山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼607号「茨城県・加波山の天狗」

【前文】
江戸後期の国学者・平田篤胤の『仙境異聞』にでてくる岩切大神天
狗と天中坊天狗。登山口桜坊に建つ像。天中坊は一本歯の下駄をは
いた普通の姿。岩切大神は羽をつけ、鼻があるのに烏天狗のように
嘴がとがり、狐に乗って烏天狗をはべらせ火炎を背負う。
・茨城県桜川市と石岡市との境

▼607号「茨城県・加波山の天狗」

【本文】
茨城県にある加波山(709m)は、筑波山・足尾山と合わせて「常
陸三山」と呼ばれています。また明治の加波山事件とともに天狗の
山としても有名です。

江戸時代の国学者平田篤胤も「加波山には四十八天狗」がいると『仙
境異聞』という本に書いています。江戸後期の話です。下谷の長屋
から天狗にさらわれ、茨城県岩間山でしばらく天狗と一緒に生活し
た寅吉という不思議な少年がいました。

伝え聞いた平田篤胤は毎日のように寅吉のところに通い、話を聞き
本にまとめました。それによると「岩間山には十三天狗、筑波山に
三十六天狗、加波山に四十八天狗」が住んでいるとあります。その
中でも名前のある大物は岩切大神天狗と天中坊天狗だという。

2003年(平成15)の3月、うっすら雪の残る加波山に訪れました。
登山口の桜坊には両天狗の像が建っています。天中坊は一本歯の下
駄をはいた普通の姿。岩切大神は羽をつけ、鼻があるのに烏天狗の
ように嘴がとがり、狐に乗って烏天狗をはべらせています。

この天狗は、加波山の後ろ山・燕山との谷間に建つ祠に祭られてい
ると関係書にあります。しかし岩切大神を見てみると不動さまのよ
うに火炎を背負っており、飯縄系とは少し違うようです。

また燕岳を訪れて、あちこち歩きながら岩切大神の祠を探しました
がどうしても見当たりません。社務所で聞いても素っ気ない返事。
あげくは天狗祠のある岩屋に、いまも行者が籠もっているかも知れ
ないなどと、話をはぐらかして詳しくは教えたがりません。

下山口から振り返れば、山頂に建つ大きなアンテナ、そこへつづく
林道、そして採石場が無惨です。すでに山中を歩いていても天狗の
「テの字」の気配も感じません。

とても岩屋に行者が籠もっているような環境ではありません。古く
さい天狗話などもう過去のものか。しかし登山口桜坊の立像や絵符
と、今日ところの収穫はまずまず満足でした。

▼【データ】
【山名】・加波山(かばさん)・神庭山(かんばやま)・神母山・樺
山・加葉山・蒲山。筑波山、足尾山と合わせて「常陸三山」と呼ば
れている。この山にまつってある加波山神社・加波山三枝祇神社の
庭・神の庭(社庭・かんば)がなまってカバサンになった。日本武
尊が東征の折り、ここに祠を建てたといわれている。

【所在地】
・茨城県桜川市真壁町(旧真壁郡真壁町)と茨城県石岡市旧八郷町
各地区名(旧新治郡八郷町)との境。水戸線羽黒駅の南6キロ。加
波山。三等三角点(標高709.0m)がある。地形図に山名と三角点
の標高と加波山神社の記載あり。三角点の北方287mに神社鳥居記
号がある。

【位置】
・三角点:【緯度経度】北緯36度17分55.75秒、東経140度08分37.15
秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)


【地図】
・2万5千分の1地形図「加波山(水戸)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)。5万分の1地形図「水戸−真壁」(「電子国
土ポータルWebシステム」から検索)

【参考】
・「角川日本地名大辞典8・茨城県」杉山博ほか編(角川書店)198
3年(昭和58)
・「ご利益小事典」現代神仏研究会(燃焼社)
・「産業の神々」林正巳(東京書籍)1981年(昭和56)
・「祖神・守護神」川口謙二(東京美術)1979年(昭和54)
・パンフ(山岳ファイル)
・「古代山岳信仰遺跡の研究」大和久震平著(名著出版)1990年(平成2)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「図聚天狗列伝・東日本編」知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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