とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼636号「房総富山・天富命(あめのとみのみこと)と冬至」

・【前文】
富山は南北の双耳峰は、山頂にまつってある本尊から観音峰と呼
ぶ南峰と、鞍部を隔てた金毘羅峰と呼ばれる北峰があります。北
峰の広場には十一州一覧の展望台があり、360度の眺望。西側の眼
下には東京湾が広がっています。それをはさんで富士山、伊豆大
島まで一望できます。別名天富山(あめのとみさん)、遠見山とも
いい、古くから航海の目標とされてきました。暮れの12月22日、
冬至の太陽がどこに沈むか見ようと山頂にテントを張りました。
・千葉県南房総市
【本文】は下記にあります。

▼636号「房総富山・天富命(あめのとみのみこと)と冬至」

【本文】
千葉県房総半島南部・JR内房線の岩井駅に降りると東方に形の
よい双耳峰が目立っています。富山(とみさん・349.5m)です。地
元の地名が富山(とみやま)で山名が「とみさん」なので注意が
要ります。小さな山ながら見晴らしがよいせいかちゃんと三角点
もあります。

南北の双耳峰は、山頂にまつってある本尊から観音峰と呼ぶ南峰
と、鞍部を隔てた金毘羅峰と呼ばれる北峰があります。北峰の広
場には十一州一覧の展望台があり、360度の眺望。西側の眼下には
東京湾が広がっています。それをはさんで富士山、伊豆大島まで
一望できます。別名天富山(あめのとみさん)、遠見山ともいい、
古くから航海の目標とされてきました。富山とは、『日本後紀』(平
安初期)の弘仁2年紀に「安房ノ人大伴直勝麻呂、姓ヲ大伴登美宿
祢(とみのすくね)ト賜ル」とあることから登美宿祢に因んだもの
だそうです。

また、古代に阿波忌部(いんべ)の一族を率いて安房にやってきて、
房総を開拓した天富命(あめのとみのみこと)がここで死んだとい
う伝説にちなむ(『安房志』明治41・1908年)ともいわれています。
ここの観音堂にはその天富命の神霊がまつられていたそうです。

一方、ここが天富山(あめのとみさん)とするのはここに天富命の
墓地があり神霊をまつってあったからで、その神霊は、成務天皇(記
紀による13代天皇・在位131~190年)の時、末裔である久登美が
安房神社(千葉県館山市)に移したという説もあります(『日本地
理志料・安房』)。

富山や二ツ山(ふたつやま・鴨川市)には雷とともに落ちてくる雷
獣という小獣がいて、雷獣狩りをしたという(『房総雑記』)。これ
は鼬?(ゆうえん・ネズミに似て尾がなく体黒く長鼻、四肢短く土
中にすみ、ミミズや虫を食べる)のようなものを捕まえ殺すとその
夏は雷が少なく、狩りをしないと雷が多くおこるという(『和漢三
才図会』)。この雷獣は各地の山でも多く目撃され、丹沢大山、奥秩
父金峰山でも捕まえたりしたそうです(『同書』)。

さて富山南峰にはもと天平3(731)年、行基(ぎょうぎ)菩薩創
建といわれる観音堂があったので観音峰の名がありますが、昭和38
(1963)年の失火で焼失。いまは仮堂がポツンと建っています。
以前は壊れかかった仁王門で仁王様が迎えてくれましたがなくな
ってしまいました。いまはやぐらに羅漢さま、そのほか十一面観
音像、石祠などがあるだけです。

しかし江戸時代には、境内で雨乞いの降雨祭が行われていたといい、
また鐘楼のほか、浅間社や、石尊社、熊野社などの祠もまつられ、
宿坊まであったと副満寺の古い記録にあるそうです。観音堂仮堂わ
きには巖谷小波の詩碑があって「山高きが故に尊からず、この山馬
琴の麗筆によりてその名永(とこしえ)に高く尊し」の文字も刻ま
れています。南峰からの鞍部には「西国観音」碑があり、北峰入り
口には金毘羅神紋である丸金の字を彫った自然石もあります。

北峰は金比羅堂があるので金比羅峰とも呼ばれます。文久年間
(1861〜1864)、江戸の講中によって金毘羅堂が勧請されたものだ
そうです。お堂の裏山頂に三等三角点があります。その付近に「金
毘羅大権現」石碑、弥陀(キリーク)の種子を彫ったらしい「弥陀
三尊」の碑、「金山毘古命」の碑、「東照大権現」碑などが江戸期の
面影を残してくれています。

