山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼585号 「北ア・常念坊と満願寺」

【略文】
常念岳の雪形にもなっている常念坊。一説に常念坊は満願寺の住職
で常念岳を開山したとか、また長野県堀金村では正福院の修験者だ
ったともいう。ある年、満願寺へ寄って住職に会った。「聞いたこ
とがない」知らないといわれればとりつくしまがない。たしかに複
数の本に載っているんだがな?
・長野県安曇野市

▼585号 「北ア・常念坊と満願寺」

【本文】
 北ア・常念岳(2857m)は、かつてはまゆみ岳と呼んでいたと
いいます。乗鞍岳とも呼んでいましたが、江戸時代の享保9(172
4)年の地誌『信府統記』(しんぷとうき)という本に、常念岳と
記載されていることから、以後常念岳が通称としてほぼ定着した
といわれます。

 この山は怪僧常念坊伝説が有名です。雪形にもなってあらわれ、
4月上旬から下旬にかけて、前常念岳の東側にお坊さんの形が黒
くでます。その名は、常念岳山ろくの穂高町(いまの安曇野市穂
高)の満願寺の常念坊という住職が、この山を開山したため、そ
の和尚の名をとったといいます。また田尻村(いまの堀金村)の
正福院(明治維新に廃寺)の修験者常念坊が、登るようになった
からともいわれています。

 こんな話もあります。平安時代、坂上田村麻呂(さかのうえの
たむらまろ)という武将がいました。その田村麻呂が、常念岳北
方にある有明山(ありあけやま)にすむ、魏石鬼(ぎしき)八面
大王(はちめんだいおう)という鬼を退治しました。

 その時、大王の手下の常念坊という鬼が、空を飛んでまゆみ岳
(いまの常念岳)に逃げ、岩屋に住みついたというのです。この
鬼はよく念仏を唱えていたといいますから怪僧のようでもありま
す。

 常念坊は毎年里で「市」(いち)が開かれると、酒を買いにあら
われ、五合徳利(とっくり)を差し出し「五升入れてくれ」とい
うのです。酒屋の親父(おやじ)が酒を徳利についでみると、不
思議なことにこの徳利に五升の酒が入ってしまいます。

 村人はこの不思議な出来事に、畏敬の念をこめて「あれはまゆ
み岳の常念坊だ」とうわさするようになり、いつかこの鬼は「常
念岳」で通用するようになったといいます。

 ちなみに「常念岳の山が、峰の部分だけ雲の上に出て、雲が帯
のようにひくと雨になる」とか、「常念に朝日が当たるとその日は
晴れ」などの言い伝えがあるそうです。

 ある夏、山からの帰り満願寺に立ち寄り、住職にお聞きしたこ
とがありました。「常念坊?春に出るアレだろ。この寺の常念坊?
さあ、聞いたことがないナ」エッ?。

 うーむ。知らないといわれればとりつくしまがありません。『信
州山岳百科1』や『角川日本地名大辞典20・長野県の地名』など
複数の信用できる本に載っているんだがな?仕方なく庭木をほ
めながらお世辞をいって退散しました。

 それにしても過疎が進み、町の中道路に地元の人の姿がさっぱ
り見あたりません。車道に動いているのはクルマ、クルマ、クル
マ。外を歩く人はいないのでしょうか。炎天下のせいだけではな
さそうです。


▼満願寺【データ】
【所在地】
・長野県安曇野市(旧南安曇郡穂高町)穂高町大字牧1812。JR大
糸線穂高駅の西5.5キロ。JR大糸線穂高駅下車タクシー15分で
満願寺。地形図に寺名のみ記載。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【満願寺】緯度経度:北緯36度19分51.17秒、東経137度49分10.8


【地図】
・2万5千分の1地形図「信濃小倉(高山)」or「有明(高山)」(2
図葉名と重なる)

【参考】
・「日本歴史地名大系20・長野県の地名」(平凡社)1979年(昭和54)
・『日本山岳総覧』武内正著(白山書房)1999年12月20日
・『日本の山岳標高一覧』建設省国土地理院(平成3年8月)
・「秘録・北アルプス物語」朝日新聞松本支局(郷土出版)1982年
(昭和57)

山と田園の画文ライター
ゆ-もぁイラストレーター
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