山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼680号 「北ア奧穂高岳物草太郎の祠」

【概略】
奥穂高岳山頂の祠は綿津見命とその子・穂高見命をまつっている。
しかしちまたではもっぱら物くさ太郎だとしている。「御伽草子」
の物くさ太郎は120歳まで生き、死後「おたがの明神」となったと
している。おたがの明神は穂高の明神として通っています。
・長野県安曇村と岐阜県上宝村との境

▼680号 「北ア奧穂高岳物草太郎の祠」

【本文】
皆さんは奥穂高山頂にある祠の神をご存じですか。祠は長野県穂高
町と長野県安曇村上高地にある穂高神社(穂高大明神)の山宮にな
っています。

祭っている神は綿津見命とその子・穂高見命、瓊瓊杵尊となってい
ますが、ちまたではもっぱらあの物草太郎をまつっていることにな
っています。

物草太郎が信濃の中将に出世して京から帰って120歳まで生き、死
後、物草太郎ははおたがの大明神に、妻はあさいの権現になってあ
らわれたと「御伽草子」という本に書かれています。

「おたが」の明神とは、「愛宕」とか「御多賀」といわれてきまし
たが、普通は「穂高」の訛りだというのが一番広く使われているそ
うです。

江戸時代の松本藩の総合書「信府統記」に、文徳天皇の世に信濃の
国の信濃中将という人が穂高神社を造営した。これこそ物草太郎と
称えた人。

当社のうちに若宮大明神の宮がありこの中将をまつっている、とあ
ります。いまでも穂高神社を俗に物ぐさ太郎の宮といい、太郎の塚
もあります。

▼奥穂高岳【データ】
【山名・異名】
奧穂高岳(おくほたかだけ)

【所在地】
・長野県松本市安曇(旧南安曇郡安曇村)と岐阜県高山市上宝町(旧
岐阜県吉城郡上宝村)との境。篠ノ井線松本駅の北東29キロ。松本
電鉄新島々からバス上高地下車、重太郎新道経由歩いて8時間30で
奧穂高岳。写真測量による標高点(3190m)と穂高神社の山宮の祠
がある。地形図上には山名と標高点とその標高のみ記載。標高点よ
り北方向直線約480mに穂高岳山荘がある。

【ご利益】
・【穂高神社奥宮】:福徳開運・交通安全

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第55番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第64番選定・岐阜県)
・清水栄一選定「信州百名山」(第69番選定)

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・【標高点】緯度経度:北緯36度17分21.18秒、東経137度38分52.74


【地図】
・2万5千分の1地形図「穂高岳(高山)」

【参考】
・「山の傳説・日本アルプス編」青木純二(丁未出版)1930年(昭
和5)
・「信州の伝説」(日本の伝説・3)浅川欽一ほか(角川書店)1976
年(昭和51)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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