山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼650号 「中ア木曽駒ヶ岳・神馬と織田信長」

【説明概略】
木曽駒ヶ岳には大きなあし毛の神馬がすむと古書にあります。そ
んな話を織田信長が聞き「明年は諸国の卒徒を督し此の山を囲み
之を猟得せん」ということになりました。しかし木曽駒ヶ岳に登
ろうとするその年の6月、「本能寺の変」に遭ってしまったという
ことです。
・長野県宮田村と木曽福島町との境

▼650号 「中ア木曽駒ヶ岳・神馬と織田信長」

【説明本文】
 木曽駒ヶ岳には昔から神馬がすんでいるという噂がしきりにあ
ったという。江戸中期の寛延2(1749)年、紀州藩士の神谷養勇
軒が藩主の命令で各地の奇談珍談を集めて書いた『新著聞集』(し
んちょもんじゅう)という本があります。

 その「信州駒ヶ岳馬化して雲に入る」の項に、江戸時代前期、
尾州の役人たちが木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ・2956m)に登り、
大きなあし毛の神馬を見たという話が載っています。このような
昔からの伝説から駒ヶ岳(木曽駒ヶ岳)の名前になっています。(山
旅通信【ひとり画展】506号)。

 時代は戦国時代にさかのぼりますが、神馬の話を伝え聞いた織
田信長がこの神馬を探しに行くつもりだったというのです。江戸
中期、宝暦7年(1757)松平秀雲(君山)が著した木曽地方の地
誌『吉蘇志略』(きそしりゃく)という本の「巻第二 上田の項」
駒嶽の条にこんな話が載っています。

 「駒嶽 是木曾東嶽也其高数千仞数峰連続一峰頂有石形若馬故
名……」と難しい漢字……。この漢文を訓読すると、大体次のよ
うになるようです。

 「駒ヶ岳。是(れ)木曾の東嶽なり、其(の)高さ数千仞(じ
ん・両腕を広げた長さ)にて数峰連続す、其(の)一つの峰は頂
きに石有り、形馬の若(ごと)し故に名づく。或は曰(い)ふ、
此(の)山に神馬有り故に名づくと。…

 …按(あん)ずるに三季物語に、織田右丞(うじょう・織田信
長)甲州を征伐し、軍を回すの日諸将に謂(い)ふて曰く、吾(れ)
聞く信州駒(ヶ)嶽に、四百年来神馬あり、明年は諸国の卒徒(そ
つと・兵卒)を督(うなが)し、此(の)山を囲み、之を猟得せ
ん、源右幕下(源頼朝のこと)の富士の狩(り)に倣(なら)ふ
べき也。…

 …その年明智光秀の為に弑(しい)に遭(あ)ひ、其(の)事遂
に輟(や)む。然(り)則(すなわち)其(の)説由来久し矣(い
・句の終わりにつけて断定)、其(の)絶頂に一つの鉅岩(きょが
ん)有り、然(しか)して人の到ること少(な)し、其(の)東
は則(すなわ)ち伊那郡(ごおり)の界(さかい)なり」となる
らしいです。

 ちなみ『三季物語』という文献は、作者不詳、年代も江戸時代
のいつごろか成立時期は不詳で、刊本もありません。また信長は
天正10年(1582)、美濃岩村から伊那谷に入り北進して、3月に
高遠城を滅ぼし、さらに諏訪から甲州に進みます。そして武田を
滅ぼしたのち、その足で東海道を上洛(京へ向かう)して6月に
「本能寺の変」に遭っています。

 この話について信濃の奇談短編集『信濃奇談』は、「天正の頃小
田公天下の諸侯を募りて駒岳を狩し、良馬を得て軍用に備へんと
謀り給ひしか、不慮にして生害せさせ給ひその事止(やん)たり
と、三季物語に見へたるを、みた(だ)りに神物を得ましく欲し
たまひしゆゑに、その咎(とが)を得給ひしなりと後の人評しき」
と、皮肉っています。

 それはともかく、織田信長が「本能寺の変」に遭っていなけれ
ば、もしかしたら諸州の諸将を集めて神馬狩りをしていたかも知
れません。神馬とはどんな馬か、興味があるところ。木曽駒はと
かく馬に関深い山ではあります。さすが「駒ヶ岳」ですね。

▼木曽駒ヶ岳【データ】
★【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第74番に選定):日本二百名山、
日本三百名山にも含まれる。
・田中澄江選定「花の百名山」(第70番に選定)
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第62番に選定・長野県)

★【所在地】
・長野県上伊那郡宮田村と長野県木曽郡木曽町(旧木曽郡木曽福
島町)、長野県木曽郡上松町との境。飯田線駒ヶ根駅の北西14キロ。
JR飯田線駒ヶ根駅からバス、ロープウエイ千畳敷から歩いて2
時間15分で木曽駒ヶ岳。一等三角点(2956.0m)と、木曽側と伊
那側の木曽駒ヶ岳神社がふたつある。地形図に山名と三角点の標
高と神社記号鳥居の記載あり。

★【位置】(電子国土ポータル)
・三角点:北緯35度47分22秒、東経137度48分16秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳(飯田)」

★【山行】
・某年7月29日(木曜日・ガス強風)

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『吉蘇志略』(きそしりゃく)(松戸秀雲・君山)1757年(宝暦7)
・『駒ヶ岳研究』(第一輯)(上伊那教育委員会編)1940年(昭和15)
宮田村役場提供
・『信濃奇談』堀内元鎧?(1829年(文政12年)刊行の信濃の奇談
短編集):(「日本庶民生活史料集成16・奇談奇聞」(鈴木棠三ほか
編)(三一書房)1989年(平成1)所収
・『信州山岳百科2』(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・『新著聞集』(勝蹟篇第六)(神谷養勇軒)1749年(寛永2)刊:
『日本随筆大成第二期第5巻』日本随筆大成編輯部編(吉川弘文
館)1994年(平成6)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「旅と伝説」(第1巻・通巻1号〜6号)(岩崎美術社)1928年(昭
和3)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本庶民生活史料集成16・奇談奇聞』(鈴木棠三ほか編)(三一
書房)1989年(平成1)
・『日本伝説名彙』(にほんでんせつめいい)柳田国男監修(日本
放送出版協会)1950年(昭和25)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979年(昭和54)
・『ふるさとの山・駒ヶ岳ものがたり』赤羽篤(国土交通省天竜川
上流工事事務所調査課提供)
・『名山の文化史』高橋千劔破(河出書房新社)2007年(平成19)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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