山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼610号 「南ア農鳥岳・農鳥のタマゴ」

山名は鳥の雪形からきているという。しかし古くは農鳥岳が間ノ岳
と同じ山と見られていたり、雪形がどこのどれなのかかなり混乱。
地元の人の話ではシャモのオンドリのようだともいう。また農鳥岳
山麓に近い沢の黒い岩のことで、タマゴを3つも持って現れるとも
いう。
・山梨県早川町と静岡市との境

▼610号 「南ア農鳥岳・農鳥のタマゴ」

【本文】
かつて山に積もった雪が溶けて現れる模様(雪形)は、ふもとの村
人の春を知る目安になっていました。このような雪形を見て苗代な
ど農作業をはじめる例は各地にあります。


南アルプスでも北にある北岳(きただけ)・間ノ岳(あいのだけ)・
農鳥岳(のうとりだけ)は、合わせて白峰(しらね)三山と呼んでいる
そうです。

その名は高山のためまわりの山々よりも遅くまで白く雪が残るから
という。なかでも農鳥岳はそのものずばり、農の鳥の形の雪形が山
名のもとになっています。

農鳥岳は2峰に分かれ、東側にある本峰が単に農鳥岳(3026m)と
呼び、西にあるのが西農鳥岳(3051m)といっています。

農鳥岳の雪形は2種類あり、これらは東の本峰の農鳥岳のアスナロ
沢という沢の源頭に出るという。

まず夏のはじめ、白い鳥が首を伸ばしたような雪形が出ると地元で
は苗代づくりの作業をはじめ、次に牛の雪形が現れるとダイズやア
ズキをまく作業をしたといいます。

また雪形は年2回現れることがあり、秋になって降った雪が積もっ
て再び農牛の形が出てくると、こんどは収穫の作業をはじめたとい
うことです。

しかし江戸時代の山梨県の地誌「甲斐国志」や明治時代の「大日本
地名辞書」には農鳥岳が間ノ岳と同じとあり、農鳥岳の雪形がどれ
なのかかなり混乱しています。

明治から昭和にかけての登山家で文芸批評家の小島烏水が著した単
行本「日本アルプス第1巻」の(白根山脈の記)では「……鳥の形
が農鳥山の頂上直下、少しも左右に偏することなく、胸壁の上に印
せられる」とあり、晩春から初夏にかけての鳥形は実に分明なもの
であるという。

「農鳥」は鶏の義であるそうだが、雪形は鶏には見えないとありま
す。また、地元の人の話ではシャモの雄ン鳥の立っているようで、
だんだん雪が溶けると尾が消え、腹がむしられ、鋤のような形をし
て消えてしまうと語っていたとあります。

さらに農鳥の雪形は、農鳥岳山麓に近い沢の、雪の消えたあとへ出
る黒い岩をいっているといい、これはタマゴを3つも持って現れる
という言い伝えがあると書いています。

また甲府盆地東北隅の地域では間ノ岳に黒く出る鳥形を農鳥と信じ
ており、農鳥岳の農鳥は知らないともいっています。

このように混乱しているのは、その地域地域から見える雪形をそれ
ぞれ利用して、不完全な暦を補いながら農作業の目安にしたのでし
ょうか。

▼【データ】
【山名】まわりの山々よりも遅くまで白く雪が残るから白根山。農
鳥岳(のうとりだけ)。農の鳥の雪形からの山名。

【所在地】農鳥岳と西農鳥岳がある。
・山梨県中巨摩郡早川町と静岡県静岡市との境。JR中央本線甲府
駅の西30キロ。JR身延線身延駅からバス、奈良田から延べ9時間
30分で農鳥岳、さらに40分で西農鳥岳。

農鳥岳には二等三角点(標高3025.9m)、西農鳥岳には写真測量に
よる標高点(標高3051m・標石はない)がある。

農鳥岳の地形図には山名と三角点記号とその標高の記載あり。西農
鳥岳の地形図には山名と標高点の標高の記載あり。

農鳥岳の三角点より西北方向740mに西農鳥岳がある。西農鳥岳の
北方向780mに農鳥小屋がある。

【位置】
・標高点:北緯35度37分29.92秒、東経138度13分46.58
・三角点:北緯35度37分16.28秒、東経138度14分12.63秒

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「間ノ岳(甲府)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)。5万分の1地形図「甲府−大河原」

【参考】
・「甲斐国志」(巻之三十三)山川部第十四(松平定能(まさ)編集)
1814(文化11年):(「大日本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)
・「日本山岳風土記・2」(宝文館)1960年(昭和35)
・「山の紋章・雪形」田淵行男著(学習研究社)1981年(昭和56)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

 

山旅イラスト【ひとり画展通信】題名一覧へ戻る
………………………………………………………………………………………………
「峠と花と地蔵さんと…」トップページ【戻る】