山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼669号 「北信・飯縄山の天狗の麦飯」

【概略】
飯縄山の名は飯砂で、食べられる砂のことだという。これが天狗
の麦飯で、飯粒・飯砂・餓鬼の飯とも呼ばれます。これは木の実や
芽、葉、甘皮などが地面に落ちて重なり、年月が経つうちに醸成
されて食用になると考えられています。「飯縄の法」の呪術を使った
千日太夫はこれを食べて修行していたそうです。

▼669号 「北信・飯縄山の天狗の麦飯」

【本文】
 長野県北西部にある飯縄山(いいづなやま)は「飯綱山」とも書き、江戸
時代末期まで戸隠山、小菅山とともに信濃三大修験道場のひとつだったそう
です。この山の名は、昔は飯砂山(いいずな)とも書かれたように、ここか
ら食べられる砂が採れたことからきているといいます。これは「天狗の麦飯」
とも呼び、飯粒・飯砂・餓鬼の飯の名もあります。

 「天狗の麦飯」について『奇区一覧』という江戸時代の本に「飯縄山より
戸隠へ東へ一里。その道筋、峰より北へ十四、五町下れば、方十歩ばかりの
一湿地あり。此処の土砂、渾(ふる)って粟飯の如く、大麦の割飯にも似た
り。俗に餓鬼の飯と言ふ。試しに手に掬して之を喫するに、味、麦飯に替わ
る事なく、誠に珍奇なるものなり」とあります。

 これは木の実や芽、葉、甘皮などが地面に落ちて重なり、年月が経つうち
に醸成されて食用になると考えられています。実際に食べた人の話では味も
香りもなく、やわらかくでゼラチン質だったとか。

 栄養分もあり飢饉にはふもとの住民は蒸して食べ、命をつないだというも
の。いまは天然記念物になっていて採集は禁止されています。天狗の麦飯は、
飯縄山ばかりではなく、黒姫山や野尻湖附近、山麓の髻(もとどり)山、浅
間山、小諸の味噌塚、そして群馬県にもこのふしぎな土が見つかっています。
色、形はさまざまですが、大きさは0.11センチくらい。小さな粒つぶで弾力
のある寒天質。麦飯の麦粒みたいで乾くと味噌のようにも見えるそうです。

 幸田露伴の『魔術修行者』にも、天狗の麦飯は北海道にも産し、中国の『太
平広記』にも出ています。「天狗の麦飯」が何であるか、長い間不明でしたが、
研究の結果、藍藻(らんそう)植物のグロエオカプサとグロエオカテカが主
体であろうということです。

 そもそもこの山には飯綱三郎という天狗の伝説があります。戸隠側では伊
都奈三郎とも書いています。飯綱三郎は愛宕山太郎坊、比良山次郎坊につぐ
三郎。平安初期から語りつがれる天狗でそれは大した大物です。

 それとは別に、飯縄山千日大夫という天狗伝説があります。千日大夫は、
山にこもって穀食を断ち千日間の修行の末「飯縄法」をあみだします。「飯縄
法」は「管狐(くだぎつね)」という、人には見えない小動物を使って、人の
過去や未来を告げさせる呪法。一時いろいろな為政者の尊崇を受けたことも
ありましたが人を惑わす邪法。民衆が怖がってついに滅亡してしまったとい
うことです。

 しかし、「飯縄法」をあみだした千日大夫も生身の体、千日間も何も食べな
いわけにはいきません。実際にはこの「天狗の麦飯」食べていたのだろうと
されています。そんなこんなで、昔の人はこの「食べられる砂」を天狗が食
べる麦飯と呼び、また実際に山にこもる修験者もこれを食べたりしたという
言いつたえも残っています。

▼【データ】
★【所在地】
・長野県長野市と長野県長野市戸隠、長野県上水内郡飯綱町大字牟
礼との境。信越本線牟礼駅の西25キロ。JR信越本線長野駅からバス、
飯縄高原から歩いて2時間30分で飯縄山。二等三角点(1917.4m)があ
る。地形図に飯縄山(飯綱山)の文字と三角点の標高の記載あり。付近
南西側に飯縄神社と標高点の標高(1909m)の記載あり。

★【位置】
・二等三角点:北緯36度44分22.2秒、東経138度8分1.16秒

★【地図】
・旧2万5千分の1地形図:「若槻(高田)」

★【参考文献】
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・『世界大百科事典・21』(平凡社)1972年(昭和47)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本大百科全書・16』(小学館)1987年(昭和62)
・「日本の天然記念物・三」講談社1984年(昭和59)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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