山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼652号 「奈良吉野・奥千本の西行庵」

【略文】
俗世間を離れて吉野に庵を結び歌をたくさん残した西行。奥千本の
西行庵は屋根に雑草が生え、いかにも当時のたたずまいを彷彿とさ
せる。西行といえば妻子を捨てて出家したお人。かわいい娘を出家
の邪魔になると足蹴にしたという伝説まである。昔の人はスッゴイ
ものだ。
・奈良県吉野町

▼652号 「奈良吉野・奥千本の西行庵」

【本文】
 あまりにも有名な吉野のサクラ。かつて役ノ行者小角(おづぬ)
が厳しい修行の末、感得した蔵王権現をサクラの木に刻みました。
以来、サクラがご神木となり、金峰山寺(きんぷさんじ)へお参
りにくる人たちがそれぞれ苗を持ってきて、植えて行く習慣がで
きたといいます。

 そのサクラが次第に増え、いつしか吉野中がサクラの木で埋ま
り、毎年春になると、吉野山が全山サクラの花が咲き乱れます。
とくに奥千本地区から、蔵王堂などある中千本、下千本方面を見
下ろした景色は、まるで夢を見ているようです。

 そのサクラに惹かれ、昔から文人墨客がたくさん訪れています。
西行法師もそのひとりでした。とくに西行はここ吉野に3年間庵
を結び、歌を詠む毎日を送ったそうです。その庵が奥千本にあり
ます。庵の中には西行法師の像もあり、いかにも当時の佇まいを
残しています。

 そもそも西行は、平安時代末から鎌倉時代初頭の歌僧。本名を
佐藤義清(のりきよ)といい、出家して西行と名のりました。父は
藤原氏藤成(ふじなり)流の左衛門尉(さえもんじょう)、母は監
物清経(きよつね)の女(むすめ)。先祖には平将門を討ったと伝
える、俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)がおり、さらに奥州
藤原氏とも縁つづきという、なにやらエラそうな家系の家に生まれ
たようです。

 16歳のころ徳大寺家(※藤原北家閑院流の公家・華族だった家)
に仕え、18歳の年に莫大な任料を納めて左兵衛尉(さひょうえの
じょう・ 左兵衛府の第三等官)に任官したという、よく分からな
いですが相当なお人のようです。

 しかし23歳の若さで出家してしまいます。その理由は、ことも
あろうに鳥羽院(第74代天皇とされる・崇徳院(顕仁・あきひと)
の父)の女院に思いを懸けていましたが、どう見ても叶わぬ恋とあ
きらめたためともいいますが、はっきりしません(源平盛衰記)。(こ
の時奥さんがいたという話もあります)。

 西行は出家後まもなく吉野山に登り、庵を結び3年を送りました。
そして大峰で難行苦行をおさめ、熊野での修行を終えて、一旦京へ
帰ったのちに伊勢に赴きます。また伊勢を経て東国への旅もしまし
たが、30歳以後は高野山を本拠に、各地を修行勧進してまわった
といいます。

 50代のはじめ、讃岐(さんき・香川県)の崇徳院の墓陵参拝と、
弘法大師の遺跡巡礼を目的に、中国、四国方面へ行脚したそうです。
63歳になり高野山から伊勢に移ります。その後、再度陸奥に旅の
あと、河内国の弘川寺に居を定めて、1190年(建久1・鎌倉初期)、
弘川寺で73歳で没しました。

 西行法師は、お釈迦さま入滅した日と同じ日(2月15日)にこ
の世を去ることを願い、「願はくは(ば)花のしたにて春死なむそ
のきさらぎの望月のころ」と詠じていましたが、その通りになった
ということです。しかし実際は、西行忌は2月16日ですが、釈迦
入滅の日も15日なのか16日なのかはっきりしていないようです
ので、そこはそれ、これくらいは許容の範囲とご認識下さります
よう……。

 このように西行さんはふつうの歌人とも、僧とも違った特異な生
涯を送っています。そんなことから人気は急上昇、いろいろな説話
・伝説が生まれます。出家する時にしても、止める家族に、幼い娘
を足蹴にし奥さんを説得し、京都西山「勝持寺」に向かったといい
ます。

 西行の妻は、夫の出家後間もなく尼となり、高野のふもとに住み
ました。娘は冷泉殿に引き取られましたが、成人してから父に再会、
父の勧めで尼になったそうです。そして西行の死後、母子とも相次
いで往生を遂げたそうです。

 さて、こんな話も残っています。讃岐の崇徳院(顕仁・あきひと)
の墓陵参拝した時のこと、崇徳院の霊があらわれ、西行法師と話を
したことが、『雨月物語』の白峰の項に載っています。崇徳院(顕
仁)は、平安時代第75代天皇になりましたが、父の鳥羽上皇に嫌
われ、強引に譲位させられ、「院」になりました。

