山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼556号 「谷川連峰・蓬峠の熊」

【概略】
どんよりとしたガスの急坂で目の前の木が不自然に揺れている。次
の瞬間、枝葉の上に熊の顔がニューッ。真っ黒い目ン玉。その下の
オレンジ色の肌の色までくっきり。後ろの家内に小声で「バック!」。
「!」。「熊だ」。「あ、ソウ。それじゃあ、引き返そう、エッ、熊ー
ッ。」それからは、ただただ…。
・群馬県みなかみ町新潟県湯沢町との境

▼556号 「谷川連峰・蓬峠の熊」

【本文】
谷川連峰・上越国境の蓬峠はチシマザサのつづく草原風の開けた尾
根上にあります。古くからの交通路で土樽越えとも呼ばれました。

三国越えと清水越えの中間にあって近道ではありましたが、急坂を
真っ直ぐ上り下りするため、鉄砲尾根の地名も残っています。上杉
謙信も通ったことがあるといいます。(『角川日本地名大辞典・群馬』。

慶応4年、会津藩は土樽越え(蓬峠)の警備などに土樽村民を陣夫
として徴発して防備、同年閏四年四月二十四日激戦が始まり、会津
藩と同村の農兵、村兵は大般若塚の要害に拠って砲戦したが敗退し
たという。(『角川日本地名大辞典・新潟』)。

ある年の初秋、白毛門から朝日岳を経由して蓬峠のヒュッテでテン
トを張りました。翌日、きょうは茂倉岳から谷川方面へ行く予定で
したが、朝から天気がどうも思わしくありません。

これならいっそ土樽駅へ下山しようということのなりました。小屋
の主人も土樽へ下山だとさっき下りていきました。テントをたたみ、
北側の下山道を下りはじめました。

お世話になった冷たい水場を通り越してしばらくのこと、ガスのか
かった山道の先の木が不自然に揺れています。立ち止まり様子を見
ることにしました。

次の瞬間、枝葉の上に牛の顔の大きさもあろうかと思われる熊が姿
をあらわしました。真っ黒い目ン玉。その下のオレンジ色の肌の色
までくっきり見えます。

後ろを歩いてくる家内を驚かさせないよう、「バックしよう」と小
声でいいました。「!」。「熊だ」。「あ、ソウ。それじゃあ、引き返
そう」「熊か、熊か……。エッ、熊−ッ。」それからは、ただただ急
坂を逃げ登るだけ。

「ハーッ、ハーッ。そ、そろそろ休んでもいいかしら」。「だめだめ、
追いかけてくることもあるらしい。」後ろを見ながら気が気ではあ
りません。

尾根に登りきり、小屋の前についたときは家内は力が抜けていまし
た。家に帰り、熊に関した本を調べます。それによると危険距離は
30メートルありました。あれはせいぜい7、8m。ブルルルッ。

▼【データ】
★【所在地】
・群馬県利根郡みなかみ町(旧利根郡水上町)湯桧曽と新潟県南魚
沼郡湯沢町土樽との境。上越線土合駅の北西10キロ。JR上越線土
樽駅から4時間40分で蓬峠。地形図に地名のみで標高の記載なし。

★【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【蓬峠】緯度経度:北緯36度52分43.41秒、東経138度55分18.34秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「茂倉岳(高田)」

★【参考】
・「角川日本地名大辞典10・群馬県」井上定幸ほか編(角川書店)1
988年(昭和63)
・「角川日本地名大辞典15・新潟県」田中圭一ほか篇(角川書店)1
989年(平成1)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
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