山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼462号 「南ア・北岳の白根お池」

【概略】
日本で2番目に高い北岳。登山道途中には小さな池がある。「芦安
村誌」によれば、この池は雨乞い信仰の対象になっていて、干ばつ
の年には国中地方の村人は講を組んで参拝し、池の中に牛や馬の骨
を投げ入れて雨乞いを行ったという。
・山梨県南アルプス市。

▼462号 「南ア・北岳の白根お池」

【本文】
南アルプスの北岳(3193m・04年10月標高を3192mから3193m
に訂正した)は白根三山(しらねさんざん)の北端の山という意味
でその名があるそうです。白根とは、標高が高くまわりの山々より
冠雪期間が長く、峰が白くめだつので白峰(しらね・根)と呼びま
す。

山名は「平家物語」の「手越(てごし・いまの静岡市)を過ぎてい
けば、北に遠ざかりて雪白き山あり、問えば甲斐の白根とぞいう」
という歌からきており、地元では「甲斐ヶ嶺(根)」ともいうそう
です。

北岳は白根三山の主峰で、富士山に次いで2番目の標高を誇り、ま
さに南アルプスの盟主というところです。江戸時代の甲斐の国の地
誌「甲斐国志」(巻之三十三・山川部第十四)によれば、山頂に黄
金で鋳造した仏像がまつってあるとあります。

登山道途中には直径20mくらいの小さな池「白根お池」があります。
かつては登山口広河原から山頂に登る時、この池に御洗米を投げ入
れる風習があったらしい。

当時は瓢池(ひさごいけ)と呼び、「芦安村誌」によれば、この池
は雨乞い信仰の対象になっていたという。干ばつの年には国中地方
の村人は講を組んで参拝し、池の中に牛や馬の骨を投げ入れて雨乞
いを行ったという。

このように山中の池には神がいると古くから信じられ、いろいろな
供え物をして神の意向を伺おうとする習慣があったのだそうです。
この池の雨乞いのようにゴミや汚いものを神聖な池に投げ入れてわ
ざわざ神を怒らせて雨を降らせる例もあったようです。こうなれば
人間が神を手玉にとっているわけですよね。

北岳の東側斜面東壁には5本の岩稜が上下に走る標高差800mのバ
ットレスがあり、そのうちの1本が山頂に達し、山岳小説にも登場
します。ここは峻険な景観を呈するところから、山岳宗教の修行場
として江戸中期には山頂に「白根大日如来」がまつられていたそう
です。

明治2(1869)年ころ、山梨県芦安の行者名取直衛という人が、広
河原・白峰御池・北岳のルート開きました。そして自費で山頂に「甲
斐ヶ峰神社」の本宮を建て、「白根お池」の下方に中宮を、また夜
叉神峠入口に前宮を建立したという。

しかし、詣でる者もなく、せっかくの名取行者の努力もむなしく荒
廃してしまったということです。それから33年後、ウェストンが
登ったときにはまだ残がいが残っていたといいます。

ある年の8月、白峰三山から農鳥岳縦走を試み、白根お池そばの
小屋に泊まりました。途中一緒になった5,6歳の元気な男の子
がお父さんと二人で泊まっています。

お池のほとりのキャンプ場では、どこかの大学生が南アルプス全山
縦走をしてきたとかで、みんなで山の歌を歌っています。「あの男
の子、お母さんもいないのにエライね」。登山者もほめています。

夜が更けました。と、元気だった男の子が突然「お母しゃーん!」
と泣き出しました。「ア、」いっせいに暖かい笑い声が小屋に響きま
した。

★白根御池【データ】
【所在地】
・山梨県南アルプス市芦安(旧山梨県中巨摩郡芦安村)。JR中央
本線甲府駅からバス、広河原から歩いて3時間10分で白根お池。
白根御池小屋があり、近くに写真測量による標高点(2236m)が
ある。地形図上には池名と標高点記号とその標高、小屋名と建物記
号の記載あり。池より北西方向直線約60mに白根御池小屋がある。

【位置】
・【白根御池】緯度経度:北緯35度41分07.8秒、東経138度15
分09.4秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「仙丈ヶ岳(甲府)」と「鳳凰山(甲府)」(2
図葉名と重なる)

【参考】
・「甲斐国志」(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)所収
・「角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)1
984年(昭和59)
・「日本歴史地名大系19・山梨県の地名」(平凡社)1995年(平成7)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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