山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼491号 「近畿伊吹山・飛行上人天狗」

【略文】
伊吹山には三朱沙門飛行上人という天狗が住んでいたという。体重
がわずかに三朱(一朱は一匁の四分の一)。身が軽く山河を飛び越
えたので飛行上人と呼ばれた。ある時、重い病気にかかった皇后の
ため、空を飛び琵琶湖をひとまたぎして御所の庭に降り立ち祈祷、
皇后の病気を治したという。
・滋賀県米原市と岐阜県揖斐川町の境

▼491号 「近畿伊吹山・飛行上人天狗」

【本文】
 滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山(1377m)は、高山植物の大宝
庫。その数1700種におよび、頭にイブキの名をつけた植物は32種も
あると聞きます。伊吹山、息吹山、伊夫岐山、夷服山、胆吹山、五
十葺山、伊富貴山、伊服岐山などとも書き、どれも「いぶきやま」。

 この「イブキ」は、荒ぶる山神が山気や霊気を吐く「息吹き」の
意味でもあり、生き返る「息吹き」で、「再生の山」でもあります。
当然、妖怪や天狗も棲むといわれるなど神秘の山なのです。また「鉄
を生産する山」、「アイヌ語」など語源説などがあります。

 開山は奈良時代の開山といわれるだけあって『古事記』「中つ巻」
景行天皇・倭建命(やまとたけるのみこと)の項や、『日本書紀』
「巻第七」(景行天皇四十年是歳)にも登場しています。

 また鎌倉時代に悪業を働いたとして、佐々木信綱に討たれた柏原
庄(いまの滋賀県山東町)の柏原弥三郎為長の霊が宿っている山だ
ともという。この山に住むという妖怪・伊吹童子(伊吹弥三郎)は、
実は柏原弥三郎為長の霊だとされるなど、不思議な話がたくさんあ
ります。

 その昔、伊吹山には三朱沙門(さんしゅさもん)飛行上人という、
仙人とも天狗ともいいわれる怪人が、数百年も苦行を重ねて住んで
いたという。そして山のあちこちの峰に仏跡を残したといいます。
室町時代の説話集で、沙弥(しゃみ・僧)の玄棟(げんとう)作『三
国伝記』(飛行上人ノ事の項)には、次のようなことが載っていま
す。

 三朱沙門上人というのは、体重がわずかに3朱だったという。1
朱は1匁の4分の1なので、3朱は4分の3匁になるわけです。そ
れだけ身が軽かったという。ちなみに1匁は3.75グラムです。

 三朱沙門は、修行の功積んで山や谷はちろん、岩壁であろうが何
の苦もなく飛び越えることができたという。そのため「飛行上人」
と呼ばれていました。

 三朱沙門は、修行のかたわら、伊吹山中に長尾、弥高、遍満など
の3つの寺を開いたと伝えます。当時、都では帝(みかど)の皇后
が重い病気にかかっていたという。

 ある時、帝が飛行上人の名声を聞いて、皇后のために、神仏に祈
って病気を治す「加持祈祷」するよう使い(勅使)を出したという。
勅使が険しい道をやっとの思いで勅使が伊吹山山頂までくると、飛
行上人は白雲のかかった屏風のような大岩に足を組んですわってい
ました。

 勅使の話を聞いた上人は一本歯の高下駄をはいたかと思うと、天
皇の使いを抱えて空に飛び上がり、そのまま琵琶湖を飛び越えて、
都の御所の庭に降り立ちました。休む間もなく祈祷に入り、しばら
くすると皇后の病気はたちまちのうちに治ってしまったという話が
残っています。

 また『今昔物語集』(巻第二十)「伊吹山三集禅師得天宮迎語第十
二」(いぶきのやまのさむしゅぜんじてんぐのむかへをうることだ
いじふに)に、「今昔(いまはむかし)、美濃国ニ伊吹ノ山ト云フ山
アリ。其ノ山ニ久(ひさしく)行フ聖人有リ。心ニ悟リ無シテ、法
文ヲ不学(まなば)ズ、只弥陀ノ念仏ヲ唱(となふる)ヨリ外ノ事
不知(しらず)。名ハ三修禅師トゾ云ケリ。他(ほかの)念(おも
ひ)無ク念仏ヲ唱(となへえ)テ、多(おほく)ノ年ヲ経(へ)ニ
ケリ。……」。

