とよた 時・山のゆ-もぁ-と(イラスト)
山旅漫歩゚
【ひとり画通信】

▼486号 「丹沢・畦ヶ丸の初登頂争い」

【概略】
かつては丹沢の秘峰だった畦ヶ丸。登山者として初登頂は横浜山岳
会の田杭安太郎と関東岳愛会の釜井盛四郎。大正13年、2人は別々
に山頂をへ。釜井がやっと登った山頂で一枚の紙片を見つけた。そ
れは30分前、下山したと書かれた田杭安太郎のメモだった。
・神奈川県山北町

▼486号 「丹沢・畦ヶ丸の初登頂争い」

【本文】
西丹沢の山々は東丹沢の大山、表尾根、塔ノ岳などに比べ、静かな
登山が楽しめます。畦ヶ丸(1293m)もそのひとつ。山頂に白石峠
補修記念碑が建ち、時おり小さな地蔵さまがのったりしています。

畦ヶ丸の「アゼ」とはアセビのことだといいます。地元ではなまっ
てアゼビというのだそうです。たしかに畦ヶ丸付近ではアセビの木
をよく見かけます。

馬がアアセビを食べると中毒を起こすことから馬酔木と書くとい
う。また丸は古代朝鮮語の山の意味だとも、日本語の丸い山のこと
だともいわれています。

交通が便利になったいまは、バスの終点から6時間で往復でき、近
くに避難小屋もありますが、かつては丹沢の秘峰といわれていまし
た。

登山者として最初の登頂は1924年(大正13)年8月末から9月はじ
めのこと。横浜山岳会の田杭安太郎と関東岳愛会の釜井盛四郎が登
ったという。2人は別々に山頂をねらっていました。

田杭はセギの沢かバケモノ沢方面から登っていきました。釜井は城
ヶ尾峠からヤブをこいで畦ヶ丸山頂へ。釜井盛四郎がやっと山頂の
達したとき、そこに一枚の紙切れを見つけました。

それはたった30分前に下山したと書かれた田杭安太郎のメモだった
ということです。さぞかし釜井盛四郎は地団太ふんだことでしょう。

この山は地形が複雑で、おまけにジャングルのように薮が密集して
いて、1888年(明治21)調査では測量するにも困難を極め、陸地測
量部発行の2万分の1の道志村図幅には大きな誤りができてしまっ
たこともあったという。

・【データ】
【山名・地名】あぜがまる
・【異名、由来】:山名は丸山の意味。畦は植物のアセビ。山頂にア
セビ(地元ではアゼビ)が多いことによる。この山は地形が複雑で
1888年(明治21)調査当時は薮が密集し、測量が困難を極め、陸地
測量部発行の2万分の1の道志村図幅には誤りがでたこともあった
という。

【所在地】
・神奈川県足柄上郡山北町。御殿場線谷峨駅の北13キロ。小田急新
松田駅からバス、終点西丹沢下車、歩いて3時間で畦ヶ丸山。三等
三角点(1292.6m)と有志による登路改修事業記念のケルンがある。
地形図に山名と三角点の標高の記載あり。三角点より南西方向約11
4mに避難小屋がある。

【位置】(電子国土ポータルWebシステムから検索)
・【三等三角点】緯度経度:北緯35度28分40.84秒、東経139度01分5
5.89秒

【基準点】(国土地理院「基準点成果等閲覧サービス」から検索)
・基準点(三角点):(基準点コード:TR35339106201)(点名:アゼ
ガ丸)(冠字選点番号:荒 92)(種別等級:三等三角点)(成果状
態:正常)(測地系:世界測地系)(緯度経度:緯度 35°28′40.79
05、経度 139°01′55.8811)(標高:1292.58m)(現況状態:露出
19980202)(所在地:記載なし)(点の記図閲覧:×)

【点の記】
・閲覧不可

【地図】
・2万5千分の1地形図「中川(東京)」。5万分の1地形図「東京
−秦野」

【山行】
・第2日目:1995年(平成7)5月5日(金・雨)丹沢畦ヶ丸探訪
:1995年(平成7)5月4日(木)〜5月7日(土)「新松田駅・大滝
橋バス停・一軒家避難小屋・大滝峠・畦ヶ丸・権現山・西丹沢自然
教室・ゴーラ沢・檜洞丸・同角ノ頭・ユーシン・道すじの沢でテン
ト・玄倉・新松田駅」:「西丹沢縦走」家内と同行

【参考】
・「イラスト丹沢・山ものがたり」とよた 時(山と渓谷社)1991年
(平成3)
・「角川日本地名大辞典14・神奈川県」伊倉退蔵ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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