 崇徳(顕仁)の父は鳥羽上皇とはいえ、実際は、父の祖父(白河
院)の実子ではないかといわれています。顕仁(あきひと)から見
れば「ひおじいちゃん」なのです。なんとまあ……、何でもアリなん
ですね。そんなことから父・鳥羽上皇から疎まれていたんでしょう
ね。

 そこで崇徳院は、せめて自分の息子・重仁親王を天皇にしたいと
願いましたが、またもや父の指示で、弟の後白河天皇に、その位を
奪われます。父の死後、崇徳院(顕仁)は臣下の藤原頼長とはかり、
天皇の位を弟の後白河天皇から奪おうと、「保元の乱」(1156年)を
起こし、後白河・藤原忠通勢と戦いました。

 しかしあえなく敗北、仁和寺(にんなじ)に監禁された後、讃岐
国の松山(いまの香川県坂出市)に流されます。そこで軟禁生活を
送る崇徳上皇は、都に帰りたいと願いますがかなわず、憤怒と怨み
のうちに46歳で亡くなりました。

 そんな崇徳院の墓陵を訪れた西行法師は世間から忘れられ荒れて、
草が生え放題の墓を見て「保元の乱からまだ11、2年しかたっていない
のに、なんという荒廃ぶり……」と嘆きます。そして院の墓の前に座っ
て終夜供養を行いました。すると、深夜に魔王の恐ろしい形相で崇
徳院の怨霊があらわれました。西行は、崇徳院の怨念を和らげようと、
いろいろ諭しますが納得しません。

 崇徳院は白眼を吊り上げ天狗を呼び、「どうして早く平重盛(父
の鳥羽上皇方で活躍した)の命を奪って、雅仁(後白河上皇・父の
立場をうけ継いだ弟)や、清盛を苦しめないのか!」と叫びます。
院の忠実な従者らしい天狗は「彼奴らの命を奪うのは、いま少し時
間がかかります。12年ほど経てば必ずご希望どおりに致します。
彼が死ねば平家一族の運も尽きましょう」。

 これを聞いた院は手をうって喜び、「さればよ、かの仇敵どもを
ことごとく、この前の海に葬りつくすぞ」と、嬉しそうに叫びまし
た。西行は、院の魔道のあさましい姿を見て忍びがたく、仏道帰依
の心を深めたのでありました。そして天狗の言葉どおり、平重盛は
治承3年(1179)に死んでいるのです……。ま、それはさておいて、
西行は、俗世間を離れて吉野に庵を結んだ3年間、「吉野山こずゑ
の花を見し日より心は身にもそはずなりにき」などの歌をたくさ
ん残しています。

 ある年の4月、吉野から高野山へまわり、小辺路を歩こうと計
画を立てました。吉野はまさに花盛り。中千本、上千本、奥千本
経由で西行庵を訪れました。西行庵は、開かれた気持ちのいい場
所にあります。前に整備された東屋も建っています。庵の屋根に
は雑草が生え、いかにも当時のたたずまいを彷彿とさせています。
近くの「苔清水」はいまでも人の生活に十分な水量を保っていま
す。この清水についてはこんな歌が残っています。「とくとくと落
つる岩間の苔清水汲みほすまでもなきすみかかな」(読み人知ら
ず)。余談ながら、かつてはこの歌も西行のものと思われていたそ
うです。

 さてここに着いてから大分時間も過ぎました。そろそろ今夜の
ねぐらを探さねばなりません。幸い「清水」も近い、この広場の
片隅でテント張って、西行さまの爪のあかでも煎じて飲んだ気に
なろうかと思いました。しかしそれはあまりにも畏れ多い。そこ
で清水の水を汲んで立ち去り、青根ヶ峰の薮の中に潜り込み、テ
ントを張ったのでありました。

 ちなみに西行庵に建っている波多野南行作の漢詩碑「説法驚文
覺、談兵服頼朝。青山留錫處、千古仰高標」は、「法を説きて文覚
を驚かし、兵を談じて頼朝を服す。青山に錫(錫杖)を留むる處、
千古より高標(吉野山)を仰ぐ」と読むのだそうです。


▼西行庵【データ】
【所在地】
・奈良県吉野郡吉野町吉野山。ロープウエー吉野山駅からバス25分、
終点の奥千本口からさらに徒歩25分で西行庵。広場と休憩所、付近
に水場がある。地形図に西行庵の地名のみ記載。標高なし。西行庵
より北方向500mに金峰神社がある。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・西行庵:北緯34度20分18.29秒、東経135度52分49.56秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「新子(和歌山)」or吉野山(和歌山)(2
図葉名と重なる)。

▼【参考文献】
・『雨月物語』上田秋成:『雨月物語・春雨物語・世間子息気質・東
海道中膝栗毛・浮世床』(日本文学全集・13)円地文子ほか訳(河出
書房新社)1961年(昭和36)所蔵
・『山家集』(さんかしゅう)西行:日本古典文学大系『山家集・金
槐和歌集』風巻景次郎ほか・校注(岩波書店)1961年(昭和36)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

 

 

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