう
といいます。

この史実を記載した古記録は元松本高女校長で松本市史編纂に携わ
った唐澤貞次郎氏によって発見されたということです(青木純二著
「山の伝説」丁未出版社昭和5年発行によります)。

・ザラ峠【データ】
【所在地】
・富山県富山市(旧富山県上新川郡大山町)と富山県中新川郡立山
町との境。富山地方鉄道立山線立山駅の南西14キロ。富山地鉄立山
駅からケーブル、美女平からバス室堂、さらに歩いて4時間半でザ
ラ峠。写真測量による標高点(2348m)がある。付近に何もなし。
地形図上には峠名と標高点の標高にみ記載。ザラ峠より南方向直線
約580mに五色沼ヒュッテがある。

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・【ザラ峠標高点】緯度経度:北緯36度32分52.06秒、東経137度35
分58.84秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「立山(高山)」

【山行】
・第4日目:1986年(昭和61)7月29日(月・快晴)ざら峠探訪:
1986年(昭和61)7月26日(金)〜8月1日(土)「上野駅・魚津駅・
富山地方鉄道上市駅・馬場島バス停・早月尾根・伝蔵小屋(早月小
屋)・剣岳・剱沢・立山室堂・ザラ峠・五色ヶ原・スゴ乗越・薬師
岳・太郎兵衛平・折立バス停・有峰口駅・富山駅・上野駅」:「早月
尾根・剱岳・五色ヶ原・薬師岳縦走」家内と同行

【参考】
「山の伝説・日本アルプス編」青木純二(丁未出版)1930年(昭和
5)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

山旅イラスト【ひとり画通信】題名一覧へ戻る
………………………………………………………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」トップページ【戻る】