その先の北峰広場は「十一州展望台」と呼ばれ、展望塔の階段を登
ると眼下の東京湾に浮かぶ船、海岸にそって走る電車。また富士
・箱根をはじめ、鋸山から伊豆大島など360度のパノラマ。まさに
「遠見山」とも呼ばれたのも納得できます。

この山は滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の「富山(とやま)の洞
(ほら)に畜生菩提心を発(おこす)流行(ながれ)に泝(さか
のぼり)て神童未来果を説く」の舞台としても有名で、鞍部を西
側に下った所に「伏姫の籠穴」があります。

入口には観光名所として看板が立ち、「仁・義・礼・智・忠・信・
孝・悌」の文字をつかっての説明文もあります。洞窟の中には、
祠や石塔があって異様な雰囲気が漂っています。ところが作者の
馬琴は、ここに来たことがないというから面白い。実は現地取材
なしの創作洞窟だったのです。

とすれば、有名になった伏姫の籠穴なるものにあやかろうと、地
元の人が無理に洞窟を探し、少しは加工して名づけたものかも知
れませんね。いまは籠穴内に白い水晶玉を飾ったり、休憩場所や
門を造ったりと力を入れています。

暮れの12月22日、冬至の太陽がどこに沈むか見ようと山頂にテ
ントを張りました。富士山直下の黒い陰は箱根の山々です。さら
に伊豆半島の天城山、右側には丹沢が横たわっています。日没が
近づき海面が輝きだし、大島の大きな陰が浮かびます。太陽は天
城山と大島の間に沈みました。地図に線を引いて見るとちょうど
下田、石廊崎の上を通っています。

冬至の太陽はこんな南に沈むのか。やたらと神々しい景色です。
空がみるみる茜色に変わり富士山の陰が変化します。そのあとに
満天の星が待っていました。見かけの太陽が沈んだのは16時37分。
実際の日没記録は16時31分。ちなみに「大百科全書」によれば「日
の出は、明け方、太陽の上縁が地平線に接して見える瞬間の時刻を
日の出と定義。

大気密度で見える方向との違い(大気差)のため太陽が地平線にあ
る時は34分角で、地平線の下34分角で人の目には地平線上にある
ように見える。だが、太陽の視半径が16分角あるため、地平線下50
分角に達したとき太陽の上縁が地平線に接したように見える。この
時を日の出時刻とする。

また、日の入りは、太陽の上縁が地平線に隠れたときを日没とする。
しかし、大気差、太陽の視半径の関係で太陽は地平線下50分角に
達している」のだそうです。

▼富山北峰【データ】
【所在地】
・千葉県南房総市富山地区(旧安房郡富山町)。JR内房線岩井駅
の東3キロ。JR内房線岩井駅から歩いて1時間半で富山南峰。
さらに10分で北峰。南峰に観音堂の仮堂があるが地形図には地名
標高ともに記載なし。北峰に三等三角点(349.5m)と電波塔があ
る。

【位置】
・三等三角点:北緯35度5分55.82秒、東経139度52分53.48秒

【基準点閲覧】
・基準点(三角点):(基準点コード::TR35239571001)(点名:
富山)(冠字選点番号:暑 21)(種別等級:三等三角点)(成果
状態:正常)(測地系:世界測地系)(緯度経度:緯度 35°05′55.
856、経度 139°52′53.4873)(標高:349.54m)(現況状態:正
常 20030415)(所在地:記入なし)

【点の記】
・閲覧不可

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「保田(横須賀)」or「金束(横須賀)」(2
図葉名と重なる)。5万分の1地形図「横須賀−那古」

【山行】房総・富山冬至の夕陽・水仙ロード
・2003年12月22日(月・冬至快晴):「内房線岩井駅・芝入口バス停・富山
中学校・伏姫の籠穴・富山北峰(荷物を置いてサブザック・水車小屋・北
峰展望台・冬至の夕陽の沈む場所を観察」

【参考文献】
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『千葉県古事志』(幕末-明治時代の教育者嶺田楓江・みねたふう
こう):『房総叢書・7』編集・紀元二千六百年記念房総叢書刊行会
(発行・紀元二千六百年記念房総叢書刊行会)1942年(昭和17)
に収録
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『房総雑記』(楓江(ふうこう)・嶺田雋(せん)士徳著)明治16
(1883)年以降:『房総叢書・2巻』(第2輯)(編集兼発行者・房
総叢書刊行会)大正3(1914)年
・『房総山岳志』内田栄一(論書房出版)2005年(平成17)
・『房総の山』千葉県山岳連盟(千秋社)1977年(昭和52)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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