とよた 時・山のゆ-もぁ-と(イラスト)
山旅漫歩゚
【ひとり画通信】

▼497号 「奧秩父・乾徳山の山名」

【概略】
乾徳山はかつて南北朝時代の禅僧夢窓国師が一夏面壁し座禅を組ん
だところ。修行後恵林寺を創建したが、修行した山が寺の乾(いぬ
い・北西)の方向にあり、また山が徳和地区内にあるため「乾」と
「徳」の字をとり、山名を乾徳山と名づけたのという。
・山梨県山梨市

▼497号 「奧秩父・乾徳山の山名」

【本文】
奥秩父前衛の山・乾徳山は独立峰で山頂直下には大きな鎖が打ち付
けてあり、スリルのある登り降りに、にぎやかなハイカーの歓声が
聞かれます。

鎖を使わず、岩のうしろからも山頂部へ出られ、山頂からは360度
の展望が効きます。山頂は岩が積み重なり乾徳山大権現の奥宮の石
祠があり、里宮は麓の徳和集落にあります。

明治中頃までは女人禁制だったという。ここはかつて南北朝時代の
禅僧夢窓国師が、一夏(いちげ)面壁し座禅を組んだところ。国師
は乾徳山で修行の後、山梨県塩山市小屋敷というところにいまの恵
林寺(えりんじ)を創建しました。

そして修行した山が、寺の乾(いぬい・北西)の方向にあり、また
山が徳和地区内にあるため「乾」と「徳」の字をとり、山名を乾徳
山と名づけたのだそうです。

この坊さんは幼くして仏門に入り、後醍醐天皇から国師の号をもら
い、亡くなった後もいろいろな号が追加され、のちには夢窓正覚心
宗普済玄猷仏統大円国師(むそうしょうがくしんしゅうふさいげん
ゆうふっとうだいえんこくし)という、落語の「じゅげむじゅげむ」
のような」長〜い名になったエライお坊さんです。

・【データ】
【山名】けんとくさん
・【異名、由来】:恵林寺の乾(いぬい・北西)の方向にあり、また
徳和地区内にあるため「乾」と「徳」の字をとり乾徳山。恵林寺の
山号

【所在地】
・山梨県山梨市三富(旧東山梨郡三富村)。中央線塩山駅の北北西1
3キロ。JR中央本線塩山駅からバス、乾徳山登山口から歩いて5
時間で乾徳山。写真測量による標高点(2031m)がある。地形図に
山名と標高点の標高のみ記載。ほかに名にも記載なし

【名山】
・深田クラブ選定「日本二百名山」(第144番選定):日本百名山以
外に100山を加えたもの・日本三百名山にも含まれる。
・山梨県選定「山梨百名山」(第17番選定)
・田中澄江選定(1995年)「新・花の百名山」(第49 番選定)

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【標高点】緯度経度:北緯35度49分21.91秒、東経138度42分53.55


【地図】
・2万5千分の1地形図「川浦(甲府)」

【山行】
・第2日目:1983年(昭和57)2月7日(晴れ)乾徳山探訪:1983
年(昭和57)2月6日〜7日「塩山駅・徳和(泊)・銀晶水・錦晶
水・乾徳山・扇平・牧場小屋・銀晶水・徳和山登館・塩山駅」:「乾
徳山」東京野歩路会山行

【参考】
・「甲斐国志・第2巻・巻之三十八・古跡部第一」:(「大日本地誌大
系・第45巻」(全48巻)(雄山閣出版)1982年(昭和57)
・「角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)1
984年(昭和59)
・「日本歴史地名大系19・山梨県の地名」(平凡社)1995年(平成7)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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