山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼461号 「北ア・燕岳の妖艶彫刻岩」

【概略】
表銀座コース取っつきの燕岳は、さながら岩の彫刻展覧会場だ。な
かにはなまめかしい作品もある。これは地殻変動で花崗岩が古生層
や中生層の下にもぐり込み冷却固結。その後の隆起の浸食作用で上
部の古生層の部分が削り取られ、いまの形になったという。
・長野県穂高町と大町市との境

▼461号 「北ア・燕岳の妖艶彫刻岩」

【本文】
北アルプス裏銀座コース取っつきの燕岳は、風化された岩の彫刻展
覧会場のようです。

中生代末期の地殻変動に伴って、花崗岩が古生層や中生層の下にも
ぐり込んで冷却固結し、その後の隆起による浸食作用で、上の方の
古生層などの部分が削り取られ、いまの形になったといわれていま
す。

岩の彫刻のなかにはなまめかしい作品もあります。燕岳の名は、山
がツバメが左右に羽を広げたような形をしているからとか、ツバメ
のような黒い山肌をしているから。

またツバメの雪形が出るとするものや、実際にツバメが多くすむ山
だからという説があります。

では燕は「ツバクロ」か「ツバクラ」でしょうか。ツバメをツバク
ロというのはは東京言葉なので、一時は本当はツバクラが正しいと
の地元の主張もありましたが、いまでは「ツバクロ」で定着してい
るようです。

この山は昔の地誌「長野県町村誌」には屏風岳とあり「岳中に熊、
猪、猴、兎多し」と記載されています。

その名は黒雲母花崗岩からできた山で、屏風のようにそびえ立って
いる所から命名されたらしい。

明治30年代ころから最高点の岩山であるツバメ岩に登る人が多くな
り、燕が代表名になったとする説もあります。コマクサやトウヤク
リンドウの高山植物が多い。

▼燕岳【データ】
【山名】つばくろだけ
・【異名、由来】:「ツバクロ」か「ツバクラ」か。ツバクロは東京
言葉であり、本当はツバクラが正しいとの地元の主張もあったが、最
近は「ツバクロ」で定着している。1897年(明治30)年代最高点
の岩山・ツバメ岩に登る人が多くなり燕を代表名とするようになっ
た。山容がツバメが左右の羽を広げたような形をしている。またツ
バメのような黒い山肌をしている。ツバメが多くすむ山だからとい
う説がある。

【所在地】
・長野県安曇野市穂高(旧南安曇郡穂高町)と大町市との境 JR
大糸線穂高駅からタクシー中房温泉、歩いて4時間20分で燕岳。二
等三角点(標高2762.9m)がある。地形図に山名と三角点の標高の記
載あり。その南方2704m標高点近くに燕山荘がある。

【位置】
・二等三角点:(標高m)。【緯度経度】北緯36度24分24.6秒、東経1
37度42分45.81秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「槍ヶ岳(高山)」。5万分の1地形図「高
山−槍ヶ岳 」

【参考】
・「角川日本地名大辞典20・長野県の地名」市川健夫ほか編(角川
書店)1990年(平成2)
・「信州山岳百科・1」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「日本歴史地名大系20・長野県の地名」(平凡社)1979年(昭和54)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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