山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼536号 「丹沢・大倉尾根の水場と花立の地名」

【略文】
苦しい尾根を登ってきたとたに開け、富士山まで望める場所。そん
な所を霊場とし木の枝を神に供える花立場だという。一方、花立の
「ハナ」は瑞のことで、ちょっとはずれた所にある端(はな)の峰
の意味だという人もいる。「花立」の話は柳田国男もその著「山島
民譚集」のなかでも考証している。
・神奈川県秦野市

▼536号 「丹沢・大倉尾根の水場と花立の地名」

【本文】
大倉終点でバスを降り、舗装路をしばらく進むと、培ノ岳への登山
道に入ります。おなじみの大倉尾根です。単調でダラダラと長い大
倉尾根は水場もなく、仕事で登る人たちの難儀な場所。誰もが汗を
吹き出してあえぎながら登っていきます。

こんな道どこまで続くんだと思う気持ちはどなたも同じらしく、誰
がつけたか「バカ尾根」とも呼んでいます。歩いていてバカらしく
なるというわけです。

山の用語の本にも「バカ尾根で有名なものに、南アルプス仙丈ヶ岳
の仙塩尾根や、丹沢の大倉尾根がある」と書かれているほどの代表
的バカ……おっとゴメンナサイ。

堀山の上、あと少しでカヤバ平というあたりを水神さんの坂という
そうです。以前は登山道の勘七ノ沢側に小さな池があり、水神の石
祠がまつられていたそうです。

昔から大倉尾根は、はげ山が続いていて、村人たちがいちばん困る
のが水でした。夏の日照りの時などは、気絶する者が出るほど。そ
のせいか、塔ノ岳のお祭りに登る人が年々減っていきます。

心痛めた大倉のお百姓さんは、花立の道祖神に何度も祈願しました。
きょうもお百姓さんはひとり草刈り作業に励んでいます。ふと気が
つくと、もう飲み水の残りがありません。

さあ困りました。背中には焼けつくような太陽があたっています。
そんな時、目の前にまっ白なウサギが現われます。こんな所にウサ
ギが……。

不思議に思ってあとをついていくと、きれいな清水の湧く小さな池
に案内されたということです。それからというものは、ここを通る
人は必ず立ち寄るようになり、いつしか水神さまもまつられました。
水神さまの祠は昭和36年ころまであったそうです。

さて、花立山荘を過ぎ、裏側へまわるように登ると「花立」です。
「花立」とは変わった地名です。長く苦しい大倉尾根を登ってきて、
前方に塔ノ岳、右に大山、左に鍋割山に続く富士山ときては、誰で
も休憩したくなるところ。

そこで昔の登山者は、ここを霊場とし、花や木の枝を神にそなえる
所の意味で花立場と呼んだのだそうです。一方、花立の「ハナ」は
瑞のことで、このピークがちょっとはずれた所にある端(はな)の
峰の意味だという人もいます。

「花立」の話は柳田国男もその著「山島民譚集」のなかでも考証し
ています。また花立場は、ハナタテバ、オリバナサマ、シバオリサ
ンのことであり、小枝を折って山ノ神へ手向ける聖地の意味だと
の説もあります。


▼【データ】
【所在地】
・神奈川県秦野市堀山下集落大倉地区大倉尾根。小田急渋沢駅から
バス15分で大倉尾根登山口から歩いて3時間で花立。直下に花立
山荘がある。地形図上には何も記載なし。花立より南方向直線約25
0mに花立山荘がある。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【花立】緯度経度:北緯35度26分52.4秒、東経139度09分42.14秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」

【参考】
・「日本歴史地名大系・神奈川県」(平凡社)1990年(平成2)
・「角川日本地名大辞典14・神奈川県」伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・「山島民譚集」柳田国男:ちくま文庫「柳田国男全集5」(筑摩書
房)1989年(平成1)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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