山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼495号 「北ア・立山室堂の天狗集会」

【序文】
江戸時代の『甲子夜話』に、立山にある大きな洞くつで僧や山伏た
ちが「権現」呼ぶ天狗を中心に宴会、笙、ひちりきに合わせて舞い
をはじめたという話が載っている。洞窟は室堂近くの天狗平にあり、
権現坊は首領縄乗坊の配下の、それも上の位の天狗だろうと研究者
はみている。
・富山県立山町

▼495号 「北ア・立山室堂の天狗集会」

【本文】
立山は、富士山、白山とならんで「日本三霊場」と称される信仰
の山。『立山縁起』という本によれば飛鳥時代に開山されたという。
有名な地獄谷の異様な景観にも驚かされます。ここには数千もの
天狗がおり、それを立山の天狗の首領縄乗坊大天狗が仕切ってい
るといいます。この天狗は山伏が唱える「天狗経」の中の四十八
狗にも名を連ねています。

江戸時代、備前(佐賀県)平戸藩主松浦靜山が書いた『甲子夜話』
巻之七十三「六・天狗界の噺」にこんな話が出ています。「上総の
国 夷?(いしみ:夷隅)郡。蓋(けだし)この処の農夫源左衛門、
酉の五十二歳が在り。この男嘗(かつて)天狗に連往(つれいか)
れたと云。その話せる大略は、七歳のとき祝に馬の模様染たる着
物にて氏神八幡宮に詣たるに、(…(中略)…)十八歳のとき、嚮
(さき)の山伏又来たり云ふ。

迎に来れり。伴ひ行くべしとて、背に負ひ目を瞑(ネム)りゐよ
迚(とて)、帯の如きものにて肩にかくると覚へしが、風声の如く
聞へて行つゝ、越中の立山に至れり。このところに大なる洞あり
て、加賀の白山に通ず。その中塗(と)に二十畳も敷き鋪(しき
た)らん居所あり。ここに僧、山伏十一人連坐す。誘往し山伏名
を権現と云ふ。

又かの男を長福房と呼び、十一人の天狗、権現を上座に置き、長
福もその傍に座せしむ。此とき初て乾菓子を食せりと。又十一人
各(おのおの)口中に呪文を誦(しょう)する体なりしが、頓(や
が?(大字典)・にわかにの意味)て笙(しょう)篳篥(ひちりき)
の声して、皆々立更(たちかわ)りて舞楽せり。かの権現の体は、
白髪にして鬚長きこと膝に及ぶ。穏和慈愛、天狗にてはなく僊人
(せんにん)なりと…」。

早い話が、…ある時、千葉県上総(夷隅)の農夫の源左衛門とい
う人が天狗にさらわれました。そして富山県立山にある大きな洞
くつに連れこまれました。その源左衛門の話をまとめてみると次
のようです。大きな洞窟は、加賀(石川県)の白山まで通じてい
るという。なかには20畳もの広さのある居所があって僧や山伏が1
1人もならんで座っています。

僧たちは源左衛門をさらってきた天狗を上座へ座らせ「権現」と
敬って呼び、乾菓子を食べはじめます(天狗は、ふだんはほとん
ど飲んだり食べたりしないのが普通です)。やがて笙(しょう)、
ひちりきに合わせて舞いをはじめたというのです。この11人の坊
さんたちは天狗に間違いなく、権現と呼ばれている天狗こそ、立
山の天狗の首領縄乗坊の傘下のなかでも、幅利きの天狗であろう
と研究者はみています。

この洞くつは室堂近くの天狗平周辺にあり、縄乗坊のすみかにな
っていたのではないかとされています。いまシーズンは室堂を中
心にツアーの観光客が押し寄せ大にぎわい。土産物屋から喫茶店
までならびます。五月の連休から雪を削っての道路づくり。壁の
中をバスが行き交い、それを見にまたツアーを組む。うすれゆく
天狗伝説に、天狗の姿もかすむ一方です。

▼【データ】
【所在地】
・富山県中新川郡立山町。富山地方鉄道立山線立山駅の東14キロ。
富山地方鉄道立山駅からケーブル、美女平駅からバス、天狗平。天
狗平山荘と、立山高原ホテル、写真撮影による標高点(2309m)が
ある。地形図上には地名と山荘名、ホテル名、標高点の標高の記載
あり。

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【天狗平】緯度経度:北緯36度34分43.95秒、東経137度34分
51.95秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「立山(高山)」or「剱岳(高山)」(2図葉
名と重なる)

【参考】
・「図聚天狗列伝・東日本編」知切光歳著(三樹書房)1977年(昭
和52)
・「天狗の研究」知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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