山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼638号 「奥秩父金峰山麓・長野川上村の石仏」

【概略】
馬頭観音塔の信仰は弘法大師が唐から日本に伝えたもの。しかし、
いまのように道ばたに建てたのは江戸時代中期から。のち、農家の
牛の数が増えるにつれ、馬だけでなく牛を供養する「牛頭観音」も
出現。金峰山のふもと川上村にも馬頭牛がならんでいる。いまは「豚
頭観音」まであると聞いた。
・長野県川上村

▼638号 「奥秩父金峰山麓・長野川上村の石仏」

【本文】
道の辻などでよく見かける馬頭観音の石塔は、昔、農作業の大切な
動力として働いた馬を供養するために建てたものだそうです。

この信仰は弘法大師が唐へ修行に行ってから日本に伝わったもの
で、鎌倉時代、武家社会の中で流行したとのこと。いまのように道
ばたに建立するようになるのは江戸時代中期からだそうです。

のち、農作業の使役に馬よりも牛の方を飼う農家が次第に増えてい
きました。そこで牛を供養する「牛頭観音」も出現することになり
ます。

ここ高原野菜の主産地として有名な長野県川上村川端下(かわはけ)
地区にも馬頭観音と牛頭観音がならんで建っています。

ここは農耕の神としてあがめられた金峰山(きんぷさん・金峰山(き
んぷさん・2599m)の北麓にあり千曲川の源流にあたる台地です。
かつては川の下流一帯・北信濃地方の人までが金峰山へ参拝に訪れ
たため、にぎわった道だという。

昭和63年(1988)年建立の新しいものも混じって石碑群はいまでも
供物が絶えず、耕耘機やクルマの行き交う村道を見下ろしています。
ちなみにいまは「豚頭観音」まであると聞きますがご存じの方いま
せんでしょうか。

▼川端下【データ】
【所在地】
・長野県南佐久郡川上村(合併せず)。JR小海線信濃川上駅から
バス終点川端下下車。地形図上には地名の記載

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【川端下】北緯35度56分17.05秒、東経138度38分43.00秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「居倉(甲府)」

【参考】
・「宿なし百神」川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)
・「日本石仏事典」庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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