とよだ 時 「山の伝承伝説」民俗画
山旅イラスト通信【ひとり画展】

▼565号 「東北・鳥海山の境界」

【概略】
鳥海山を巡る境界は自然地形にも合わず真っ直ぐに引かれている。
中世、修験道の本山派(天台系)と当山派(真言系)が対立。支配
権をめぐり矢島口が蕨岡口を三宝院に告訴。矢島藩・荘内藩を巻き
込み大騒動。宝永元(1704)年、幕府の裁断でいまの境界線に
なった。
・山形県遊佐町

▼565号 「東北・鳥海山の境界」

【本文】
ふつう県境(旧国境)はたいがい川や山を通るようになっています。
しかし、東北山形県・秋田県境にそびえる名山といわれる鳥海山は、
両県境が山頂を通っていません。

しかも、自然地形に合わない定規を使ったように真っ直ぐに書かれ
ています。ちょっと不思議です。それにはこんなわけがありました。

中世に入り、鳥海山にも修験道が入ってきました。修験としての鳥
海山の登山口は、秋田県側に矢島(矢島町)、滝沢(由利町)、小滝
(象潟町)、山形県側に吹浦口、蕨岡口、杉沢口(遊佐町)があり、
それぞれに修験者が住んでいたという。

やがてその繁栄に伴い、天台系の本山派(順峰)と真言系の当山派
(逆峰)の間に対立が起こります。対立の溝が深くなり、ついに山
頂の支配権、峰境争いに発展しました。

各登拝口もその争いに巻き込まれ、1701年(元禄14)、矢島口は山
頂の社殿の支配権と鳥海山の嶺境について蕨岡口を三宝院に訴えま
した。

この争いは矢島藩・荘内藩を巻き込み大騒動。ついに解決は幕府の
手に。宝永元(1704)年、幕府は「西ハ笙野岳腰ヨリ稲村嶽之八分
ニ至リ東ハ女郎嶺之腰迄不毛之地由利飽海両郡ニ相定」(飽海郡誌)
との裁断を下し、いまの境界線になったという。幕府もいちいち大
変です。

・【データ】
【山名・地名】鳥海山(ちょうかいざん)
・【異名・由来】出羽富士、鳥海富士、秋田富士、飽海山、羽山、
鳥海山、葉山、とりのうみやま。鳥の海からの山名。安倍宗任(鳥
海弥三郎)の子孫の移動にともない地名が各地に残った。山峰がま
るで鳥が左右の羽根を広げたようであり、その上日本海を見下ろす
山(「日本山岳ルーツ大辞典」)。奥州藤原一族の鳥海氏の名。

【所在地】
・山形県飽海郡遊佐町。羽越本線酒田駅の北東28キロ。JR羽越本
線象潟駅からバス、鉾立停留所下車、さらに歩いて5時間半で鳥海
山頂新山。写真測量による標高点(2236m)がある。地形図上には
山名と標高点の標高の記載あり。

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第15番選定):日本二百名山、日本
三百名山にも含まれる。
・田中澄江選定(1981年)「花の百名山」(第23 番選定)
・田中澄江選定(1995年)「新・花の百名山」(第24 番選定)

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【標高点】緯度経度:北緯39度05分57.83秒、東経140度02分55.95


【地図】
・2万5千分の1地形図「鳥海山(新庄)」

【参考】
・「角川日本地名大辞典6・山形県」誉田慶恩ほか編(角川書店)1
981年(昭和56)
・「日本歴史地名大系5・秋田県の地名」(平凡社)1980年(昭和55)
・「山岳宗教史研究叢書7・東北霊山と修験道」月光善弘編 (名著
出版)1977年(昭和52)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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