山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼434号 「奥秩父・瑞牆山と弘法大師」

【概略】
平安初期、弘法大師は全国を行脚した末、瑞牆山にたどり着きまし
た。大師は、ここに落ち着き、一大霊場を開こうとして修行をつづけ
ました。しかし、この辺りには「八百八谷」がないことが分かりました。
そこで弘法大師はあきらめて、霊場探しの行脚に出立。ついに和歌
山県高野山に新天地を見つけたということです。もしかしたら、瑞牆
山が高野山になっていたかも知れかったわけですネ。
・山梨県北杜市



※【本文】は下方にあります。

▼434号 「奥秩父・瑞牆山と弘法大師」

【本文】
奥秩父の瑞牆山(みずがきやま)は、全山寄岩怪石のよりあつまっ
たような、岩峰だらけの山です。「みずがき」とは神社のまわりの
垣根のことだそうで、信仰に関した意味だといいます。また、山稜
が3つに分かれる所を三繋(みつな)ぎといいますが、そのミツナ
ギが「ミズガキ」に転訛したのだという説もあります。

さらにまた、近くの金峰山を玉塁(たまがき)と書いた古い地図が
あるそうで、ふもとの須玉町小尾、比志の里人は、金峰山の山ろく
を瑞塁(みずがき)と呼んでいることもあって、瑞牆山の名はそこ
からきたのだともいわれているそうです。

瑞牆山の南側を西に流れるアマドリ沢があります。その上流の岩壁
には、弘法大師のものだとする文字と、古代文字だとする2つの文
字が彫ってあるそうです。大正から昭和初期の登山家の大島亮吉も、
1926年(大正15)7月発行の雑誌『山岳』に寄せた一文「瑞牆山・小
倉山」に次のようなことが書いてあります。

「瑞牆山名所として弘法大師文字および古代文字なるものあり。と
もにアマドリ沢の上流に在りて、大いなる岩壁に刻せる文字なり。
古くより「ヤマシ」(山師?)の間に知られたるものなりと言うも、
近時山麓増富村青年団の道を開き、道標を打ちてその名所の喧伝に
努めおれり。

同文字は2ヶ所にありて弘法大師が遊びに来て刻めりと伝うるもの
はアマドリザワ左岸の金峰山図幅にはなき小岩峰に二字二行に刻ま
れたものなりというも小生は訪ねんとして道を発見し得ざりしため
訪わず。ただ古代文字と称せらるるものを訪いたり。

同地点は金峰山図幅瑞牆山頂二二三〇・二米より正西に五峰の岩峰
連続せる内最西より第2番目の岩峰の西側の壮大なる岩壁面にある
ものにて同地点まで微かなる道あり。文字は約一丈程の長さにて、
平均2尺四方程の大きさの文字五六字を花崗岩に刻めり。風化して
ほとんど字形を止めず。

…同岩壁の上方殆ど垂直にして十数丈程高き岩壁に縦に細長き長正
方形の岩窟らしきものありて、同地点までの岩登りは余程困難なれ
ども、かつて岩茸採りが好奇心に駆られて登りみたるに同岩窟内に
剣一振り奉納しありたりと聞きたるをもってこれと考えあわせて、
古く修験者の同岩窟に修行して、その際にても刻みたるには非ずや
と判断して、同古代文字のやはり人工のものならんと小生も信じた
る次第なり」なのだそうです。また「近時山麓増富村青年団の道を
開き、道標を打ちて宣伝に務めおれり」とも書き添えてあります。

この弘法大師文字といわれるものは、洞ヶ岩の洞くつの奧に彫られてい
る大日如来不動明王の梵字のことだそうで、洞くつ内には修行したあとも
残っているらしいという。そういえば平安初期、弘法大師空海がこの山
を開山したという伝説があります。

空海は霊場をもとめて全国をめぐっていましたが、ここにやってき
てふさわしい場所として落ち着き、修行したというのです。しかし、
このあたりには霊場をつくるに必要な「八百八谷」がないことが分
かり、あきらめたと伝えます。

その後、大師は条件に合う場所を探しながら、はるばる和歌山県ま
で行き、やっと高野山をみつけたという。文字はほんとうに平安時
代のものでしょうか。それにしてもまかり間違えば、ここが「高野
山」だったかも知れなかったわけではあります。

▼【データ】
【山名】
・【異名、由来】:周りの岩峰を神の山を囲む垣根に見立てた。

【名山】
・深田クラブ選定「日本二百名山」(44番選定・):日本百名山以外
に100山を加えたもの・日本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(×選定外)
・山梨県選定「山梨百名山」(4番選定)

【所在地】
・山梨県北杜市須玉町(旧北巨摩郡須玉町)。中央本線韮崎駅の北
東24キロ。中央本線韮崎駅からバスで増富温泉、歩いて5時間30分
で瑞牆山。三等三角点(停止【亡失】)と写真測量による標高点(2
230m)がある。地形図に山名瑞牆(みずがき)山と標高点の標高
の記載あり。付近に何も記載なし

【位置】
・【標高点】緯度経度:北緯35度53分36.45秒、東経138度35分31.55
秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「瑞牆山(甲府)」(別の図葉名と重ならず)。
5万分の1地形図「金峰−甲府」

【山行】
・某年1月16日(日・晴れ)瑞牆山探訪

【参考】
・「日本山岳風土記・3」田部重治、辻村太郎監修(宝文館)1960
(昭35)
・「日本歴史地名大系19・山梨県の地名」(平凡社)1995年(平成7)
・「瑞牆山・小倉山」大島亮吉:「日本山岳風土記・3」田部重治、
辻村太郎監修(宝文館)1960(昭35)所収

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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