山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼571号 「房総長生郡長南町・笠森観音の由来伝説」

【概略】
笠森観音は天台宗別格大本山。昔、この集落に住む娘が雪道で観音
像を拾った。そのころ病弱な領主が、畑仕事に精出す娘に亡くした
姫の面影を見て娘を城に引き取る。娘が観音像に祈ったおかげで領
主は全快。喜んだ領主は娘の願いで娘の母の菩提寺を建ててやった
のが笠森観音だという。
・千葉県長南町

▼571号 「房総長生郡長南町・笠森観音の由来伝説」

【本文】
坂東三十三観音札所の第三十一番の笠森観音は、天台宗・別格大本
山笠森寺、山号は大悲山。院号は楠光院(なんこういん)。本尊・
十一面観音菩薩像。。大岩の上に柱を建てて造った「四方懸造」と
いう方式で、なるほど柱ばかりが目立ちます。

この観音寺にはこんな伝説があります。その昔、ここ笠森集落に病
気の母親と二人きりの娘がいました。娘は母親の薬を買っての帰途、
雪道で観音像が落ちているのを拾いました。

家にもって帰って仏壇に飾り母親の病気が治るよう願をかけまし
た。しかしその功もなく母親の病は重く間もなく亡くなり、娘はひ
とりぼっちになってしまいました。

そのころこのあたり一帯を納めていた領主も妻と姫をつづいて亡く
していました。ショックで領主自身も精神が犯されてしまいました。
領主は生ける屍となり、時々野山へ鷹狩りに出る以外は何もしなく
なりました。

ある日鷹狩りの帰り、畑仕事に精出す娘に目をとめました。その娘
こそ母親を亡くしたひとりぼっちの娘でした。年頃から顔形まで死
んだ姫にうりふたつです。領主はその娘に亡くした姫の面影を見た
のです。

領主は娘を城に引き取り、亡くなった姫と同じように毎日を過ごさ
せました。娘は一心に奉公し哀れな領主を本当の父親のように思い
ながら、病気が治るよう観音像に祈願しました。

そのため、領主の病気は次第によくなり正気になっていきました。
喜んだ領主は娘の願いで菩提寺を建ててやり、観音さまを本尊にし
ました。それが笠森観音と呼ばれるお寺のはじまりだということで
す。

そのほか笠森寺の寺伝には、最澄伝教大師が諸国行脚の途中、大悲
山頂から金光の輝くを見て、山から降りてみると、クスノキの大木
の下に十一面観音菩薩を感得。そのクスの木材で7尺3寸の像を彫
り、その観音像を胎内に納めたとも伝えられています。

また日蓮が宗門草創のおり、東条景信に泊害され、鎌倉に至る途中、
観音堂に雨宿りして、「日は暮るる雨は降る野の道すがらかかる旅
路を頼む笠森」の和歌を詠んだといわれています。一説には「袖に
そふ涙の雨にぬれじとてけふ笠森をたづね来にけり」とも伝えられ
ています。

▼【データ】
【所在地】
・千葉県長生郡長南町。JR外房線茂原駅からバス、笠森観音下車。
地形図に笠森観音の文字のみ記載。付近に何も記載なし。

【ご利益】
・【笠森観音】:家内安全、商売繁盛、祈願全般

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【笠森観音】緯度経度:北緯35度23分53.23秒、東経140度11分57.
77秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「鶴舞(千葉)」

【参考文献】
・「新編日本の民話11・千葉」未来社
・「日本の民話6」房州・神奈川県篇(未来社)1974年(昭和49)
・「角川日本地名大辞典・千葉」(角川書店)1991年(平成3)
・「日本歴史地名大系12・千葉県の地名」(平凡社)1996年(平成
8)
・「ふるさとの伝説・日本発見」(暁教育図書)1980年(昭和55)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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