山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼604号「奥秩父・瑞牆山の謎の文字」

【概略】
瑞牆(みずがき)とは聖域を囲む垣根ことだといいます。ここの洞
窟には山師(鉱山技師、伐採を請け負う人)の間で知られる謎の古
代文字があるという。大正から昭和にかけての登山家・大島亮吉は
この洞窟を訪れ、著書「瑞牆山・小倉山」の中で「文字は一丈ほど、
風化して形を止めず…岩窟には剣を奉納してある」と書いています。
・山梨県北杜市

▼604号「奥秩父・瑞牆山の謎の文字」

【本文】
山梨県の奥秩父に奇岩がならぶ瑞牆山(みずがきやま)という山が
あります。瑞牆とは、聖域を囲む垣根ことで、まわりの岩峰を神の
山を囲む垣根に見立てたものといいます。それほど昔の人たちは、
この山々を神聖視していたのでしょうか。

ところで、この山にある洞窟には、昔から山師(鉱山技師、伐採を
請け負う人)の間で知られる謎の古代文字があるといいます。大正
から昭和にかけての登山家、大島亮吉という人が、この洞窟を訪れ
ました。そして雑誌「山岳」(大正15(1926)年7月刊)に、「瑞
牆山・小倉山」の一文として発表。

その中で「…同文字は二ヶ所にありて、弘法大師が遊びに来て刻め
りと伝うるものはアマドリサワ左岸金峰山図幅にはなき小岩峰に二
字二行に刻まれたるものなり……古代文字と称せらるるものを訪い
たり。

同地点は金峰山図幅瑞牆山頂二二三.二米より正西に五峰の連続せ
る内最西より第二番目の岩峰の西側の壮大なる岩壁面にあるものに
て、同地点まで微かなる道あり。文字は約一丈ほどの長さにて、二
尺四方程の大きさの文字五六字を花崗岩に刻めり。風化して殆んど
字形を止めず」とあります。

この岩壁には上の方にもう1つの岩窟があり、その中に剣が奉納さ
れていると書いています。また、これとは別の洞窟には、弘法大師
文字が彫ったといわれる梵字(ぼんじ・仏教 、特に空海、最澄が
伝来させた密教と密接な結びつきがあり、 古代サンスクリット語
の 基礎にもなっている文字だそうです)があるという。

その梵字は「カンマンポロン」と読み、大日如来、不動明王の意味
だという。そういえば平安初期、弘法大師空海が霊場を求め、この
山を開山したという伝説もあります。しかし、このあたりには霊場
をつくるのに必要な「八百八谷」がないことが分かりました。

弘法大師は、ここをあきらめてさらに探すうち、和歌山県まで行き
「高野山」を見つけ、霊場と定めたのだという。瑞牆山の洞窟に弘
法大師の文字があるとはただごとではありません。一度は訪れたい
洞窟ですが機会がありません。

▼【データ】
【山名】・周りの岩峰を神の山を囲む垣根に見立てた。

【所在地】
・山梨県北杜市須玉町(旧北巨摩郡須玉町)。中央本線韮崎駅の北
東24キロ。中央本線韮崎駅からバスで増富温泉、歩いて5時間30分
で瑞牆山。三等三角点(停止【亡失】)と写真測量による標高点(2
230m)がある。地形図に山名瑞牆(みずがき)山と標高点の標高
の記載あり。付近に何も記載なし

【名山】
・日本二百名山(深田クラブ選定・日本百名山以外に100山を加え
る・日本三百名山にも含まれる)

【位置】
・標高点:北緯35度53分36.45秒、東経138度35分31.55秒(国土地理
院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・旧2万5千分の1地形図「瑞牆山(甲府)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)

【参考】
・『甲斐国志』(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(『大日
本地誌大系』(雄山閣)1973年(昭和48)
・『甲州の伝説』(日本の伝説10)土橋里木・土橋治重(角川書店)
1976年(昭和51)
・『角川日本地名大辞典・山梨県』(角川書店)1991年(平成3)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本歴史地名大系19・山梨県の地名』(平凡社)1995年(平成7)
・「瑞牆山・小倉山」大島亮吉:『日本山岳風土記・3』田部重治、
辻村太郎監修(宝文館)1960(昭35)所収

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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