山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼430号 「北ア・後立山連峰鹿島槍ヶ岳カクネ里」

【概略】
鹿島槍ヶ岳北壁直下のカクネ里という窪地はいかにも人の住めそう
な所。下流の鹿島集落の祖先(平家の落人?)の隠れていた所とい
う。しかし現地は、雪崩や雪塊の崩落が名物のような場所。何の証
拠もないが落人住居説は根強く残っている不思議なところだ。
・長野県大町市

▼430号 「北ア・後立山連峰鹿島槍ヶ岳カクネ里」

【本文】
北アルプス後立山連峰、鹿島槍ヶ岳の北壁直下に「カクネ里」とい
うくぼ地があります。平家の落人伝説のあるところで、のち落人た
ちがふもとに降りて定住し、田畑を切り開いていまの大町市の鹿島
集落になったというのです。

しかし確かめようとしても1916年(大正5)と1922年(大正11)の
火事で土蔵にあった過去の資料がすべて焼失してしまったという。
その上困ったことに肝心な鹿島集落ではそんな伝説は知らないとい
うのです。

また集落の氏神である鹿島神社に平安初頭807年(大同2)の記録
があり、それによれば平家追討(1180から1185年)よりも378年も
前に人が住んでいたことになってしまいます。

そこで研究者たちが古文書や地形語などを考察。言葉の変化などい
ろいろな角度から考察。また登山の大先輩羽賀正太郎氏は、もっと
単純に決まった地名がなく、人が住めそうな地形から「カクネ里」
の名が生まれたのではとしています。

いずれにしても現地は普通ではとても遡行できない大川沢の奧の
奧、雪崩や雪塊の崩落が名物のような場所。とても人の住めるよう
な所ではないという。

しかし、いまでも確かに下流の鹿島集落は平家の落人だとの説は根
強く残っています。

▼【データ】
【所在地】
・長野県大町市。JR大糸線信濃大町駅からタクシーで鹿島集落。
地形図に鹿島の文字と神社記号の鳥居マークのみの記載あり。

【位置】
・鹿島集落:【緯度経度】北緯36度34分34.34秒、東経137度48
分15.3秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「大町(高山)」国土地理院「地図閲覧サー
ビス」から検索

【山行】北ア・爺ヶ岳雪山訓練
某年1月2日(水・雪)鹿島集落探訪

【参考】
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「角川日本地名大辞典20・長野県の地名」市川健夫ほか編(角川
書店)1990年(平成2)
・「角川日本地名大辞典16・富山県」坂井誠一ほか編(角川書店)1
979年(昭和54)
・「日本歴史地名大系20・長野」(平凡社)1990年(平成2)
・「日本歴史地名大系16・富山県の地名」(平凡社)1994年(平成6)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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