 伊吹山の三修禅師は学行を放り出し、念仏の功徳だけで往生を遂
げようと念仏三昧にふけっていたという。それを憎んだ伊吹の天狗
が如来の迎えが来たといってだまし、裏山の大きな杉のてっぺんに
裸で縛りつけておきました。

 それでもまだ念仏を続けている僧を弟子たちが見つけ、助け下ろ
しましたが「仏さまが迎えに来るというのになぜ助けて往生のじゃ
まをするのだ。ブツブツ」と恨み言をいいながら、3日後に死んで
しまったということです。

 この飛行上人には名越、松尾、敏満の三童子の弟子がいました。
この弟子たちも天狗に劣らぬ神通をそなえた神童で、山中やふもと
の住民にいたずらをして困らせていたという。

 三修禅師をだまして大木のてっぺんに縛ったりしたいたずら天狗
は、これらの飛行上人の弟子の三童子ではないかと研究者はいって
います。

▼伊吹山【データ】
【所在地】
・滋賀県米原市(旧坂田郡伊吹町)と岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧揖
斐郡春日村)との境。東海道本線近江長岡駅の北東7キロ。JR東
海道本線関ヶ原駅からバスで伊吹山頂(1377m)。一等三角点がある。
地形図に山名と三角点の標高の記載あり。
【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第89番選定):日本二百名山、日
・田中澄江選定(1995年)「新・花の百名山」(第85 番選定)
【位置】
・一等三角点:北緯35度25分4.23秒、東経136度24分22.83秒)
【地図】
・旧2万5千分の1地形図「関ヶ原(岐阜)」or「美束(岐阜)」(2
図葉名と重なる)

▼【参考】
・『古事記』:新潮日本古典集成「古事記・中つ巻」景行天皇(倭建
命、伊吹山で困惑する)西宮一臣校注(新潮社)2005年(平成17)
・『今昔物語集』(巻第二十)第十二:日本古典文学全集24「今昔物
語集」(3)馬淵和夫ほか校注・訳(小学館)1995年(平成7)
・『三国伝記』玄棟著:応永14年(1407)から文安3年(1446)の
間に成立したと考えられている仏教説話。
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『図輯天狗列伝・西日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)
・『日本書紀・巻第七』景行天皇四十年是歳:「岩波文庫日本書紀・」
坂本太郎ほか校注(岩波書店)1996年(平成8)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成2)
▼伊吹山【データ】
【所在地】
・滋賀県米原市(旧坂田郡伊吹町)と岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧揖
斐郡春日村)との境。東海道本線近江長岡駅の北東7キロ。JR東
海道本線関ヶ原駅からバスで伊吹山頂。一等三角点がある。地形図
に山名と三角点の標高の記載あり。

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第89番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(×選定外)
・田中澄江選定(1981年)「花の百名山」(×選定外)
・田中澄江選定(1995年)「新・花の百名山」(第85 番選定)

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・【一等三角点】緯度経度:北緯35度25分04.2秒、東経136度24分22.8
秒)

【地図】
・2万5千分の1地形図「関ヶ原(岐阜)」or「美束(岐阜)」(2図
葉名と重なる)。5万分の1地形図「岐阜−長浜」

【参考】
・「古事記・中つ巻」:新潮日本古典集成「古事記・中つ巻」景行天
皇(倭建命、伊吹山で困惑する)西宮一臣校注(新潮社)2005年(平
成17)
・「今昔物語集」(巻第二十)第十二:日本古典文学全集24「今昔物
語集」(3)馬淵和夫ほか校注・訳(小学館)1995年(平成7)。
・「三国伝記」玄棟著:「国書総目録」、「大日本仏教全書」に収録。
・「天狗の研究」知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・「天狗列伝西日本編」知切光歳(三樹書房)1977年(昭和52)
・「日本書紀・巻第七」景行天皇四十年是歳:「岩波文庫日本書紀」
坂本太郎ほか校注(岩波書店)1996年(平成8)
・「日本伝奇伝説大事典」乾克己ほか編(角川書店)1990年(平成2)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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